Coupling Parody

:fairy story (4-1)



2月14日 バレンタイン・・・・人間が自分の妖精に、日頃の感謝と親愛を甘いお菓子に込めて贈る日。
年末年始の忙しさからようやく抜け出し、つつがない日常が戻り始める頃。その気配はじわじわと足元から忍び寄り、街を乗っ取り、世間を包み、人々の意識を席巻する。二月に入れば、チョコレートやクッキー、キャラメル、キャンディー、マシュマロなど、多種多様なお菓子が店頭に並べられ、洋菓子店からスーパーまでどこもかしこも甘い匂いを発散させる。普段はせんべいやスナック菓子が並べられているスペースはこの時期になると隅へと追いやられ、新しく設けられたスペースに所狭しとディスプレイされるのは妖精サイズの菓子、菓子、菓子の山。ふわふわとして掴みどころのない高揚感はそうして人々を伝播し、見る見るうちに増幅されてひとつの国をまるごと飲み込んでしまう。

「なァ、ティエリア知ってる? アレルヤは、今年も手作りなんだって」

そうしてこのどこまでもお気楽な国全体を包み込むふわっふわした空気は、ティエリアの妖精にもその影響を与えていた。レポートに取り組んでいるティエリアが、自身のために用意したコーヒーの隣。自分の両腕を広げたときよりも、さらに大きなシュークリームにかぶりついていたは、口の周りを粉砂糖で真っ白にしながらティエリアを見上げる。昼間、研究室で貰ったものを大事そうに抱えて自宅まで持ち帰ってきたは、黙々とレポートに取り組むティエリアを見上げてシュークリームの包みを開けた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

人間用のそれを妖精が食べるのはなかなか一筋縄ではいかないらしい、いつまでたってもカスタードクリームにたどり着けないことに苛立ち始めた自身の妖精を一瞥し、ティエリアは小さなため息をつく。――できるだけシューを潰さないようにしながら二つに割ってやれば、とろりとあふれ出してくる柔らかなカスタード。すいっとティエリアの手元まで浮かびあがった彼の妖精は、こぼれそうになるカスタードを口で受けてへにゃりと口元をほころばせた。こぼすなよ、というティエリアの言葉に小さな体全体で大きくうなずき、シュークリームの断面にかぶりつく。

バレンタインという国内の製菓業界がしかけた販売戦略にこの国全体が踊らされるようになってしばらく、どうやらこの日は人間が思ったよりもずっと、妖精たちにとって重大な意味を持つ日になってしまったらしい。この日を境に、“○○という妖精を探しています” という連絡が格段に増えるのだと報じるニュースを見たティエリアは、まず純粋にその内容に対して驚き、次いで 「まァ、そりゃそーしたくなるよな」 というの小さな呟きを耳にしてもう一度驚いた。つまり、バレンタインデーを無視するという行為は、普通の妖精にとって絶対的ともいえる範囲から失踪させるだけの力を持つのだ。・・そしてそれは、とてもじゃないが “普通” とは言いがたいティエリアの妖精にも、当然のように適応されるわけで。

「なァ、ティエリア知ってる? アレルヤは、今年も、手作りなんだって」

普段、ティエリアに一言の断りもなく好き勝手にふらふらしているだが、街全体に甘い匂いが漂うようになると途端にティエリアの傍を離れなくなる。いつもは一度声をかけた程度では絶対に目を覚まさず講義が始まってもうつらうつらしていることのほうが多いのに、この時期になると朝一番の講義から机の隅っこに座り込んでじっとティエリアを見上げている・・いつ答えを聞かれてもいいように、ぴりりとしたほどよい緊張感を孕みながら。

これではまるでクリスマス前だけやけに聞き分けのよくなる子どもだが、大きな間違いもないだろう。帰り道、巻きつけているマフラーの隙間からひょっこりと顔を覗かせ、甘やかな匂いを漂わせている洋菓子店を呆けたように見つめるが何を望んでいるのか。それがわからないほどティエリアは、自身の妖精に対して無関心を貫けない。

「・・・・・・なァ、ティエリア知ってる? アレルヤは、「それで三度目だぞ」
「っ、じゃあなんか言えよ!」

むすっとわかりやすく表情を歪め、眉間に皺を刻んだはそれでも噛み付いたシュークリームから手を離さない。シュー生地をちぎってはカスタードをつけて頬張り、時々思い出したようにティエリアのコーヒーに口をつける。焦げ茶色の水面にカスタードの油脂分がうすく広がっている、スゥと眉根を寄せたティエリアは、しかし何も言わなかった。

――・・それで?」

どこからそんな情報を仕入れてくるのか知らないが、はこの時期甘いものに関してひどく詳しくなる。数週間おきにコンビニに陳列される新商品などではない、常なら手を伸ばそうともしない割高な洋菓子店の商品について、この時期だけ妙に知識を抱え込む。・・ティエリアは物心付いたときからこれまでずっと、バレンタインを妖精の要求に応えてやることで乗り切ってきた。いつだってワガママをいう前に我を通す彼の妖精が、年に一度だけ、はっきりとわがままを口にするその日を。

「・・・・・・・・が・・、いい」
「は?」

見下ろす深紅と見上げる漆黒が一瞬交差する。頬にカスタードクリームの淡い黄色をくっつけたまま、はくちびるをふるりとわななかせ、喉を震わせた。俯いた妖精の小さな肩が二、三度上下し、そして一呼吸置いた後にすうっと呼気を吸い込んで、

「ティエリアの、つくったのが、いい」

自身に向かって、まっすぐに告げられた言葉の意味を理解するのにかかった時間は十秒弱。長いと見るか短いと見るかは人それぞれだろうが、このときティエリアは短いと思い、は長いと思った。コチ・・コチ・・、と変わらぬリズムで秒針が刻む時間だけが、ふたりの間をゆるゆると平等に流れていく。

「・・・・は?」
「・・ティエリアのつくったのがいい」

半ば呆然と妖精を見下ろすティエリア、彼の妖精はまるで自身に言い含めるように同じセリフを早い口調で言い切った。妖精の口元がきゅっと引き結ばれ、カスタードをつけたままの頬が奇妙に引きつる。緊張を飲み下そうとしているかのように小さな喉がこくりと上下し、けれど不安定にゆらゆらと揺れる漆黒は決してティエリアから逸らされない。飲み込まれそうなほど深い闇色のそれに、目眩がする。

「なにを・・いきなり、」
「いきなりじゃないよ、前からずっと、それがいいなあって思ってた」

そんなことは一言も、そう言おうとしたティエリアの薄い唇は、縋るような漆黒の瞳に晒されて封じられた。

「でも、ティエリア困るだろうなって思ったから、ずっと言えなくて・・・・・だって、おれ、いっつも刹那とかハレルヤに自慢されるんだよ、手作りもらったって。・・いや、二人とも自慢ってゆーかどっちかっていうと “男の手作りかよ” みたいな顔するけどさ、やっぱ、なんか違くね? これまで買ってもらったチョコレートもケーキもシュークリームもクッキーも大好きだよ、全部ごっさおいしかったしうれしかったよ、でも・・なんか、そうじゃなくて、」

だんだんと大きくなる声量、しかしそこでハッと言葉を切ったはぐしゃりと表情を押しつぶした。笑い出しそうな、泣き出しそうな、怒り出しそうな、言葉では言い尽くせない様々な表情を一度に浮かべてみせるという実に器用極まりない、それでいてどこまでも不器用な表情で、は自分の周りに流れる時間だけをカチリと止めた。ヒュウ、と妖精の喉が悲鳴をあげる、糸の切れたマリオネットのようにくたりと首を折り、背中を丸めたは、ゆるゆると大きく息をつく。

「・・ごめん、なんでもない。今の忘れて」


ツキン、と―――・・刺すような痛みに震えたのは、果たしてどちらの心臓か。


「・・・・・それでいいのか」
「え、」
「忘れて本当に構わないのかと聞いている」

まるで新たに水や養分を与えられた植物のように。ゆっくりと顔を上げたそれの漆黒が、まばたきをするたびにその輪郭を増していく。いま世界をやわらかく包み込んでいる夜を、ぎゅっと押し固めたような闇色の瞳、パートナーであるティエリアにさえなかなか悟らせない本心を封じ込めるそれ。の足が音もなく机から浮かび上がる、ふらふらと頼りない軌跡を辿ってティエリアの肩に降り立った妖精は、肩口で切り揃えられているティエリアの紫苑をごそごそまさぐった。

「・・・・・・・・・・忘れろっていったの、あれ、やっぱなし」

ぼそぼそと妖精の口の中で呟かれた言葉は、人間にとって秒針が刻む時の音よりも小さい。けれどティエリアは、自身の耳元で紡がれたそれをほんの一音だって聞き逃さなかった。ぴとり、と首筋になにかが触れる、つめたくて、けれど確かにあたたかな何か。ティエリアはそれに決して手を伸ばさない、きゅうっと黙り込んでしまった妖精に言葉を促すようなこともしない。ただ動かず、じっとしている。コーヒーから静かに立ち昇る湯気を、黄色いカスタードがどろりとはみ出したシュークリームをぼんやり眺めて。

「・・味の保障はしかねるが」
「・・・っへへ、知ってる」

novel / next