Sakata-ke
:4-2
「総悟! テメェ市中見回りサボってまた何やって・・・・・・・・・・・え、それ何?」
真撰組の頭脳、また鬼の副長と名高い土方十四郎は、隊内における中心人物であるくせに誰よりも厄介ごとを引き起こす頭痛の種・・・部下である沖田を前に、思わず口にくわえた煙草を取り落としそうになった。自分たちが真撰組という看板を背負って町を練り歩き、気になった人間に職務質問をかける
――そういう地味な仕事が、治安を守る上で決して軽視できたものではないことを知っていながらわざとサボる、たまに真面目に仕事をしているかと思えば所構わずバズーカをぶっ放す、ヒマさえあれば自分を副長の座から引きずりおろそうと画策しているような、要するにろくでもない部下。ここは屯所の一室で部屋の中には土方のほかに沖田しかいないが、そのろくでもない部下の手がバズーカや抜き身の刀を握っているのはまだ理解できる(・・・いや、よくないけど。ほんと全然よくないけど!)。
――だが、奴が虫取り網を手にしている現状は、さてどう解釈したらいいものか。
「何って・・虫取り網でさァ。んなことも見てわかんないんですかィ、土方さん。もう死んじまったほうがいーんじゃねェの?」
「よーし総悟、腹を切れ。介錯は俺がしてやる」
灰色の網がさきほどからずっともぞもぞ動いている、明らかに網から逃げ出そうともがいている。サイズとしてはちょうどこぶしと同じくらいだろうか、何か羽音が聞こえてくるわけでもないし、虫というよりはネズミとかそういう類のものが飛び出してきそうである。
「・・・何が入ってんだ、それ」
「ああ、クソ忌々しい土方死ねコノヤローのところに来たのは他でもねェ、こいつのことなんですがねィ」
「何企んでんのか知らねェが、とりあえず言ってみるだけ言ってみろクソガキお前が死ね」
「こいつを、飼おうと思ってるんですがねィ、」
ずぼっと灰色の網に手を突っ込んだとたん、中でもぞもぞ蠢いていた 何か の動きがぴたりと止まった。はっきりしたことはわからないが、明らかに沖田の手がそれをがしりと鷲掴みにしたらしい、声にならない悲鳴が聞こえた気がして土方はぎょっとしたように体を引いた。以前将軍のペットであるカブト虫を捜索したときの、小動物(・・一部、小動物じゃないものも混ざっていたが)にたいする扱いのむごさはいまだ薄れた記憶ではない。・・思わず両手の皺と皺を合わせるのと同時に、屯所の庭のどこにその可哀想な生きもの だったもの を埋葬させるかについて思考を巡らせるあたり、土方はやはりフォロ方だ。
「
――・・サド丸32号でさァ」
「えええ、ちょ、何それ、えええええ?」
いっそ事切れたネズミやスズメの類が鷲掴みにされていたほうがよかったかもしれない、沖田の手から逃れようと懸命にもがいているそれは、人間と変わらない姿かたちをしていた・・・ただひとつ、その大きさがポケットサイズであることだけを除いて。まるでおもちゃのような両腕をつっかえ棒にして、どうにかこうにか指の間から自身の体を引き抜こうと足掻きつづけている。その様子に高みの見物を決め込んでいるらしい沖田の口元に浮かんでいるのは酷薄な笑み、土方はひくりと頬を引きつらせる。
「・・・・・・・お前、何やってんだオイ」
「何って、躾でさァ。ご主人様の顔見て逃げ出すたァ、ペットの風上にも置けねェや」
ペット、という言葉が頭の中で 下僕 に自動変換されたのは何も土方だけの話ではない、それまでだって魔の手から逃れようと懸命にもがいていた小さな生きものの抵抗は、よりいっそうの必死さを帯びた。ザァッと顔を青ざめさせたそれが、死にもの狂いで指のあいだをすり抜けようとする。
「・・いい加減にしとけよ、総悟」
「あ、いきなり何すんですかィ」
手のひらの拘束をわざと解き、一目散に逃げ出したチビの着物の裾を二本の指で捕らえた沖田はまったくぶん殴ってやりたくなるほどのイイ笑顔だ。体が前に進まないことに振り返ったチビは(当たり前のように空を飛んでいることに、目を丸くしたのは土方ひとりだ)、自身も着物をぐいぐい引っ張ってあらたな拘束から逃れようとくちびるを噛み締めている。・・・・そのチビの手助けをしてやることは、人間としてひどく当たり前のことのように思えた。
「知ってるか、お前みたいな奴のことを世間じゃ 誘拐犯 ってんだぞ」
「ヘェ、そりゃ初耳でさァ。じゃあ何でもかんでもマヨネーズぶっかける野郎のことは、窃盗犯でも言うんですかィ?」
「・・・・どこをどうしたら窃盗犯に結びつくんだよ、」
「周囲の人間の食欲をことごとく奪い去っていきやすからねィ、あの犬のエサは」
反射的に土方の右手は腰に下げている刀の柄を握り、まるで呼吸するような自然さで抜刀の構えを取った。一呼吸おく間もなく鞘から抜き放とうとした土方はしかし、右手の袖にぬるりと入り込んだ生温かさにやたら気の抜けた声をあげる、それはまるで思いを寄せている同級生と廊下の角で偶然ぶつかり、散らばったノートを拾い上げようとしたら図らずも手と手が触れ合ってドッキリ!みたいな、それなんてギャルゲー?みたいな、ぶっちゃけひどく気色悪い声だった。
「な、な、な、何してんだテメェは!」
そんな声を上げてしまった土方自身、ぎょっとしたように顔の表情筋をひくつかせてしまったのだ、袖の中にずるっと入り込んだチビに声を荒らげたところで、ただよう今さら感は否めない。土方が恐る恐る目をやった先で、部下たる沖田はこれ以上ないほどに表情をゆがめると、吐き捨てるように・・・というか本当にツバを吐きつけながら 「・・・うざっ」 と言い捨てた。ここはあくまで室内である、断じて屋外ではない。
「オイ総悟・・、」
「あぁ、すいやせん。持病の “ツバ吐かないと死んじまう病” が、」
「お前が持病を患ってたなんて話は初めて聞いたぞ、ドS以外に持病があったなんて知らなかったぞ」
「土方コノヤローの気持ち悪さが、生理的にアウトだったんでさァ」
「なんだその中二女子がデブの担任嫌うような理由。ふざけんなよ、俺はデブでもハゲでもねェ!」
「マヨではありますがねィ」
「マヨをその括りにするんじゃねーよ、殺すぞコラ」
再び刀の柄に手をかけた土方だが、袖の中をずるずると這いずり回る生温かさに全身の肌を粟立たせた。どうにかこうにか口からこぼれそうになる声は押し殺したものの、なかのワイシャツをよじのぼっているらしいチビの様子に今度は笑いが止まらない。ふっ、とかみ殺しきれなかった笑いが口をついて飛び出た瞬間、土方はげらげらと腹を抱えて笑い出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・何してんですかィ、土方さん。あんた今、最高に気持ち悪いですぜィ」
見下ろす沖田の目は心底冷え切っている、南極大陸の永久凍土だってこれほど凍てついてはいまい。やがて土方の隊服の襟元からぴょこりと顔を出したちみっこい生きものと土方に対する沖田の視線は、鞘から解き放たれた鋼の鋭さにも似ていた。沖田とチビのそれがバチッと音を立ててかみ合うや否や、そのチビはようやく出てきた土方の隊服にまたもぐりこもうとする。・・もちろん、それを許すほど土方の反射神経は鈍くなどなかったが。
「・・で? お前は何がしてェんだ、」
つい三十秒前まで息も絶え絶えに笑い転げていた人間とは思えない態度で、土方はまるで猫の子・・・ネズミの子でもつかむように、ちみっこい生きものつまみ上げた。着物の襟足をつままれたそれは、両手両足をぶらぶらさせながらきょとりと土方を見返している。まあるく黒々とした瞳を覆うまぶたはいちいち動きが大きい、不思議そうに土方を見返す姿から判断するに自分の言葉はきちんと聞こえているのだろうが、薄く開かれたくちびるは一向に言葉を紡ごうとしなかった。土方は大袈裟なため息をつく。
「ずっとこの調子なんでさァ、全然喋ろうとしやがらねェ」
「言葉が通じねェってのか? ったく、面倒くせェもん拾ってきやがって」
そのとき、土方の手にぶら下がっているチビが突然動いた。きゅうっとくちびるを引き結んだそれが、ぷるぷると勢いよく首を振る。おかげで土方は、ずり落ちそうになる小さな体をもう一度つまみなおしたほどだ。
「は? 何、何が言いたいんだお前、」
「“土方死ねコノヤロー”」
「お前が死ね総悟、
―――・・そうか、もしかしてお前、口が利けねェのか」
パッ、という音がしたかと思ったくらいだ。分かりやすく表情を明るくしたチビは透明な漆黒で土方を見上げ、彼の言葉を肯定するようにコクコクうなずく。肩口のあたりで切り揃えられている黒髪はすでに沖田の魔の手によってふわふわ踊っているが、当の本人は自分の髪がどうなろうと知ったことではないらしい。そのうなずいている様があまりに必死なので、土方は思わず笑ってしまった。ふっと口の端を吊り上げて、やわらかく苦笑する。
「そんなブンブンうなずいてっと、ぽろっと首落ちんぞ」
ぴたり。土方の手にぶら下げられているチビは凍りついたように動きを止め、そしてまじまじと土方を見返した。顔の面積の割に比率の大きな瞳が、食い入るように土方を見つめる。
「・・・なんだよ、俺の顔になんか付いてんのか・・・・・・って、オイィイイ!? いきなり何、何なんだよ!?」
小さく口を開けたままぽかんと土方を見返していたはずのそれが、その面影を消し去るのにかかった時間は三秒にも満たなかった。ふくふくとした下唇をチラとのぞいた白い歯が噛み締めている、眉間には刻まれることに慣れていない皺がうっすらと浮き、まあるい瞳の輪郭がぐらぐら揺れる。・・マジで泣き出す五秒前、いや、三秒前だ。小さく震えだしたチビの存在に、土方の表情がひきつる。
「あーあ、土方さんが泣ーかしたァ。ほんとサイテェー」
「黙ってろ総悟! 大体、まだ泣いてなんか・・「泣き出しやしたぜ、今」
ぼろぼろぼろっ。背景に擬音語を書き加えるとしたらまさしくこれだろう、目の縁に溜まった大粒の、しかし土方や沖田にしてみればそれこそスズメの涙のようなそれがほろほろと頬を伝う。ひくっ、と盛大に喉を引きつらせながら、しかしわんわん声を上げて泣き喚かないあたりが妙に痛々しい。口を利けないという特徴上、別に声を我慢しているわけではないのだろうが、相手に与える罪悪感は確実に三割ほど増している。たまに迷子のガキが屯所に連れてこられたりしても、鬼の副長という通り名や鋭い双眸のせいで怖がられ、あまつさえ何もしてやいないのに泣かれることも少なくない土方だ、泣いているガキを放っておくことには何のためらいもない。
「あー・・・・泣いてんじゃねェよ、めんどくせぇ」
けれど今なら、ジャイアンの気持ちが心からよく分かる。
いつもの30分番組ならのろまなのび太はイジめてなんぼ、泣かしてなんぼの世界だが、それが二時間のスクリーンに移行した途端手を貸さずにはいられなくなる。いじめっ子だって、いつもいつもいじめっ子をやっているのはいやなのだ、たまにはいいところを見せてしずかちゃんに タケシさんすてき と言われてみたい。・・たとえそんなジャイアンの影で、スネ夫が途轍もない悪役に染まろうと。
手のひらで包み込むように触れる、力の加減を少し間違えればぽっきり折ってしまいそうなだけに慎重にならざるを得なかったが、存外このチビはそういう風に触れられることに慣れているらしかった。わずかに首をすくめ、頭のてっぺんを押し付けるように擦り寄ってくる。・・なるほど、総悟の言うペットという言葉はあながち的を外していないのやもと思った土方は、そこでぴたりと思考を止めた。そういえば先刻から、これのご主人様だと言って憚らないサディスティック星の王子が背景に溶け込んでいる気が・・・・・、
「ちょ、誰か来てくだせェ。ここに幼女をかどわかした極悪人がいまさァ」
「総悟ォオオオオオ!」
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