Sakata-ke
:2-1
まぶたの裏で、なにかがチラチラ揺れた気がした。とろとろの眠りに小さな体を預け、虫の鳴くような寝息を立てていたは誘われるように薄目を開ける。生まれて初めての夜、言われるままに神楽と同じ布団で眠り、そして予想通り腕の下敷きにされて大変な目を見た妖精だが(そういえば、あの花畑と大きな川はいったい何だったのだろう)、彼女の寝床はそれ以来神楽のとなり
――正確にはその枕もとだ。新八が様々な端切れを接ぎ合わせて作ってくれた彼女専用の掛け布団にくるまって眠るはあの日以来、比較的平和な夜を過ごしている。
やがて押し入れの中の闇に目が慣れはじめたころ、起きぬけのぼやぼやした視界の中で、ふすまの隙間から洩れてくる光がゆらゆら揺れていることに気がついた。普段はぴったり閉められているのだが、まるで曇天の空から差し込む陽光のように万事屋の明かりが入り込んでいるらしい。人間にしてみればほんのわずかな隙間だが、ポケットサイズのにしてみれば通り抜けが可能な大きさだ。は自身の枕もとに丁寧に畳んでおいた着物の内掛けをはおって隙間をひょいと覗き込む。
これをはじめとしたの衣服は、新八の姉である妙が幼い頃遊んでいた人形から拝借したものだ。もしバレれば自分たちがバラされることになると恐れおののいていた銀時と新八の心配をよそに、第六天魔王の生まれ変わりと謳われる妙は二言返事で了承し、そればかりか自身の勤めるキャバクラにを連れて行って、同僚たちから集めたミニチュアの衣服を山のように持ち帰ってきた。帯や足袋までそろった着物のセットからゆかた、はたまたナース服やひらひらのウェディングドレスまで、かき集められた衣服・・というか衣装は多岐にわたる。間違いなく自分たちのもっているものより数も種類も多い布きれの山を前に、銀時と新八の二人が呆然と眺めるより他になにも出来なかったのは仕方のない話だろう。
闇に慣れた目に、室内に満ちている明かりは眩しすぎた。眉間の辺りにはしった鈍い痛みにはきゅっと目を閉じる、やがてそろそろとまぶたを開けた先では、赤い襟巻きをした銀時が立ち上がってテレビの電源を落としていた。 ・・ぎんちゃんも、ねるのかな。 はこてんと小首をかしげる、眠るときに襟巻きはするものだろうか。寝起きのぽあぽあした頭でしばらく首をひねっていただが、新八や神楽が外に出たり外から帰ってきたりするときにこそ襟巻きをしていることを思い出し、そっか!と言わんばかりに手を打った。 ぎんちゃん、お外いくんだ! そう考えるがはやいか、は自身の小さな体を隙間にくぐらせ、宙に身を躍らせる。
――・・とろとろ桃のフルーニュってうまいの、あれ美味いの? つーかなんでこんな時間にあんなCMやってんだよ、数量限定ってなんだよ、なんだよあのとろとろ具合、やばくねアレ。なんか今逃したらダメな気ィすんじゃん、しかも新発売のティラミスとかすっげーうまそうなんだけど何、銀さんを欲求不満で殺す気ですか、糖分不足の欲求不満で殺す気ですか。
ついダラダラとテレビを見ていたのが悪かった・・・いや、たまたま偶然あのCMを見てしまったのが悪かった。いつどのタイミングで何が心に刺さるか、それが分かれば苦労はしない。けれど往々にしてその瞬間は何の前触れもなく訪れ、理性の武力介入を完全シャットダウンして手足をまるで自分のもののように操りやがる。どてらを着たまま襟巻きをぐるぐると首に巻きつけ、ゴーグルを取り、テレビの電源を落として玄関に立った銀時は大きなため息をつく、こんな夜遅くに一体自分は何をしているのやら。そう思いながらも玄関口でしゃがみこみ、ブーツに足を突っ込んでいる時点で自分の中のソレスタルビーイングは不戦敗を喫したようだ。
ため息まじりに立ち上がろうとした銀時はしかし、くんっと袖を引っ張られるような感覚に半身を振り返った。神楽に見つかるのは面倒だ、赤マルジャンプ買いに行くとでも適当なことを並べてこの場を乗り切ろうとくるくるよく回る頭で考えた彼は、袖口をきゅうっと握り、目をこすりながら自分を見上げる妖精を前に、舌の上まで来た言葉を飲み込む。
「・・・・・悪ィ、起こしちまったか?」
腕を伸ばしててのひらで包み込むように触れる。ふるふると首を振ったはとろんと眠気に溶けた漆黒でこちらを見上げ、そしてごく当たり前のように袖口に潜り込んできた。手首のあたり、どてらの厚ぼったい生地にひしとしがみついて離れない様子からするに、自分の目論みはどうやら看破されているらしい、少なくともこれから自分が外に出ようとしていることはばれているようだ。どうしてこういうところばかり勘が冴えているのか、銀時は苦々しい思いと共にため息を押し出す。これではスクーターで行くわけにもいかない、玄関の隅にゴーグルを置き、極力音を立てないよう注意しながら戸をあけた彼は夜空に白く息を吐く。
「・・・ったく、しょーがねェなァ」
銀時におけるの定位置は彼の頭の上だが、吐いた息が白く凍りつく冬の夜、薄手のパジャマに色鮮やかな内掛けをはおっただけの妖精を夜気にさらすわけにもいかず、今は襟巻きの間に埋もれている・・・・・パジャマがあったことにもビックリだが、人形用に作られたそれのくせにのほうが似合っていたことにもビックリだ、“の方が似合っていた” とか当たり前のように口をついて出てくる上に “当たり前じゃないですか” という言葉が当然のように返ってくる万事屋の現状にもビックリだ。
「・・寒くねェか?」
チラと視線を横に流せば、襟巻きからぴょこりと頭だけを出した妖精は、ふわっと息を吐き出しては夜色の瞳をきらきらさせている。どうやら自分の息が冬の夜気にさらされて白く染まるのが楽しいらしい、チカチカと星のまたたく夜空に息を吐き出していたは、銀時の言葉にふるふる首を振った。銀時は何かを思いついたようにふっと呼気をためる、そして不思議そうに自分を見上げている妖精の方を向いた彼は体の中の空気をすべて押し出すように、妖精にはぁっと息を吐きかけた。
「
―――!」
おどろいたようにきゅっと目をつぶって肩をすくめたは、視界を埋めた白いもやを取り払おうとするように小さな両手をわたわた動かしている。冬の夜に凍りついた吐息はしんと冷えた夜気にほどけるように溶けていく、そのすべてが消えてしまったあとも手を動かす妖精の様子にくつくつと笑みをのぞかせた銀時だが、わしっと握られた髪の一束を思い切りひっぱられて悲鳴を上げた。さすがに遊びが過ぎたかと思いつつも、いつもにこにこしているこの小さな存在がどんなふうに怒りを表現するのか興味がわかないわけではない。
「・・・・・・・・何、もっかいやれってか」
コクコク。音がしそうなほど大げさに首を縦に振ったは、銀時のマネをするよう夜空に息を吐きだした。妖精の小さな吐息は時を置かずして冷たい冬の空気に溶けていく、眉根をきゅっと寄せて不満そうにその様子を眺めていたは、“はやく!” と言わんばかりに握りしめた銀時の髪をひっぱった。・・・のわがままは、今万事屋の押入れでがーがー寝息を立てているチャイナ娘や一日の大半をのための繕いものをして過ごしている地味メガネに比べれば、財布の中身と同じくらいささやかなものだ。“わがまま” というより、“お願い事” という言葉の方がしっくりくる、銀時がそれを叶えてやらない理由はない。
「・・力の加減だけは、はやいとこ身につけてちょーだいね、ちゃん」
「・・・?」
目を丸くしてきょとりと首をかしげた妖精に、お願いどおり白い息を吐きかけてやる。今度は目をつむることなく、むしろ目をキラキラ輝かせて両手を打つ。ふっと呼気をため、同じように妖精から吐き出された白い息は、夜にほどける銀時の吐息とまざりあいながら溶けていった。
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