Sakata-ke
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喩えるなら睡眠ってのは、ベッドの中、一糸纏わぬ姿でこちらに向かって手を伸ばしてくる女のようなものだ。その女の名前を知っているとかいないとか、そいつのことが好きだとか嫌いだとか、そういうこととはまったく別の次元で自分の中の本能が唸り声を上げる。“耐える” とか “抗う” とか、そんな抵抗にいったいどれだけの意味があるというのだろう。余計なもの、無駄なしがらみをすべて薙ぎ払ったら、後はただ本能に身を任せてずぶずぶと熱に溺れればいい、実にシンプルな話だ。
坂田銀時は今日も今日とてそんな惰眠を貪っていた。食べたいから食べる、ヤりたいからヤる、眠たいから眠る、実にシンプルいっつわんだほー。窓から差し込む陽光が眩しいとか、台所からまな板を叩く包丁の音が聞こえてくるとか、神楽と新八の声がするとか、そんなまぶたを開ければ広がっているはずの現実から逃れるように銀時はかたく目を閉じる。闇の奥からおいでおいでと手招きをする白魚のような手、ピンク色のベッドのなかから伸ばされているであろう誘惑のそれに、彼は自身の手を伸ばす。食べたいから食べる、ヤりたいからヤる、眠たいから眠る、
――だったら起きたくなったら起きる。どうせ今日もテレビ見たりジャンプ読んだりでぐだぐだと一日が流れていくのだ、体が睡眠を欲している今眠らなくていつ眠る?
ぺちぺちと、なにかとても小さなものに顔を触れられ、銀時は眉間のしわを深く濃くした。例えば顔のまわりをブンブン飛び回る小蝿のような、別に放っておいたところで蚊に刺されるような実害をこうむるわけではないが無視しようにもしきれない、そんな感覚。しかしそれでもなお彼は目を開けない、はっきりいって意識のほうはほとんど完全に覚醒に向かって歩き出してしまったが、それでも。ここで素直に起き上がるのは癪に障る、朝のまどろみという至福のときをぶち壊されてしまったのだ、こちらのしあわせばかりが壊されるというのは納得いかない。
そんな銀時の思考を読み取っているのかいないのか、彼のまどろみを至極うっとうしいやり方で破壊したそれは、枕に頭の側面を押し付けた状態で頑なに目を閉じている彼の鼻の頭に触れたり、頬をさわさわなでたりと忙しい。おそらく新八か神楽に頼まれたのだろう、“起きて、起きて” といわんばかりに銀時を揺するが、圧倒的な体格差の前にその努力は意味を為さなかった。どちらかというと銀時にとってはただくすぐったいだけだ、思わず笑い出しそうになるのをごまかすように寝返りを打つ。
――と、不意に訪れた平穏に銀時はひっそりと眉根を寄せた。この程度で諦めてくれるなら、彼の朝はいつももっと平和なはずである。 「(・・・やべ、もしかして吹き飛ばしたか?)」 かすかな音でも聞き逃さないよう、天井に向いている耳に意識を集中させて音を汲み取る、ここまでするくらいならいっそ起きてしまえばいいものを、くだらない意地がそれを邪魔する。朝の起き抜けだろうとなんだろうと、意地と見栄を張れなくなったら男は終わりだ。それがたとえ単なる言い訳に過ぎなくとも。
「・・・・・・?」
万が一、寝返りを打った拍子に吹き飛ばしてしまっていたとしても、これだけの時間が経てばあれはふらふらと枕元に戻ってこられるはずだ。神楽や新八に応援を頼むために座敷から出て行ったとすれば、あのクソガキ共は一秒後にふすまをぶち壊す勢いで乱入し、あげく全回復したHPを赤く点滅させかねない攻撃を仕掛けてくるだろう、宿屋から出る前に教会の世話になってたまるか。・・恐る恐る、そろりとまぶたを持ち上げる。薄く開けたまぶたの隙間から目に飛び込んでくる朝日が眩しい、ぼやぼやとして焦点の合わない視界の隅で動く不穏な影。
「
―――・・ッおいィイイ!何やってんの、お前何やってんの!? つーかマジで今何したの、銀さん状況がまったく読めないんだけど!?」
突如としてあご先に奔ったするどい痛み、随分前から意識ははっきりしていたとはいえ、起き抜けの体を貫いたそれはまさに雷撃といっても過言ではない。寝ぼけて芯が飛び出したままのシャーペンを親指の腹に捻じ込んでしまったような、しかもそのシャーペンの芯がぽっきり折れて、血の滲む半透明の皮膚の向こうになんか黒っぽいのが確認できるような、痛みとあまりの気持ち悪さに保健室に駆け込めば、笑顔の保険医(女)に 「じゃあ、抜いちゃおっか」 と時と場所があれならちょっと興奮するような際どいセリフを告げられ、拒否する間もなく肉のあいだに埋もれようとするシャー芯をピンセットでぐちぐちと引っこ抜かれているかのような、いろんな意味で強烈な痛み。思わずガバッと起き上がった銀時の枕元、きょとんとした顔で彼を見つめる それ の手元をよくよく注意してみれば、・・・・・・・あれ、なにこれシャー芯じゃね?なんか白っぽいけど、シャー芯じゃね? いや、それにしちゃあちょっと頼りないよーな・・なんかの毛っぽいけど俺のはこんな剛毛じゃあ・・
―――
「・・え、ちょ、ちゃん? 銀さんちょーっと聞きたいことあるんだけど、いい?」
「・・・・・・・いま握ってるそれって、もしかしてもしかするとォ、銀さんの・・・おひげ?」
不思議そうに彼を見上げる体長10センチ程度、ワイシャツの胸ポケットにちょうど収まりそうな体つきをした “それ”
――― と名づけられた彼女は、手に持ったものをさながら自由の女神が天に掲げるたいまつのように、見下ろす銀時に向かって自慢げにぐいっと突き出した。・・差し込む朝日にきらきら輝く かつて自分の一部だったもの は思わず震えがはしるほど美しかったと、彼は涙ながらにその時のことを語る。
ある晩、酔っ払った銀時が見知らぬオッサンからもらってきたという手の平サイズのたまご。にわとりの卵をそのまま拡大したような滑らかな曲線を描くそれは、クリーム色のボディにつやつやとした光沢を放っていた。朝になったらたまごの存在など頭の片隅から綺麗サッパリ消し去っていた銀時を含め、その処理に困った彼らが下した決断は、“とりあえず定春にあっためさせりゃいーんじゃね?”。三人が三人ともたまごの生存はもちろん、その真偽すら疑ってかかっていたのだが、もし本当にひよこみたいの出てきたら後味悪いし、というどこまでも自分本位な決定と、定春の自由を糧に生まれたのがである。
どこの星の天人だか定かではないが、ぴったりの手乗りサイズであることを除けば、外見はほとんど地球人の子どもと変わりない。違うといえば口が利けないことと、空を自由に飛びまわれることだろうか・・・ガキの頃、絵本やらなんやらで見た 妖精 とかいう生きものと大差ない。たまごから孵ってしばらく、驚異的ともいえるスピードで銀時らの口にする言語を習得したは今、地球人でいうところの幼稚園・年少期を絶賛邁進中と見ておそらく間違いないだろう。きっと好奇心を具現化したらになる。
「ったくよー、ひげってのは抜くもんじゃねェんだよ、剃るもんなんだよ。デリケートにできてんの、ガラスの十代と同じくらいデリケートなもんなの、わかる?」
「子ども扱いされると怒るクセに、バスは子ども料金で乗ろうとする七面倒くさい時期ネ!」
「銀さんの繊細なひげを中二病扱いすんのやめてくれる?」
銀時と神楽が朝食を囲む机の上。そこにちょこんと正座したはちいさなてのひらに二、三粒のごはんを抱え、頭上で繰り広げられる凄まじい勢いの舌戦をぽけっと眺めていた。日常会話のほとんどを理解できるようになっただが如何せんまだ語彙が少ないため、怒涛のように流れ込む言葉たちを目の前にすると、ぱちぱちとまばたきを繰り返すばかりで動けなくなる。矢継ぎ早に放たれる罵倒の応酬にきょとんと首を傾げ、頭の上にいくつもの?マークを飛ばすを新八は心の底から可愛いなぁと思うのだが、いつかこの?マークが消える日のことを考えると寒気がする。ここ万事屋は、ほぼ百パーセント間違いなく、幼児教育に適していない。
「いい加減にしてくださいよ、二人とも。ちゃん困ってるじゃないですか」
呼ばれた自分の名前にはピクリと反応し、口をぽかんと開けたまま新八を見上げた。眼窩に収められた深い漆黒の瞳、今にもぽろっとこぼれだしてしまいそうなほどに目をまん丸にした妖精の視線を見返して、新八はにっこり微笑む。
「この二人は放っておいていいから。はやく食べないと、ごはん冷めちゃうよ?」
「!」
はむ。新八に促されるまま、手元のごはん粒に噛み付いたは口をもごもごさせながら新八をもう一度見上げ、ほにゃりと笑んだ。とろけるような、という表現がピッタリとはまる笑顔。・・その純真無垢な手が寝起きの銀さんのひげを “おじいさんとカブ” よろしく、力ずくで引っこ抜いたという恐るべき事実を忘却の彼方に葬り去りながら、新八は小さくほぐした魚の身を箸でつまんで差し出した。もぐもぐごっくん、ようやく口の中のごはんを飲み込んだらしい妖精が、新八の差し出した箸の先、魚の身にかっぷり食らいつく。自分たちの世話で手一杯な銀時と神楽に代わり、の朝ごはんの世話をするのは新八の仕事だ。
「なに、お母さん気取り? 新八のクセにお母さん気取りですかコノヤロー」
「新八のクセにナマイキあるな、新八のクセに。メガネのクセに」
「いやそこ、メガネ関係ないからね。てゆーか新八のクセにってそれ二回言ったよね?」
「うるせーんだよ、メガネのくせに」
「・・いやだから、メガネ関係な 「うっせーよ、駄メガネ」
「よォオオオし、おめーら二人ともそこに直れェエエエ!」
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