Sakata-ke

:3-4



その日、三人と一匹の落ち着かなさといったら、Mr.ブシドーが今度は一体何を言い出すのか、ビリーの口から今度はどんなヤンデレ発言が飛び出すのか、テレビの前でそわそわしている視聴者と同じほどである。新八はいつも万事屋に出てくる時間よりも一時間ほどはやく出てきたし、そんな新八が万事屋の玄関を開けたときにはすでに朝食のいいにおいが室内を満たしていた。洗濯するから着替えてください、と言われるより先にさっさと着替えて洗濯機に放り込んでおいたし、昼間外に出ないことを見越して十分量のチョコレートも買い込んである。部屋の隅で丸くなっている定春はいつも以上に大人しく、ふかふかの毛皮のしたにたまごを抱え込んで動こうとしない。――今夜は、人々の欲望渦巻くメガロポリス江戸でも美しい満月を望むことができるだろうと、テレビの中の結野アナが言っていた。

「いよいよ、ですね」
「そーだな、」
「ついにこの日がやってきたネ」
「・・そーだな、」

奇妙な沈黙、銀時の手が一定の間隔でジャンプのページをめくる。

「・・・・・・・つーか、この会話何度繰り返せば気が済むんだよ、お前ら」

結野アナの天気予報はなるほどよく当たる、万事屋の窓からのぞく月はわずかな翳りもなく、綺麗な円を描いて濃紺の空にぽっかりと浮かんでいた。毒々しい色をしたネオンがちらつくかぶき町の夜、清廉な白い月光が家々の屋根を淡く縁取っている・・・・・なぜか寝巻きを持参していた新八は、風呂上りの濡れた髪から水分を拭いつつ、ソファにだらしなく横になった銀時を振り返った。

「仕方ないじゃないですか、気になるんですもん」
「新八の言うとおりヨ! 銀ちゃんこそ緊張感が足りないネ、もっとワタシを見習うヨロシ」
「ポリポリポリポリ、酢昆布ばっか食ってるお前に言われたくねーよ」

一日とは24時間のことで、24時間とは1,440分のことで、1,440分とは86,400秒のことで・・・一瞬で駆け抜けていく一日もあれば、亀のように這い進んでいく一日もある。万事屋にたまごがやってきてからちょうど一週間がたったこの日は、疑う余地もなく後者だった。亀という表現すら生ぬるい、カタツムリとかナメクジとかが適当である。いつ来るとも知れない “その時” を前に、朝からずっとそわそわ落ち着かなかったのだ、西の空に夕日が沈む頃には三人ともとうに疲れ果てていた。

「・・神楽ちゃん、もう遅いし、眠いなら寝てもいいよ?」
「・・・・・・・・うるさいネ、新八のくせに」

とは言うものの、神楽の声はとろとろの眠気に溶けかけている、力任せに目をこするそばからまぶたがいかにも重たそうに閉じかけていた。ジャンプの誌面から顔を上げ、そんな神楽の様子を横目でチラリと確認した銀時は小さくため息をつく。確かにあのジジイは一週間という期限を口にしたがそれは結局 予想 でしかないわけで、絶対に今日たまごが孵る保障などどこにもないのだ。“今日” がはじまって既に22時間と少し、残り少ない今日に賭けるより、明日に賭けたほうがよほど利口だろう。心配そうにする新八の隣でうつらうつら舟をこぎ始めた神楽に言い含めるよう、彼は口を開く。

「神楽、お前もう寝ろ。・・なんかあったら、起こしてやっから」
「・・・・・銀ちゃんと新八だけで感動の瞬間をひとりじめ 「するわけねーだろ、俺らはどこのジャイアンだ」
「・・絶対起こしてヨ、生まれて一番にワタシをおぼえさせて舎弟にする計画、台無しにするの許さないアル」
「お前がどこのジャイアンだ」

アン! それまでずっと、部屋の隅で静かにしていた定春が声を上げたのは、しぶしぶといった様子で神楽が立ち上がったその時だった。三者三様に疲労をにじませていた彼らの視線が、それぞれ放たれた矢のように定春へ向かって集束する――正確には、丸くなっている定春の腹の辺りに。

「ちょ、押さないでよ神楽ちゃん!」
「うるさいネ、駄メガネ! お前の居場所なんてここにはないアル!」
「何それ!? 僕だって見たいに決まってるだろ!」
「あーもーうるせェなお前ら、少しは静かにしてらんねーのかよ」

膝を抱えてぎゅうぎゅうになりながら、三人は定春を囲むように座り込む。妙に人口密度が高くなっている部屋の一角で、ぼろいタオルの上に鎮座していたたまごは三対の視線に晒されながら、誰に動かされることもなく ころん とタオルの上を転がった。・・誰に、動かされることもなく。

「! 銀ちゃ、これ・・!」
「しぃーッ、黙ってろ! ほんの出来心でやったいたずらが思った以上に騒ぎになると、今さら名乗り出るわけにはいかねーみたいな空気になんだろ、出ていきたくても出られねーみたいな空気になんだろ」
「・・・え、今のいたずら?」

コツ、コツ、とたまごの内側から小さな音が響く。殻を破ろうとしているのだろう、断続的に響くその音はとても小さくて、少なくとも新八には外側から眺めている限り、到底割れるとは思えなかった。けれど、たまごの中の生命に諦める様子はサラサラない、少しの間沈黙しても、それまでよりわずかに大きくなった音が沈黙を埋めるように聞こえてくる。・・もどかしい、どうしようもなくもどかしい。手助けしたくて、殻を割ってやりたくて、はやくその姿に出会いたくてうずうずする。けれどそんな衝動に駆られたのは新八だけではなかったらしい、視界の端で神楽の手がたまごに伸びる。

――・・やめとけ、神楽」

唸るような銀時の声に、神楽の手がビクリとかたまった。ほんのわずかだってたまごからぶれない銀時の視線、静かな横顔に神楽の表情がくしゃりとゆがむ。 だって銀ちゃん! 追いすがる神楽の言葉を、降り注ぐ月光のような静寂に満ちた声が封じる。闇夜に浮かぶ冴え冴えとした三日月のような、春に降る冷たくもあたたかい銀色の雨のような。寂々とした響きが、夜気にするするほどけていく。

「それは、コイツが今、自分ひとりの力でやらなきゃならねェことだ」

―――・・がんばれ、と先に口にしたのは神楽だったか新八だったか。今生まれようとしている生命が頑張っていることなど百も承知しているし、自分たちの言葉が何かの手助けになるとも思っていない。けれど言わずにはいられなかった。奥歯をわずかに噛み締めて、ツバをこくりと飲み込んで、まるで祈りの言葉を紡ぐように。ただひたすらに、たったの四文字を降り積もらせていく。がんばれ、がんばれ、がんばれ。

パキッ、という音を伴って、殻に小さな亀裂が走る。たまご全体に広がる亀裂はやがて、その中心部に闇を穿ち――

「わぁ・・!」
「・・・・・・え、マジで?」
「えええ、ちょ、これ、えええええ?」

割れたたまごの隙間から顔を覗かせていたのは、ひよこでもミニドラでもなんかちっさいトカゲみたいのでもない。窓を開ければ広がっている夜空を封じ込めたような漆黒の瞳に漆黒の髪、呆然として声もない三人をあどけない表情で見上げ、からだの前できゅうっと腕を縮こまらせたそれ――ポケットサイズの妖精は横たわる沈黙の中で、くちっと小鳥が鳴くようなくしゃみをした。

「! ちょ、何二人ともボーッとしてんですか! はやくお湯とタオル取ってきてくださいよ!」
「・・・・・・?」
「だから、このまんまじゃ風邪引いちゃうじゃないですか・・・って神楽ちゃん!? 何それ、なんかすっごい湯気立ってるんだけど!」
「・・・・? ポットのなかに残ってたアル」
「殺す気かァアアア! そんなん生まれたてじゃなくても死ぬだろーがァ!」
「し・・新八! タオルってこれで 「いいわけねェだろ!なんで銀さんが風呂上りに使ったタオル使いまわしにせにゃならんのですか! ・・・ああもういいよ、僕がやるよ!お前らほんっと使えねーな!」

駄メガネをして “使えない” 呼ばわりされた二人は、バタバタと万事屋内を駆け回る新八を尻目にちいさくうずくまっている。さすがに今の自分たちが役に立つどころか足を引っ張るだけの存在になっていることは理解しているようだが、しゅん・・と小さくなった大小の背中にフォローを入れられるほどの余裕は新八に残されていなかった。人肌程度まで冷ましたお湯を洗面器についで、洗ってあげるよう銀時に告げる。無言でコクコクとうなずいたマダオの後ろで神楽が不満そうにくちびるを歪めているが、新八には彼女が力加減をまちがえて昇天させてしまう残酷極まりない画しか浮かばなかったためスルーした。

清潔なタオルを確保して幾ばくかの不安を抱えながら戻ってきた新八はしかし、あまりに微笑ましい光景にひとり小さく笑ってしまった。ちゃぷちゃぷ、と水が揺れる音が控えめに聞こえる中、並んでいる二つの背中は微動だにしない。水面をたたいて遊んでいる小さな生きものを食い入るように見つめる二つの横顔は、まるで初めてのものを目の前にした子どものような好奇心に満ち満ちていた。生まれくる生命、生まれたての生命。そんなものを目の当たりにしたのは新八だって初めてだ、それが童話にある 妖精 のような姿をした天人ならなおのこと、逸る好奇心を抑えて彼らの隣にうずくまる。

「まさか、たまごから人が孵るとは思いませんでした」
「・・・・・だな、」

新八が持ってきたタオルは一瞬で掻っ攫われた、真っ白なタオルで妖精のからだ全体を包み込むようにして神楽が水気をふき取っている。キラキラと輝く神楽の瞳からは、さきほどまで輪郭をとろりと溶かしていた眠気がウソのように吹き飛んでいる、その興奮がいつどの瞬間振り切れ、底の知れない馬鹿力でてのひらの中の生命を屠るかわかったもんじゃない。銀時と新八のふたりはその光景をかなりヒヤヒヤしながら見守っていたのだが、どうやら神楽自身も相当の注意を払っているらしかった。タオル地の間からぴょこんと顔を覗かせた妖精がふわりと笑ってようやく、神楽は緊張でわずかに強張っていた表情をくしゃくしゃにほころばせる。

「銀ちゃん! 見てこれ、生きてるヨ!」
「・・スゲーな、コイツたったの一言でこれまでのすべてを台無しにしやがった」
「でも、なんていうか・・・・・・・すごい、ですね。僕ちょっと、感動しちゃったんですけど」

銀時はタオルに埋もれたそれに手を伸ばす、つやつやと光る黒髪にそっと指をすべらせ、てのひらですっぽり包み込むようにして妖精に触れた。――・・とくん、と手の中の小さな存在が脈を打つ、いつだかに聞いたのと同じあたたかさ、同じやわらかさで。やろうと思えば、今すぐにでも捻り潰せる小さな生命。生殺与奪はほとんどすべて自分にかかっているのだと・・・そう考えた瞬間、不覚にも指が震えた。腹の底からせり上がってくる何かに息が詰まる、これが所謂 恐怖 なのだと気付くのにそう時間はかからなかった。

「・・・・銀ちゃん?」
「銀さん?」

もぞもぞと、てのひらに擦り寄ってくる小さなぬくもりに口の端がほころぶ。

―――・・ああ、ほんとスゲーな」


愛の
生まれるところ


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愛の生まれるところ ... ジャベリン
writing date  09.02.21    up date  09.03.24
・・・・・あれ、これゆめしょーせつ?