は今、正直、実のところ、いやはやなんといえば良いのやら―――とりあえず、ものすごく弱り果てていた。世界を渡ってきたばかりの彼女の前に、確かに問題は山積しているが差し当たっての厄介ごと困りごとは・・・目の前の、男。

「ほう・・・なかなかに面白い 人 ですね」
「そ、そりゃどーも」

出会って5分と経っていない人間のことを“初対面”の部類に分けることなく接することが出来る人 ――きっと世間はそういう輩を“馴れ馴れしい”と冠して呼ぶと思うのだが―― まぁそういう輩を除いて普通の人間なら、今の自分の状況に首を傾げずにはいられないだろう。いやまぁ、この期に及んで自分が普通だとも思っていないが、しかし。この世界にやってきた今しがた、確かに自分は虚空から落ちてきたけれど、だがしかしである。

「あの、ですね。会って3分も経っていない人に“面白い”呼ばわりされることも、十分納得いかないんですけどでもですね、それよりとりあえず―――は・な・れ・や・が・れ、コンチクショウ!」

色素の薄い髪をゆるく束ね、目の周囲や鼻筋などを朱で隈取った・・・例えば、道すがら擦れ違っただけなら「お、今のイイ男だなァおい」とでも是非またお目にかかりたいと思うくらいよく出来た容貌なのだが、それが鼻先15cmに存在されると正直引く。何コレ、どういう嫌がらせ? この世界じゃあ自分が“面白い”と思った人間には出会って2分でこんな至近距離観察を開始しても問題ないわけ? それだったら自分もこの人観察して、いいのだろうかと思った矢先、不意に開けた視界には目を細める。今の今まで遮られていた光が酷く眩しい・・・・・光を遮るほど至近距離だったのかコイツ。

「それは・・・・・・、すみません」
「スゲーな、人ってそんな謝罪の気持ちの入ってない謝罪言えるんだ」

着流しの裾をぱたぱたとはたきながら、はもう一度改めて・・・今度こそ普通と思しき距離をとって、感情を滲ませない派手な男を見遣る。白粉でもつけているのか、男の面は不気味なまでの白を帯びていて、眦を縁取る朱色と鋭い瞳が酷く際立って見える。光に透かせば消えそうな色の薄い髪は一つに結わえられ、乱雑に纏めただろうにそれがいかにも仕様のように思えるのだから、整った顔を持つ人間というのはまったく厄介だ。召し物も奇異の視線をわざわざ集めたがっているようにしか思えないほど派手で、なのに様になるのだから恐ろしい。神様って生き物も、もうすこし万物に対して平等に造ってくれればいいものを、と誰にともなく己の胸に呟くが、そういう自身、町を歩けば擦れ違う人間にそう思われていることを知らない。

「そんなつもりは、なかったのですが・・ね」

無意識のほうがタチが悪いと思うよ、と口に出して言わなかったのは自分の優しさの形だと思う。と、その時不意に男の傍らにあった、これで結構大きいサイズの黒い箱がカタリと小さな音を立てた。箱の中から響いたその音はの興味を引く―――いや、正確にはの中に在る“力”を惹きつける。

「・・・随分と、大きな箱だな」
「薬売りを、生業としていますので」
「へぇ」

胸のうちで力の源がざわめいているのがはっきりと感じられる。これの状態を人間に喩えるなら、それはまるで酒に酔ったときのような。くるくると舞い、ゆるゆると退く。自分よりも圧倒的に大きな力を目の前に、歓喜しているような畏怖しているような、そんな酷く落ち着かない心持ち。まるで見えない何かに吸い寄せられるように、の手がすうと舞い、その薬箱に触れようとしたとき。彼女の手をふわりと掬い取ったのは、薬売りである。

「商品、ですので。・・・・申し訳ありませんが」
「・・それもそうだよな。うん、こっちこそゴメン」

触れた手は意外なことに人間らしい温もりに満ちていた。骨張った長い指に伸びる爪は薄紫が施されていて、手も彼の顔と同じ色に白い。・・ということは、ああなんだ、白粉塗っているわけじゃないのかも。逸れた思考の隙間から、するりと入り込んできた“何か”。それはあまりに突然で、だがしかし決して不快ではなく、だからこそ警戒心が発露する。弾かれるように薬売りの手から逃れれば、男は「・・・おや」とでも言いたげに目を上げた。

「どうか、されましたか・・・・ね?」
「・・別に」

しらばっくれる気か、コイツ。どうやら、そんな心の裡に染み出した感情が、素直に顔に出ていたらしい。

「随分と、怖い顔をなさる」

放っとけ、要らん世話だ。舌の上まででかかった台詞を常識と理性の総動員で飲み込み、その代わりにため息を吐き出して―――気付く。ついさっきまで大きな力を前にあれだけざわめき、落ち着きを失くしていた己の中の「力」が、山中深くにある湖面のように穏やかに静まっている。これは決して、上からの恐怖によって押さえつけられた類の静寂ではなく、まるで寝静まっているかのような・・・。どうしていきなり、と考える間もなく思い当たるのは目の前の男――思考の隙間にするりと入り込んできた“何か”、それを送り込んできたと思しき、この薬売り。

「・・・あんた・・、」

見上げる視線の先で薬売りが、上側だけ紫に彩られた唇をにぃと吊り上げた気がした。

「あんた・・・、何者?」

不意に吹きこんできた風に薬売りの髪が舞い、着物がはためく。どこからか運ばれてきたのか、踊る花弁はいかにも目に美しく、香る空気は芳しい。目の前の男はしかし、それら全てを凌ぐほど、それら全てを支配しうるほどの妖艶さをもって、静かに口を開く。

「只のしがない 薬売り です、よ」


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