Colorful
:92
「・・・・・・・・ジェイドにばれた」
蒼白な顔でがそう言ったのは、寝癖に寝巻き姿という格好をそのままにした、まだ朝の時間だった。
けたたましく鳴り響く電子音に対し、先に痺れを切らしたのはティエリアだった。ひとの神経を逆撫でするその電子音は、まどろみのなかにあったティエリアの意識をも朝日の下に引きずりだす。枕元でやかましく騒ぎ立てる携帯を薄目に確認した彼は、それが自身のものではないことを悟ると寝返りを打って背中を向けた。自分の設定したものであるなら体を起こさざるを得ないが、それ以外であるならはっきり言って知ったことではない、再び眠りに落ちようとする彼の背後では、いつまでも携帯が鳴り響いている。
「・・・・・・・・おい、」
「・・・・・・・・ッ、おい!」
苛立ちを隠そうとしないティエリアの呼びかけから逃げるように、毛布の塊はもぞもぞと足元にもぐりこんだ。
―――これだけやかましく長い間鳴っておきながら目を覚ましていないというのもそれはそれで大した太さの神経だが、これだけやかましく長い間鳴っていることに気付いておきながら寝たふりを貫くというのも大したものである。おそらくこれの神経は血管か骨格かに変化して跡形も残っていないに違いない。
「うぅぅ、何も蹴らなくても・・・」
「次は蹴落とす」
ひょこん、とくるまった毛布から頭だけをのぞかせたは寝ぼけ眼をしょぼしょぼさせながら、ようやく大音量で泣き喚く自身の携帯を手に取った
―――そのディスプレイを見つめたはまず怪訝そうに眉根を寄せ、そしてごしごしと目ヤニのついた目を服の袖でこすってもう一度画面を見直した。見る見るうちにその腑抜けた顔から実に眠たそうな表情が消え、ついでとばかりに細波が引くように血の気も引いていく。「どうした、」 とティエリアが口を挟む一瞬前に跳ね起きたは、携帯を手にしたままトイレに飛び込んだ。
一人残されたティエリアにできるのは、訳が分からないとばかりに首を傾げ眉をひそめたあと、しかしまったく知らなかったような顔で布団にもぐりこむだけである、時間的にはまだもう少しまどろんでいても文句は言われないはずだ。しかしは、ティエリアにそんな安穏すら許さなかった。
「・・・っはぁ? ちょ、待ってよ何それウソでしょ?
――・・いるの? 今、下に?」
口元(耳元)に押し当てた携帯相手に本気で怒鳴る人間、というのは傍から見ているとかなり滑稽である。不愉快そうに目を細めるティエリアの前を、は風のように横切ってベランダに飛び出した。やがて、ヤカンに湯を沸かしたときのような、黒板を針金かなにかで引っ掻いたような甲高い悲鳴が朝の爽やかな風とともに流れ込んでくる。
「・・やばい、やばいやばいやばい」
「は?」
「ジェイドにばれた」
ジェイド、というのが件の過保護な後ろ盾であることはすぐに合点がいった。
「ロックオンがゲロった、いま下にいる」
頬から赤みがげっそり落ちた青白い顔に、視線ばかりが強い目がギョロギョロと泳いでいる。ティエリアはもし今ここで、「人ふたりくらい刺してきた」 と言われてもたいして驚かなかっただろう、の表情にはそれだけ鬼気迫るものがあった。
「やばい、どうしよ、どうしよ、ヤバイ」
「・・・・わかったから、とりあえず落ち 「とりあえずティエリア、逃げて」
告げられた言葉の意味を解するのに、一瞬の間があった。何をバカなことを、と一笑しようとしたティエリアはしかし、真摯に傾けられたその漆黒にかろうじて言葉を飲み込む。どうやらはふざけているわけでも、とち狂ったわけでもないらしい。未だかつて、これほど真剣な顔をしたを見たことがあったろうか
――いやしかしだからと言って、ハイそうですかと従うわけにもいかない。
「逃げ切れるかどうかわかんないけど、でもとりあえず、逃げて」
冷静か否かと言われれば、おそらく冷静なのだろう。起きてからまだ五分と経っていないが、の頭は昼間と同じかそれ以上のスピードで思惟をめぐらしているらしい、寝汚い普段の様子を鑑みれば笑うこともできようが目の前のはそれを許してくれそうになかった。はいま、ひどく冷静に混乱している。「逃げて」 という言葉とともにその指が指し示したのはあろうことか玄関ではなくベランダだ、こいつはアパートの三階から天国へでも逃げろというつもりなのだろうか。
「断る」
「・・・・・・はィ?」
「断る、と言った。なぜ俺が逃げなければならない」
「・・いや、だからそれは、」
の言わんとしていることがわからないわけでもないが、それより何より。
「逃げるのは性に合わない」
「・・っいいから、そんなこと言ってる場合じゃないんだって!」
「知らん、面倒だ」
「本音それだろ!? 今逃げないほうが後々面倒になるから、間違いなく面倒なことになるから!」
な、な? 自分と周囲とを薄皮一枚で隔て、飄々とした表情で大抵の波風を乗りこなすの、その必死さがようやくティエリアを動かした。不承不承、少しつつけば不満や文句を止め処なく謳い続けそうなティエリアではあるが、腕を引かれるままに立ち上がる。
――そのとき、今度は彼の携帯が鳴った。
「・・・もしもし、」
『ああ、やっと繋がった・・! 俺だティエリア、』
「“俺” という知り合いはいません」
『ロックオン・ストラトスだよ、わかってるくせによくそんなこと言えるなお前!』
どいつもこいつも朝っぱらからやかましい。ティエリアの機嫌は雪山を転げ落ちる勢いで急激な下降線を辿っていた。不愉快オーラを刻一刻と濃くしていくティエリアを余所に、彼の片手にメガネを握らせ、鞄を肩にかけ、ベランダに誘導しようとするが心底鬱陶しい。電話くらい落ち着いてさせろ、というひと睨みにもまったくの知らん顔だ、こいつの神経はとうに焼き切れて睡眠のためのエネルギーか何かになったに違いない。
「それで、何の用ですか」
『ティエリア、お前今どこにいる?』
「・・・・なぜそんなことを?」
『もし今、自分の部屋とかアパートにいるんだったらティエリア、お前とりあえず逃げろ』
「・・・・・・は?」
『理由は聞くな、今はその時間が惜しい』
「・・・・・・・・・・・・・・」
『わかったなティエリア、しばらくそのアパートを離れてろよ、いいな!?』
――どいつも、こいつも・・! 基本的に他人より小さめに出来ているティエリアの堪忍袋がはじけるのはある意味、当然といえば当然だった。どうにかこうにか繋ぎとめていた糸が、頭の中でぷつんと音を立てて切れる。それと同時に、ティエリアは自身の手首を掴まえているの腕を力任せに振り払った。パッと振り返ったの、驚いているような表情がどうしようもなく腹立たしい。
「・・いい加減にしろ」
「・・っごめん、ちゃんと後で説明する、絶対するから、」
スゥと細められる深紅の前で、うなだれたはもう一度小さくごめんと呟いた。さすがに今回は、自身の理不尽に思いあたりがあるらしい。けれど、前髪の隙間からチラチラ見上げてくる漆黒に諦めの色は毛ほども宿っていなかった、「でも、」 と言い出すタイミングを全身で窺っている。
――こうなれば、ティエリアが折れるのは時間の問題だった。
「・・・・・・しばらくこのあたりから離れていればいいのか、」
「うん、少ししたら連絡する。それまでしばらくの間・・できれば、逃げ切ってほしい」
「おやぁ、随分と穏やかではありませんねぇ。何から逃げるんです?」
全力疾走
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全力疾走 ... 7-1
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なんとなく、ここから第二部突入・・な感じ