Sakata-ke
:3-2
「
――ってことはこのたまご、貰い物ってことですか?」
よそったごはんを銀時と神楽の前に並べながら、新八は言葉を聞き返す。ごはんを食べている間中抱きかかえているわけにもいかず、だからといってそのへんに放置しておくわけにもいかず、今そのたまごは銀時がついさっきまでもぐりこんでいた布団のなかだ。経緯を語るにしろなんにしろ、とりあえず朝ごはんにすることは満場一致で可決されたのだが、
「・・・・・・・神楽、お前よく “音が聞こえるネ” とか言っておきながら、卵かけごはん食えんな」
ずぞぞぞぞ。黄身と白身としょうゆとごはんとがぐちゃぐちゃに混ぜ合わされたそれを、盛大な音と共に啜る神楽を尻目に、銀時は机の上のたまごを新八に返した。「・・きょう俺たまごいいわ、冷蔵庫いれといて」 たくわんの甘辛さが、胃の腑に眠りかけていた食欲を揺り起こす。熱い味噌汁が全身の細胞に染み渡り、ゆっくりと覚醒へ導いていく気がして銀時はフッと息をついた、ゆるやかに昨晩の記憶が甦ってくる。
「おー・・なんか、隣に座ったのが妙に羽振りのいいジジイでな。そいつと妙に意気投合しちまって、何杯かタダ酒飲ませてもらったんだがよォ、」
そういえば、あんなシケた居酒屋には珍しく、身なりも随分立派なジジイだったような気がする。ニッと笑ったときにチラチラ見え隠れしていたあれは、そういえば金歯かなにかだったのだろうか。だが、だからといって金があることをひけらかしたりするような野暮ったいジジイではなく、ただ純粋に話があったその延長で酒をおごってもらった。居心地のいい愉快な場所に美味い酒、しかもそれがおごりとなれば気分がよくならないわけがない。散々酒を酌み交わした後、今日の出会いを祝してとかなんとか、別れ際に渡されたのがあのたまごである。
「そーいやぁあのジジイ、あと一週間ぐれーで生まれるとか生まれねェとか言ってたよーな・・」
「一週間って、もうすぐじゃないですか!」
「銀ちゃん、何が生まれるネ? やっぱりひよこアルか、それともジュラシック・パークあるか?」
「ジュラシック・パークが生まれるかァアアア!なに、このたまごどんな四次元ポケット!? よしんばそれっぽいのが生まれたとしても、ミニドラみたいのが出てくるに決まってんだろーが!」
「いや、ミニドラも出てこねーよ」
そのとき不意に、神楽は卵かけごはんを啜っていた手を止めた。もっきゅもっきゅと口の中いっぱいに頬張ったごはんを咀嚼する神楽、じいっと手元のごはん茶碗を見つめていた彼女は首をひねり、ゆるやかな曲線を描いたままになっている銀時の布団を眺める。・・・・あ、あれ?何この嫌な予感、なんかものっそいデカイのがずしんずしん地響きたてながら近づいてくるような悪寒がするんですけど。ティラノサウルス的な何かが近づいてきてるような気がするんですけど。銀時と新八は無言で互いの目を見交わす、ヒクヒクと奇妙に引きつる頬に開き気味の瞳孔。恐るべき予感に苛まれているのはどうやら、自分ひとりに限った話ではないらしい。
「・・・・・・・あのたまご、卵かけごはん何杯分になるネ?」
「ふざけんなァアアア! おま、“なんかあったかいアル” とか言っといて、何とんでもないこと考えてんだオイィイイ!」
わずかに小首を傾げ、晴れ渡った青空のようにどこまでも澄んだ瞳でそう言い放った神楽がソファから立ち上がれないよう、小さな両肩をがしりと掴んだのは銀時で、和室に取り残された哀れなたまごを布団の上から覆い隠すように抱きかかえたのは新八だった。彼らのコンビネーションは抜群である、神楽の胃袋はきっと宇宙(コスモ)とつながっているに違いないと信じる彼らにとって、「あのたまご、卵かけごはん何杯分になるネ?」 という彼女の言葉は殺害予告と変わらない。
「別に取って喰おうなんて考えてないアル、ちょっとした興味ネ」
「“喰う” っていう漢字を当てた時点でお前のセリフには説得力のカケラもねーよ」
まったく末恐ろしいガキである。
「・・だって銀ちゃん、考えてもみてヨ。あのたまご一個でワタシたちの何日分の卵かけごはんになると思ってるアルか? あのたまご一個で、何個分のケーキができると思ってるネ?」
「だからァ! そーゆーことじゃなくて・・・・・・・・・・・・・あれあったら、いくつぐらいケーキ作れんだろ」
「オイィイイイ! 買収されてるぞ、あんたケーキって単語に買収されてんぞ!」
まったくロクでもないバカ共である。それぞれの欲望にどろりと濁った視線が布団越しにもたまごを舐めまわしている気がして、新八は自分の体を盾にするように割り込ませて彼らの視線から遠ざけた。 お前ら一体どこの変態オヤジだ。 取り出したたまごをぎゅうと腕に抱きかかえる、銀時が眠りこけていたときの温かさが残っていたとはいえ、たまごひとつを布団の中に取り残してきた割にそれはやはり温かい。この殻の中にはきっと生命(いのち)が息づいているのだ、ほんの少しでも可能性があるのなら、これを奴らの手に渡すわけにはいかない。
「よく考えてみてくださいよ。確かなことはわかんないですけど、このたまごがちゃんと生きているとします。銀さんが聞いた話じゃ、あと一週間くらいでたまごは孵るんですよね?」
「俺はそう聞いたぜ?」
「・・あと一週間で生まれるんですよ?」
「だからそれがどーしたアル」
まったく、この二人はどうも想像力が足りなくていけない。というか、想像するための脳ミソが足りなくていけない。はァ、と吐き捨てるようにため息をついた新八に、銀時と神楽のふたりはそろって眉をひそめる。常々から地味だの駄メガネだの新八だのと罵っているだけ、自分たちよりも上のような物言いをされるのは非常に腹立たしい、なんかムカつく。そんな二人の剣呑を本能で察知したのか、新八は続けざまに言葉を重ねた。
「あと一週間で生まれるってことは、このたまごの中には多分 なんかひよこっぽいもの がいるに違いないんです」
「「・・・っ!」」
「多分もう、銀さんたちが期待する たまご はその中にはないと思いますよ?」
―――たかが一週間、されど一週間。もし今この段階で、テーブルの角とかにたまごをぶつけてひびをいれ、わずかにできた隙間に親指を捻じ込んでぱかりとやってみろ・・・・・・・・・とんだトラウマの出来上がりである。この先一生卵かけごはんはおろか、ゆで卵すら満足に食べられなくなること請け合いだ、スーパーの卵売り場ではきっと謎の幻聴を聞くことになるに違いない。
「・・・・・・温めるつったってなァ、一日中たまご抱えてるわけにもいかねーし」
「一週間もじっとしてるなんて、ワタシには無理ヨ」
新八の提言は絶大な威力を持っていた、それまでねっとりとした視線をこちらに寄越していた二人はまったく同時に背中を向ける。彼らが一体どんな想像を巡らせたのか新八には知る由もない。けれどたまごを抱えたまま二人の座るソファの向かいに腰掛けたとき、目の前に並んでいた二つの顔からは分かりやすく血の気が引いていた。腕の中に収められているたまごを視界に入れるや否や、首ごと視線をそらすあたりとんでもないものを想像したのだろう、深追いしそうになる思考を無理やり押さえつけながら新八は口を開く。
「確かにそうですよね・・・でもほっとくわけにもいかないし、どうしましょう」
くあぁぁ。フッと言葉の途切れた無音の室内にひびいたあくびは、銀時でも新八でも、神楽のものでもない
――部屋の隅で毛づくろいをしていた定春は、自身に注がれる三対の視線にきょとんと首を傾げた。世話にはなっているものの、定春は自分の世話をしてくれている彼らがそれほど利口にはできていないことを知っている。・・頭の中で打ち鳴らされる警鐘、本能的にそこからずらかろうと玄関へ飛び出した定春だが、それよりも一歩も二歩も早く退路を封じられて牙を剥く。定春なんかよりもずっと獣じみた直感で飛び出した彼らのコンビネーションは、至極どうでもいい時にだって健在だ。
「定春くぅーん、ちみちみ、お父さんになるつもりはないかね?」
とりあえず、目の前の白モジャを鮮血に染めることに決めた。
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