Colorful

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はいつだって、様々な音に溢れていた。例えばそれはくるくるとよく回る口が並べ立てる言葉だったり、本のページを繰る音だったり、機嫌がいい時に口ずさむ鼻歌や、静かにゆるゆると紡がれる寝息だったりする。それらがひどく耳に障るときがあったことも、未だにそんなときがあることもティエリアは否定しない。けれど、隣で聞いていたそれらの音がすべて不快だったとも思わない。のあれは付けっぱなしのラジオだ、テンションの違いに苛立ちを覚えることもあるが安らかな眠りへいざなってくれる子守唄にもなりうる。

はいつだって、様々な色に溢れていた。例えばそれは頭上に広がる天の川のような髪だったり、夜の底を封じ込めたような瞳だったり、ケラケラと笑い声をあげるときに周囲を染める明るさだったり、本気で腹に据えかねたときに宿る毒々しい赤の炎だったりする。と出会う前、ティエリアの目に映っていたのが白と黒でできたモノクロのキャンバスだったとは言わない、彼の周囲にはロックオンがいてアレルヤがいて刹那がいた。ただその存在が、コントラストをぐんと跳ね上げたことも事実で。まるで幾枚も重なっていたフィルターを取り除いたように、目に入る色の鋭さはティエリアを強く惹き付け、そして同時に躊躇させる。

―――これは、こんなにも小さい生きものだったろうか。
その場に立ちすくんだはピクリとも動かない、俯いている漆黒の髪が春の風にあおられ、白く光るうなじがあらわになる。手を伸ばせばとどくところにはいる、なのにその存在感をティエリアは感じない。ただでさえ自分の求めること、求めるものを傅かせ、その上でタップを踏めるだけの傲慢を腹の底に溜め込んでいるだ、基本的にその存在感はあまりあるというのに。それの立っている空間が奇妙にひずみ、光が澱む。夜に溶け出していこうとする存在を、ティエリアは許さない。

「どうしてあれに会った」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「答えろ。どういう経緯であれに・・・、」

ティエリアが思わず言葉を飲んだのは、俯いて見えないの顔から防犯灯の白い光を受けたなにかが地面に落ちたからだった。よくよく見てみれば、その光は不均一ではあるが連続的にの足元に黒い染みを落としている、宙を滑るしずくが地面で跳ねる。

人のなかには炎が宿る、人は自身の中に炎を宿すことができる。これまでの多くの時間、青白く冷たい炎に薪をくべてばかりいたティエリアは、この熱情を言葉に置き換えるのは無理だと思った。ただひたすらに熱い、熱くて骨も肉も血も溶けてしまう・・・・・・気道を押しつぶしたような息苦しさに彼は奥歯を噛み締める、肋骨で守られている部分の奥深くがズグリと疼いた。吸い込んだ空気の冷たさが心地いい。

濡れた頬に触れようとしたティエリアの手は即座に叩き落される、動物的な反射神経で顔を上げたの瞳にはどろりと濁った感情が渦を巻いていた。一瞬だけ垣間見えた、射殺そうとするかのような強い視線はまるで手負いの獣のそれだ。爪を研ぎ牙を剥く、無知で気高い孤独なノラ猫。

ヒュッ、と喉を引きつらせた猫は爪をしまう。牙を剥くかわりに頭を垂れ、いやいやをするように首を振った。

「ご、め・・・ちがう、今のはちがう、そうじゃ なくて、・・・・・っごめ、ごめん、」

ティエリアの腕の中で、猫がヒュゥと声にならない悲鳴をあげる。反射的に手足をばたつかせてもがく猫に逃走を許さず、ティエリアは囲いを強くした。軽い錯乱状態にあるそれの抵抗をねじ伏せるのは赤子の手を捻ることのように容易い、全身の毛を逆立てる猫はそのくせ全身をぶるぶる震わせている。

「落ち着け」
「・・・・・・・っ、」
「落ち着け、僕は彼じゃない」

まるで一時停止ボタンでも押したようにの抵抗がぴたりと止んだ。全身の震えはいまだに止まる気配はないが、つっかえ棒にでもするようにティエリアをぐいぐい押していた腕から力が抜ける。必死に距離を取ろうとばかりしていた頭をわずかに上向かせ、猫は斜めにティエリアを見上げた。ぐしゃぐしゃになった表情をそのままに、濡れたまつげがゆらりと光る。

「・・てぃえ、りあ・・・?」
「疑問符をつけるな。僕は僕だ」
「・・つんでれ、めがね・・・?」

―――・・という人間は、どうしてこう・・・・・。震える声で何を言うかと思えばそれだ、すでに煮え上がっていたティエリアのはらわたが再びぐらりと揺れるのも仕方がない。どこをどう考えてもそんなセリフが飛び出す場面じゃないはずだ、たとえ思いついても口に出すようなセリフではない。ティエリアの思いは決して常識はずれなものでも的外れなものでもないだろう、わずかに瞠目した彼はため息をついた。様々なものにたいする諦めを滲ませたそれを吐き出し、腕の囲いを解こうとする。

「・・・・ふっ・・、」

けれどそれを縫いとめたのはだった、震える指がティエリアの服の裾をぎゅうと握る。額をティエリアの肩口にぐりぐり押し付けるようにする猫の毛並みを春の風がさらっていく。・・時折、盛大にしゃくりあげるだけで決して泣き声を出そうとしないあたりをひどくそれらしいとティエリアは思った、ずるずると鼻をすすり上げながら猫は小さく震えている。まるで雪のちらつく冬の夜、外に放り出された迷い猫のように。

これはこんなに小さな生きものだったのだ。薄い背中を支えながらティエリアは考えを改める、存在感と影響力ばかりがという人間の輪郭を象っていた事実を、苦笑と共に受け止めた。爪で弾いたくらいで壊れるほどこれは繊細に出来ていないが、振り上げたバットを叩きつけて壊れないほど頑丈にも出来ていない。囲いの中にはまだ余裕があるし、後ろ頭を支えようとすれば片手で足りる。視線を斜め下におろしたティエリアの目にうつる、寒々とした首筋。

「・・・・・・・・・・・・そういえばお前、その髪はどうした?」

ずずっと鼻をすすり上げたはそのままの姿勢を保ちつつ、くぐもった声で返事をした。

「切った。・・見れば、わかる、だろ」
「・・・・・・・・・いつだ」
「今日だよっ、昨日こんな短くなかったじゃん、」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

その沈黙を聞きとがめたらしいは、ぐすぐすと鼻をならしながらティエリアを見上げた、見上げたというか睨みあげた。目と鼻を真っ赤にしながら眉間に皺を刻み、くちびるを尖らす姿はどこまでも子どもじみている。けれどそれは確実に、ティエリアから言葉を奪った。

「・・・・・・・ティエリア、髪短くなってたのいま気付いたろ」
「・・・・・・・・・・・・」
「沈黙は肯定とみなしますがよろしいですか、どーぞー」
「・・・・・・・・・・・・」
「喰らえ、こんにゃろ!」

のこぶしはティエリアの鳩尾を的確に突いた。ぐっ、という小さい呻き声を漏らして体をくの字に折るティエリアを見下ろす形で、はくちびるを引き結ぶ。

「前髪切ったのに気付けとは言わないけどさ、こんだけ分かりやすいんだからさ、すぐ気付いてもよくね?」

別にいいですけど、いいですけどね別に! ぶうぶうと不満を垂れる猫は、いつもの不遜をもう取り戻しはじめていた。振り上げたバットを叩きつけても瞬時にハンマーで応戦してきそうな傲慢を宿して、漆黒の瞳がゆらりと閃く。取り戻した存在感と影響力をまとって、その輪郭は二重になる。涙に濡れた頬はだんだんと乾き始めていた、けれど次にティエリアを見上げたは今にも泣き出しそうな表情で突っ立っている。それを訝ったティエリアが言葉にするより早く、はゆるゆると首を振った。カットされたばかりの毛先がそれのうなじをなぞり、薄い背中がティエリアの前を歩き出す。


「・・・・・その顔にキライって言われたのは、・・ちょっと・・・・・こたえた」


ぱちん、と弾けて


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ぱちん、と弾けて ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  090426   up date  090530