Sakata-ke

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「・・・・・・・なんだァ? ありゃ、」

将軍のお膝元、江戸の治安を守る武装警察真撰組、一番隊隊長 沖田総悟。愛用のアイマスクを引っさげ、いつものように行きつけの茶屋の縁台でぷらぷら時間を潰していた彼は、ひたいに持ち上げたアイマスクの隙間から それ を見て怪訝そうに眉をひそめた。それの正体は決して口うるさい母ちゃんのような上司ではない、もしそうだとしたらとっくに彼のバズーカが文字通り火を噴いている。しかしその使い込まれたバズーカのトリガーは引かれることなく、また白日の下でゆらりと光る白銀の刃も行儀よく鞘の中に収められたまま、ただ彼の蘇芳色の瞳だけが釘付けにされている。

―――・・道の端っこを、なんかちみっこい人間みたいのがとぼとぼ歩いていた。

大きさは目算にして、ちょうど沖田のてのひらと同じくらいだろうか。人間の子どもをそのままスモールライトかなにかで縮小したようなちみっこい生きものが、やけに明るい色の着物をずるずる地面に引きずりながら歩いている。時折顔を上げてはきょろきょろと辺りを見回し、けれど傍目にもひどく分かりやすく表情を曇らせて首を折り、またとぼとぼと歩き出す。そのちみっこい生きものにしてみれば大層な距離なのかもしれないが、ごく平均的な人間の一歩を使いこなす沖田にしてみれば、視界の端から端までを通り過ぎていった距離はおおよそ十歩といったところだろうか。沖田にとってのわずかな距離で、そのちみっこい生きものは五回以上あたりをうかがってはガックリうな垂れてを繰り返し、ぽてぽて歩き続けている・・・なんともアホらしいというかバカらしいというか。・・やんぬるかな、彼の辞書に “健気” という言葉は存在しない。

「・・さっきからおめェさん、何してんでィ?」

好奇心をそそられた、というのが一番正しい。その見慣れないサイズは確かに人目を引くだろうが、それは人々の視界に入ればこその結果だろう。日常において、自身の足元に手乗りサイズの人間が歩いているなんて想像するものはゼロに等しく、彼らは総じてそんな生きものの存在に気付かない。かくいう沖田だって、自分がいつものようにあのいけ好かない土方バカヤローの命を虎視眈々と狙いながら道を歩いていれば、そのちみっこい生きものには気付かなかったに違いない。ただ、偶然たまたまなんとなァく行き交う人々を眺めていたからこそ彼はその存在に気付いたし、だからこそ人々に思わず踏みつけられそうになったり、巻き上げられた砂ぼこりに包まれてけほけほ咳をしたりしているそれに興味を持ったのだ。

しかしそのちみっこい生きものは、沖田の呼びかけに歩みを止めることなく、彼をちらりと振り返ることさえしなかった、まるで聞こえていないような素振りで革靴のとなりを通り抜けていこうとする。・・サディスティック星の王子だのドSだのという声を聞いて久しく、沖田自身も自分のそんな性質をただそれとして客観的に捉えていた。自分が他人の話を聞かないのは別になんとも思わない、けれど “自分の” 話を聞かれないのとそれとはまったくの別問題だ。

「・・・・おい、無視してんじゃねェや、このチビ助」
―――!」

着物の襟足を指で摘むようにして持ち上げる、重さはちょうど真撰組隊舎で時々見かけるネズミやなんかと同じくらいだろうか。急に地面から足が離れたことにおどろいたらしいそれが、沖田の手から逃れようとじたばたもがく。その拍子に、ただ羽織っていただけの内掛けからチビ助の両腕がずるりと抜けた、ぱちりというまたたきをひとつ残して小さな体が地球にぐんと吸い寄せられていく。・・空いている方の手を出したのは、反射神経が理由だ。

「・・・・・・・大丈夫かィ?」

沖田のてのひらの上にこてんと座り込んでしまったそれは、大きな目を白黒させながら彼を見上げ、呆けたようにこくりとうなずいた。口が小さく開いている、ぱしぱしというまばたきの音が聞こえてきそうだ。

「おめェがいきなり動くからいけないんだぜィ」

ぽかんと口を開けたままのちみっこい生きものは、沖田のその言葉でようやく思い出したように、寒風の中で体を震わせた。犬猫をつまみあげるようにした沖田の片手には色鮮やかな内掛けが残されたまま、人差し指と親指でぶら下げられている。艶やかな見掛けに関わらず、このちみっこい生きものにとってこれは所謂 防寒着 でしかないらしい、すっくと二本の足で立ち上がったそれが精一杯に腕を伸ばして着物を取り返そうとする――・・が、ここで生まれついてのS心が疼かないはずがない、いわんやサディスティック星の王子が、である。ニタァ、と片方の口の端だけを吊り上げて沖田はわらう。

「これを返してやる前に、なんで俺を無視したのか・・聞かせてもらいやしょーか」

沖田の手のひらの上でぴょんぴょん飛び跳ねていたそれは、彼の言葉にぴたりと動きを止めた。不思議そうに首を傾げ、ぱちぱちとまばたきを繰り返している・・・・もしかして本当に気付いていなかったとでも言うつもりだろうか、このチビ助。すぅ、と鋭く目を眇めた沖田はギリギリあと少し届かないところに着物をはためかせ、くちびるを凶悪に歪める。

「なんとか言ったらどうでィ? そんな態度じゃ、いつまで経ってもこれァ返せねえなァ」

そのチビ助は、突然パッと目を見開いた。まばたきもせず、食い入るように沖田を見つめ――やがて、引き結ばれたくちびるがふるりと震える。眉間に刻まれた薄い皺、きゅっと細められた瞳の輪郭が不意に揺らいだ。ああ、これは泣き出す三歩手前なのだろうと、大した感慨を抱くことなくそう思う。

「なんでィ、言いたいことがあるならはっきり・・・・ってうお!」

隊服のポケットに収まるようなサイズの人間が存在することも想像していなかったのだ、まさかそれがふわふわ空を飛べるなど誰が予想できただろう。ふわりと沖田の手のひらから舞い上がったそれは、思いがけない俊敏さで目の前にぶら下げていた着物を奪い取った。警戒心をあらわにする犬猫のように彼から視線を外すことなく、けれどじりじり後ろに退いていく。・・・・・・・・沖田は、ニタリと口の端を吊り上げた。薄いくちびるの間から、白い歯がちろりとのぞく。

「はーい、公務執行妨害で逮捕しまーす。お巡りさんの繊細な心を傷つけたー」
「・・・っ!」

さていったいどこから取り出してきたのやら、目の前を掠めた虫取り網になんかちみっこい生きものは分かりやすく顔色を悪化させた、即座に踵を返して逃げ出そうとする。・・まァ、そのちみっこい生きものは空中でホバリングしていたわけだから “踵を返す” というより “身を翻して” のほうが表現として正しいのかもしれないがとにかく、生きたエサしか食べないヘビの飼育ケースに放り込まれたウサギのごとく、まさしく脱兎のようにそれは逃げ出した。

しかしそこは、人々の欲望渦巻くメガロポリス江戸の治安を守るチンピラ警察・・・・あ、間違えた、武装警察真撰組の斬り込み隊長、泣く子も黙るサディスティック星の王子、副長の座を狙って日々腹の中をダークマターで漆黒に塗りつぶしている沖田総悟である。せっかく見つけた 暇つぶしのオモチャ を見逃すほど彼は間の抜けた人間ではなかったし、そしてまたそれ以上に善人でもなかった。

「おー、鬼ごっこかィ? そうとなりゃ俺が鬼だ、・・せいぜい捕まらねェよう必死で逃げるんだな」

その場で何度か屈伸をして三秒、刀の代わりに虫取り網を握った沖田はクラウチングスタートを切った。


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