「けれどまぁ――“真”に近づいたのは、さんのおかげ・・かもしれませんが、ね」

え?、と薬売りの言葉を聞き返す暇を与えられず、畳の上におろされた。見上げる口元が笑んでいる。彼を包む空気ががらりとその色を変え、それは圧倒的な迫力で人々を威圧する。感情を滲ませない瞳がまるで睥睨するように、彼らを射抜く。

「あのモノノ怪は、大旦那さん・・貴方ではなく、まっすぐに貴方の母君を襲おうとした。思い当たる節は、ありませんかね」

な、何が言いたい!

「いえね、あのモノノ怪が皆様の仰るとおり、貴方に殺されたお義兄にいさまの生み出したものだとするのなら、襲われるのは貴方であるはずなんですよ・・・母君ではなく、ね」

だからッ! 私は殺してなどいない! 私は義兄上を、殺してなど・・・っ私は、ただ・・!

「ただ・・? では、貴方 が殺していないとすると一体 誰 が殺したんでしょうねぇ・・・」

そ、そういえば、兄上は仰っていました。差し上げた薬は、母上に教えてもらったものだから、間違いは・・ない、と・・・。

わたくしも、お義母さま直々に教えてもらった調合だから、今にきっと良くなるだろうとあなたが言っておられたのを、覚えております!


「ほう・・・貴方がお義兄さまに調合して差し上げた薬は そちらの母君に伝授していただいたもの なんですか」

見る見るうちに青ざめていくその様子が、真実なのだと告げていた。


「血を分けた実の息子に家督を取らせんと、何も知らぬ貴方に 薬 だと偽り 毒 を調合させた母君。そんな義母に体の内からじわりじわりと蝕まれ、終に命を落とした義兄君と、そして――!」

「知らぬうちに、義兄を殺してしまった 貴方 が――― 真 」




剣の翁がまた一つ カチリ と音を立てて、得たばかりの真を噛み砕く。

「残るは  ただ一つ―――話ちゃあ、もらえませんかね?」

一人蚊帳の外で、四人と一人が対峙しているその光景はひどく異様に思えた。なにせ、彼らはつい先程出会ったばかり。たった一人、その立ち振る舞いで、その目で、その声で――場の空気を支配し、視線一つで人を動かす。

何故・・何故、義兄上にそんな真似をなさったのですか! 私には、とても信じられません・・・・っ

―――と、言いますと?」

兄上は・・いえ、我ら兄弟は、血の繋がらぬ義兄を心から慕っておりました。誰にでも、分け隔てなく接される義兄に、憧れていたのです! それに兄上は、この店を継ぐ気はないと・・・そう仰っていたではありませんか!

「ほう・・・・それはまた、どうして?」

兄上は・・絵師になり「お黙りなさい!」

ぴしゃりと柄杓の柄で打ち付けるような声が、轟いた。それまでずっと、沈黙を守っていた母親から発せられた声はまるで銅鑼の音。噛み締めた彼女の唇からつぅ、と真紅の血が伝う。ありったけの怒りと憎しみを込めた視線が睨みつけるのは、ここにはいない誰か。

「・・我が愛しい一の息子は、この店を継ぎたかった。ゆくゆくは、同じく愛しき我が二の息子に暖簾を分け、大事に大事に守っていきたかった・・・・なのに!」
「あの男が―――あの忌々しい女の息子が、その行く手を阻む! ・・・私は、息子の願いを叶えただけ。恨まれるなどとそのような・・・私にはとんと見当がつかぬ」

どくん、とまるで生き物のように――結界を包むモノノ怪の気配がより一層濃厚になった。あらん限りの恨みを、持ち得るだけの憎しみを、己の内では処理出来ぬ怒りを、そして零れる涙で海を創れそうなほどの悲しみを。飲み込んで、それは辺りを取り囲む。



店の大旦那になんぞ、なりたくはなかった。あの義兄を差し置いて店を継ぎたいなど・・一度足りとて思ったことはなかった――! 絵師になりたい、と・・父にも母にも言えなかった私の夢に、一言「頑張れ」と言ってくれたあの優しい義兄。いつか絵師として名を成したなら、誇りと共にあの人が継いだこの店を描いてみたかった。・・なのに、なのに! 私は・・あの、優しい義兄を、この手で・・・・!

「これでようやく、お前が跡取り息子となれた・・・ああこの日を、この日をいったいどれだけ待ち侘びたことか」

私が殺した、義兄を・・そして己の夢を! 許さぬ、決して許さぬ・・・父の妻、いや大店の奥方という肩書き欲しさに義兄の実母を殺すことを、義兄を私に殺させることを、己の欲のためなら人を殺めることをも厭わぬ女を、血の繋がったこの母を・・・・俺は決して許さない――



「・・・  を――得たり」

剣の翁が最後の一つを カチン という音と共に噛み砕く。
溢れる思いが力となり、モノノ怪をさらに膨れ上がらせる。畳みにへばってしまいそうなほど濃密な気配が、胃の内容物をせり上げる。気力と根性でそれを飲み込み、立ち上がろうと足を踏ん張ったとき、小さく投げかけられた声には動きを止める。

「後は俺に、任せていろ」

眼を剥き、朱色に染まる襖は次の瞬間、がばりと音を立てて崩れ去る。思いを食み、力を増したモノノ怪は対峙する薬売りの前で地の底に響くような唸り声を上げる。


「・・・人の世に在るモノノ怪は、斬らねばならぬ。――モノノ怪を生み出すのが、人であろうとも」

 と  と  に於いて・・・・剣を  解き 放つ ッ!」


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