Sakata-ke
:1-2
台所のほうから届く水の流れる音と、カチャカチャと食器の触れ合う音。几帳面にも割烹着を装着した上で万事屋の家事をこなす新八は、さながら家政夫だ。のようなサイズの天人が、一日いったいどれだけの量を食べるのか知らないためにはっきりとしたことはわからないが、それでもはよく食べる。もちろん絶対量を比べれば銀時の10分の1も食べないし、神楽と比べればそんなものゼロに等しいが、もし手乗りサイズのそれをビックライトか何かで彼らと同じくらいまで巨大化させれば、軽く銀時の二倍は胃の腑に収めているのではないだろうか。まったくたまごから出てきたのが妖精サイズでよかった、そうじゃなければこの万事屋にもう一人養う余裕などない。
生まれたばかりの雛にエサを運ぶ親鳥よろしく、にせっせと朝ごはんを食べさせていた新八が皿洗いに着手する頃。朝の情報バラエティーを楽しむ実に怠惰な時間、やれ誰と誰の熱愛発覚だとか、やれ今年のトレンドはこれだとか、まったくもってどうでもいい情報を銀時はあくびまじりに聞き流す。ソファの背もたれにぐだっと寄りかかり、とっくに見飽きた天井の木目を数えるようにぼんやり見上げた彼の耳に、突然飛び込んできたのは数字を数える神楽の声。
「いーち、にー、「よーん」 ごー、「さーん」 よー・・・・・・って何するアルか、この天パァアアア!」
どうやらトイレにこもって数え上げていたらしい、蹴破る勢いで開け放たれた扉が盛大な断末魔をあげ、とてもじゃないが耐震設備が万全に整っているとはいえない家屋全体に小さな揺れがはしる。
「何してんのか聞きてぇのはこっちのほうだよ、お前何してんの」
「かくれんぼアル!」
「・・誰と?」
「そんなのに決まってるネ! だれがお前みたいな天パやメガネとするアル」
「・・・・・・・・・別にいいけどね、銀さんだってそんなガキくせーことしたくないし?むしろありがたいくらいだし? ・・でもお前、が隠れ終わったとしてあいつどうやって “もーいーよー” って言うんだよ」
―――ぽく、ぽく、ぽく、チーン。
「ー! 隠れ終わったらワタシの肩たたくアル、そしたらワタシがを探しにいくネ!」
「隠れてねェだろーが、それじゃあ」
スパンッ。銀時にはたかれた頭を押さえ、神楽は口をへの字に曲げながら恨みがましく彼を見上げる。おそらく銀時、新八、神楽で組んでいた万事屋に、自分よりもずっと幼い存在ができたことが嬉しいのだろう、神楽はなにかにつけてに構いたがる。にとって生まれて初めての夜、定春の毛皮にもぐりこもうとした妖精をむんずと掴み、自分の眠る押入れで一緒に寝たまではいいが、その小さく弱弱しい体を見事腕のしたに敷いて布団の絵柄にしそうになり、一緒にお風呂に入ればあれほど湯船には入れるなといったのに溺死させかけ、寝起きの妖精の髪を梳こうとして首をぽっきり折りそうになった。生まれてからしばらく、が自身のあずかり知らぬところでくぐった死線の数は、下手をすると新八を超える。
『名前はもう決めたアル、“” ネ!』
二日目の朝、ややぐったりしている妖精とそれを見守る二人の前で、神楽は高らかに宣言した。どういう経緯を辿ってその名前をチョイスするに至ったかは知る由もない、けれど机の上に仁王立ちし、指をぽきぽき鳴らしながら言い放った夜兎族の生き残りに文句を言える人間がいるのなら、是非ともお目にかかってみたいものである。そのときはまだほとんど言葉を理解していなかっただが、『今日からお前の名前はネ、わかったアルか?』 と告げられたときに浮かべた満面の笑みがほか二名に対する決定打となり、今に至っている。
「むー、じゃあどうすればいいアルか? さっさと意見をいうヨロシ」
「なんでお前そんな上目線なの? ・・かくれんぼじゃなくて、なんか他のすりゃいーじゃねェか。例えばほら、宝探しとかよ」
「銀ちゃんがこっそり隠してるチョコレートを探し当てるゲーム?」
「違ェよ!ちょ、何言ってんの神楽ちゃん?ないから、そんなのないから!・・・・・ほんと、やっても絶対宝なんて見つかんないからね!」
とにかく、現在進行形でかくれんぼを続行しているを見つけないことには、宝探しをするにしろしないにしろ話が進まない。だが皿洗いを終えた新八を含め、三人がどれだけの名前を呼ぼうと、かくれんぼが一時休戦となったことをどれだけ切実に訴えかけようと一向に反応が返ってこない。彼らの声が聞こえないところに隠れているのか、それともちゃんと理解した上で彼らの言葉を疑っているため出てこないのか。の健やかなる成長を願ってやまない新八は、後者でないことだけを神に祈る。
隠れて出てこないのが神楽だったら話はまったく別のものになるのだが、体長10センチのが隠れるところなど山のようにありすぎて事が思うように運ばない。物を上げたり降ろしたり、小さな隙間を覗き込んでみたり引き出しの中身をひっくり返してみたり。年末の大掃除にも匹敵しようかという勢いで手当たり次第に部屋中をひっくり返しはじめて十五分、「あ。」 と声を上げたのは神楽だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・オイオイ、」
「・・・・・寝てます・・ね」
上や下への大騒ぎの中、我関せずの姿勢で体を丸めていた定春。その常識では考えられない巨体に比例した特級サイズの尻尾のした、白くふわふわな毛並みを毛布のように巻き込んで小さくなっているそれは、見下ろす三対の視線に晒されながらころんと寝返りを打った。もにょもにょと口が動くので、聞こえるはずもないのに思わず息を詰めてしまう
――図らずして三人から同時に発せられる軽いため息、互いの顔をちらりと見交わして今度は同時に苦笑する。歳の離れた兄妹を持つ気分、子どもを持つ親の気分ってのは、もしかしてこういう感じなのかな。胸に小さく呟いて、新八はそれをそっと奥のほうへとしまいこむ。
「・・・・で? この部屋どーするよ?」
―――とりあえず、机を元の場所にもどすことから始めましょうか。
十五分かけてひっくり返したものを、途中で目を覚ましたの手も借りながら一時間以上をかけて元に戻し、万事屋の面々はようやく一息ついた。時間はまだ午前中だというのに、妙な疲労感が彼らをすっぽり包んでいる。別にこのあと仕事が入っているわけでもないし、ちょっと時期外れの大掃除を敢行したと思えば多少の気休めに・・・・・・・・なるわけもなく、ソファの背もたれにずるずると背中を預けた三人は、いまにもどろりと溶け出してしまいそうな表情で天井を見上げた。仕事が入っていないのはどう考えても嘆かわしい状態だが、今日はそう言ってもいられない。これで西空が紅く染め上げられていたらまた話は別なのだ、しかし窓の外に見える青空からは燦々とした光が降り注いでいる
――・・まだあと半日あるって、何コレ、どんな焦らしプレイ?
睨みつけていた天井から動かした視線の先、銀時の片膝には足をぶらぶらさせながら座るがいる。珍しくテレビすらついていない部屋の中で、時計が刻む秒針の音と表から聞こえてくる音だけがゆるゆると流れる。空気にほどける静寂、とかく騒がしい万事屋において実に貴重な平穏は、しかしにとって退屈以外の何物でもないのだろう。小さな背中が落ち着かない様子で前後にゆらゆら揺れている。やがてきょときょと首を動かしたは、目の前に座った新八や神楽の真似をするように背中を大きく後ろにそらして天井を仰いだ。バランスを保つためか、それまでぶらぶらさせていた足をぴんっと前に突っ張らせる仕草が銀時の笑いを誘う。
「ちょっくら外出てくるかなァ、」
珍しいですね、いっつも部屋でごろごろしてるのに。新八のタチの悪いところは、こういうセリフを嫌味でも悪意でもなんでもなく、当たり前の感想として口にするところだと思う。それまで天井に向けていた顔をチラとこちらに向けたメガネ、けれどそれと一瞬だって視線を交えることなく銀時は首を仰向けにそらしたまま小さく息をついた。何となしにそう言ったはいいものの、やはりどう考えても面倒くさい。今日は部屋でごろごろぐだぐだだらだらしていても、新八に文句を言われない気がする・・・・「あー、やっぱさっきのなし」 という言葉が喉元までせり上がってきて、けれど銀時はそれを根性で飲み込んだ。くるっと自分を振り返った膝上の存在が、溢れんばかりの期待を込めてキラッキラした視線をよこしている。ここでもし 「やっぱなし」 などと口にしてみろ、このチビは “明日、なんか地球爆発します” と日比谷の母にでも言われたかのように、見る影もない絶望に打ちひしがれるに決まっているのだ。そうなれば最後、自分の命は番傘の露と消える。
「銀さん、お昼どうします?」
「あー・・なんか適当に食ってくらァ」
「銀ちゃんひとりで凶野家行ったりしたら許さないアルよ!?」
「・・・・ほら、お前も行くんだろ? 」
にぱっとわかりやすい笑顔をのぞかせた妖精はふわふわと宙に舞い上がり、いつもの場所
――銀時の頭頂部にこてんと座り込んだ。おもちゃのように小さな手が髪の一房を握ったことを確認して、彼はソファから立ち上がる。
「また馬鹿みたいにいい天気だなァ、オイ」
かぶき町の本番は夜だ、昼間のこの町は来る本番のためにじっと息を潜めている。といっても近くにターミナルがそびえるこの界隈は、多種多様な天人だったり町の住人だったりがひっきりなしに行き来しているため、夜半のこの付近よりは幾分か健全な賑わいに満ちていた。日が暮れるころになって明かりが灯りだす類の店ではなく、人の適正な活動時間に開けているごく普通の店が通りの脇を固める。・・そうでなければ、好奇心というアルテマウェポンを装備したチビを伴ってこのあたりを歩けるわけもない、銀時にだってここが子どもの情操教育に必ずしも適した場所でないことぐらいわかる。
そんな銀時の思いを知ってか知らずか、頭の上のチビはどうやら首だけでは飽き足らず、ぴょこぴょこと小さな体全体で周囲を見回すのに忙しいらしい。自分の頭の上に座り込んでいるの様子はどうがんばっても見えないが、つむじのあたりがムズムズと動くせいでその様子が手に取るように分かる。しかし時折、興奮にまかせて握った髪の一束をギュッと引っ張るのには閉口を禁じえない、普通ちょっとやそっとで抜けるはずのないひげを無理やり引き抜くほどなのだ、その可憐な見かけと裏腹には馬鹿力を有している。
「ちょっとちょっとちゃん? 前にも言ったけど、銀さんの天パは優しくそーっと扱わなきゃダメだからね?」
ほら、ぎゅってやった拍子にごそっと抜けたらもビックリすんだろ? ・・・・・・・いや、そんなことにはなんないけどね、どんだけぎゅーってやっても銀さんの天パは絶対抜けたりしないけどね!
天人としての特徴なのかそれともに限った話なのか、喋ることのできないはありとあらゆる手段で自分の意思を、自分の感情を伝えようとする。それは例えば綻ぶような笑顔だったり、頬にぴとりと触れてくる小さなてのひらだったり、着物の袖口にしがみ付いて離れない態度だったり。“自分” を全身全霊で伝えようとするの思いを汲み取ろうとすること、ある日突然降って湧いた小さな存在に彼らがしてやれることなど、そう多くない。ぎゅっと引っ張られた髪の根元付近、頭皮にぽんぽんと触れてくるチビに、銀時はふっと口元をほころばせる。
「
――・・ま、次から気をつけてくれりゃあいいから。いいってことよ」
それにしても、腹減ったなァ。ぽつりとこぼれた銀時の呟きが通りを吹きぬける風に消える。見上げた空に浮かぶ太陽は天高く、真上から地面を照らしていた。不意に頭の上にあったちいさな重みが消える、それと同時に歩みを止めた銀時の視界にはふわふわと宙を舞うチビが割り込んできた。「ん、どした?」 彼のそんな言葉に応えるように、は両手で自分の腹をすりすりとさすり、きゅうっと体を縮こまらせる。そして銀時の耳元へと宙を滑る、彼の耳は確かにきゅるるるると切なげに鳴く腹の虫の声を聞いた。
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