Special story

:1-2



じりじりと、妖精の我慢が擦り切れはじめた。基本的に、何かを我慢するとか耐え忍ぶとか “待て” とか、そういうものを意識的に意識の中から弾き出して痕跡すら残さない銀時だ、チョコレートというエサを与えたとはいえこの時間静かにしていられたのはいっそ上出来だろう。両腕で支えられていた一口チョコレートはとうに彼の腹の中だ、絶対不変の真理であるはずの質量保存の法則に、こんな抜け穴があるとは驚きである。

飛行能力を取り戻した銀時は、手元を照らす蛍光灯のかさの部分に足を組んで座っている。死んだ魚のような目は決して生き返ろうとしないが眉間の皺は深くなったようだ、妖精の貧乏揺すりのせいで光源がチラチラ揺れるのが心底鬱陶しい。マグカップに半分程度しか残っていなかったコーヒーにいつのまにか投入されていた五個の角砂糖は、溶けきることなくカップの底をざらざら流れている。こんな風にするんだったらきちんと最後まで飲んでほしい、わずかにまなじりに力を込めれば銀時はふいっと顔を背けた。長い付き合いだ、互いの言いたいことは口にしなくてもわかることが少なくない。のため息に、銀時は知らん顔だ。

「・・・・最後の奴って、もしかしなくてもジミー?」
―――・・、え?」

あーなんだっけ、名前忘れちまったな・・ほら、真撰組の、と後ろ頭を掻きながらごにょごにょ続ける妖精に、は今日診察した最後の名前を告げた。基本的に外来を受け入れるのは午前中まで、午後は別に入院患者を診て回ったりするのが普通だが、今日は午前の外来診察で終わりだった。

「そうそう、それだよ山崎。山崎ジミー」
「退さんです、」
「ふーん、今日ジミー来てたんだ」
「・・・・・・・・・・・・」

はぁ、と軽いため息をひとつ残しては立ち上がる、カップの中には つい三十分前まではコーヒーだったなんか香ばしい匂いのする砂糖水 が揺らめいているが、口をつける気にはならなかった。はコーヒーにも紅茶にも砂糖を入れない。カップは診察室の奥にある流し台に出して水を注いだ、こうすれば手の空いた看護師がついでに洗ってくれることを知っている。

「あのマヨラーも来たろ」
「・・・・・よく分かりましたね」
「煙草臭ェんだよ、ここ。大体、院内は禁煙だろ、そんなの許していいんですかァー?」

どうしてだか知らないが、銀時と土方は馬が合わない。それはもう “馬が合わない” なんて生易しいレベルではなく、顔を合わせれば互いが互いの癇に障るようなことを言い合い、時には剣を交え、まったくどこの小学生かというような意地の張り合いを延々と繰り広げるひどく面倒くさいコンビだ。その都度、土方の妖精である山崎は自分より体の小さな妖精の旦那に張り合うなんてと愚痴をこぼすが、にしてみれば銀時だって変わらない。体の小さなものが大きなもの相手に対峙する様はなるほど判官贔屓という民族特有の価値観をくすぐるが、それはにとって自分の妖精に適用される心情では決してなかった。大きなため息を再び重ねるに、銀時は苛立ちをあらわにする。

「あのなァ、いつも言ってっけど、あんなのホイホイ部屋に上げてんじゃねーよ。いつか捕って食われんぞ」
「・・銀さん、ここが診察室なのわかってます?」
「関係ねェよ、簡易とはいえ一応ベッドあんだろーが」

この大馬鹿者はいったい何を考えているのやら。

「あ、おま、信用してねェだろ! 銀さんの言うこと信じてねェな!?」
「信じられるわけないでしょう。・・確かに土方さんはちょっと横柄なところあるけれど、いい方じゃないですか」
――!」

ぬぼっとして感情を映さない瞳を大きく見開いた妖精は、酸素を求める金魚や鯉のように口をパクパクさせて 「な・・っ、ちょ、な、っ」 と言葉になる前の音の切れ端を口からぽろぽろこぼす。・・この妖精が次に何を言い出すのか予測がつかないほどは彼と短い時間を共にしてきたわけではないし、頭の回転が遅いわけでもない。彼女はフッと呼気をためる。

「お、おおおお前、っまさか、あのクソヤローにほ・・っ、ほほほ、惚れてるなんてこたァ、「ありません」

やっぱり言った、思ったとおりだ。

「私がこれまでにそんなこと、一度だって言ったことがありますか?」
「・・・・・で、でも俺が見る限りじゃ、あのヤロー絶対お前に惚れてんぜ。間違いないね、ウン」
「・・土方さんがそんなこと、これまでに一度だって言ったことがありましたか?」
「あるわけねーだろ、そんなん絶対許しませんから。言っとくけど、銀さん絶対許しませんから!」

ふらふらと宙を横切り、降り立った机の上で偉そうにふんぞり返る銀時を指で弾いてやる気すら起きず、はこの日一番のため息を絞り出す。土方と遭遇するたび、こんな姑じみた小言を延々聞かされていればため息だってつきたくなるし、面倒くさくだってなる。そんなの態度が癇に障ったらしい銀時は、「だァからお前は、」 だの 「ため息は一日一回までだって言っただろーがァアアア!」 だの 「まったくもうアンタはいつもいつも・・!」 だの、あることないこと喋り倒している。・・ああまったく、これだから嫌なのだ、妖精なんて。

「大体なァ、お前は昔っからそうなんだよ! 高校ン時、やたら絡んでくる先輩いたろ、こーへいさん。アイツ結局なんも言ってこなかったけど、アレ絶対お前に惚れてたから、隙あらば暗がりに連れ込もうとしてたよアレ。なのにお前ときたら俺がどんだけ言っても聞きゃしねェでよォ・・・ほんとさー、あの時お前の貞操守れたの絶対俺のおかげだから。俺がいなかったらお前の貞操なんて中学で喪失してたよきっと、いやマジで」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「いやだから銀さんが何言いたいかっつーと・・・・えーと・・あれだよ、ほら、土方なんてニコ中の皮かぶった狼だっつーことだ、ミイとかケイだって歌ってんだろ? 男は狼なのっよぉ、つって 「銀さん、」

怒られると思ったのだろう、の呼びかけに銀時はきゅっとくちびるを結ぶ。・・怒られると分かっているのならさっさと口を噤めばいいのだ、まったく。そういうことができないのはこの妖精の不器用に由来しているのか、それとも皺の足りない脳ミソが原因なのか。おそらくは後者だと結論付けたはまたゆるゆるとため息を重ねた、は彼が妙に小器用であることを知っている。

「・・・帰りますよ、銀さん」
「え、ちょ、さん!? 待って、さんストップ!」

肩口にどっかり足を組んだ妖精を乗せ、は病院を後にする。こんな仕事に就いていると様々な妖精と出会う機会があるわけだが、日々を重ねれば重ねるほどわかってくるものがある。それは、自分の妖精がいかに 変わり者 であるかだ。言っちゃなんだが、こんな風に死んだ目をした妖精になど出会ったことはないし、きっとこれからだって出会う予定などないだろう。

先生、お疲れ様です」
「あ、お疲れ様です」
「銀さんも、また顔出してくださいね」
「おォー・・」

知らないうちに、またナースステーションに遊びに行っていたのかと思うだけでは特に何も言わない。言っても無駄だと知っているからだ、看護婦とか女医とかいう言葉に対して妙に食いつきがよかったのは何も今に始まった話ではないし、こんな風になんだかんだ悪くない評判を保っているのなら釘を刺す必要もないだろう。自分たちは揃いもそろって、とうに子どもではないのだから。

「・・・・・87、59、85ってとこか」
「・・声に出すのはやめるようにと、言いませんでしたか?」

耳元でぼそりと呟かれた低い声に、は表情を変えることなく口先だけで応じた。最近働き始めた優しくて美人と評判のナースである、仕事もテキパキとそつなくこなすし、も彼女を気に入っているのだが。

「・・・・え、今の声に出てた?」
「ええ、そりゃもうばっちりと」
「マジでか。・・・・・・・・で、ほんとのとこはどーなんだよ」
「スリーサイズなんて知るわけないでしょう、いい加減にしてください」

特技がスリーサイズの目測と概算だなんて、情けなさ過ぎていっそ笑えてくる、こんな力を持った妖精など他に見たことがない。どこぞの素敵マユゲを持つコックじゃあるまいし、銀時が持っていてもただのセクハラにしかならない力だ。しかもそれを本人も薄らぼんやりと自覚しているのか、“妖精” という己の立場を利用している節があるのだからろくでもない、もしセクハラで銀時が訴えられたときには被害者側の証言台に立とうとはかたく決心している。

「冗談だろじょーだん、本気にすんじゃねェよ。・・・・・・・あれ、つかお前ムネ減ってね?」

おいおいマジかよ、俺ァ胸の谷間からじゃじゃじゃじゃーんしたり居眠りこいたりすんのが夢だって前から言ってただろーが、なに勝手に夢からどんどん遠ざかってくれちゃってんのお前?

妖精が死ねばパートナーである人間も死ぬ。・・その妖精を救う医者であるはずのだが時折、この妖精本当に死んでしまえと思う。


novel / next