金 じゃあ勝ったらジュースおごって
「・・・土方さーん、ここわかんない」
「・・あ?」
向かい合わせた2つの机。前の机にへばりついているが、ずいっとノートを差し出してくる。
どこだよ、と土方が問いかけると、は無言のままシャーペンである問題をぐりぐりとまるで囲んだ。
あくまでも、机にへばりついたままで。
「つーかこれ、さっき説明したろーが」
「・・まじ?」
「マジだ。これとほとんど同じだろ」
「あ」
ナルホド、と納得したらしいが、再び問題に取り組みはじめる。
その様子を見て、土方はフッと小さく微笑んだ。
が数学を教えてくれ、と土方に泣きついたのは3日前。
あさっては数学の中テストが待ち受けているのだが、何を血迷ったのかは沖田と勝負をすることになったらしい。沖田はあれで何気に数学なんかは得意で、クラスでも上位層に食い込んでいる。
一方は、赤点を取るほど悪くもないが、だからといって決してよくもない。
そんなが沖田と勝負するなんて、初めてその話を聞いたときに土方は「アホか」とをはたいたが、当のはやる気マンマンで。
基本的に負けず嫌いな性格が幸いしたのか果たして祟ったのか、は沖田に勝つために土方を師事し、こうしてここのところ毎日、放課後に居残りして勉強に勤しんでいた。
「スゲーな、土方さん。なんでこんなのわかんの?」
「なんでわかんねぇんだよ」
はムッとしたように、眉をへの字に曲げる。
「知ってるだろ? 俺は理科系のが好きなんですー」
「なら普通数学もできるもんだろ・・」
頬を膨らませてぶーたれるだが、問題を解く手は止めないから土方はこっそり笑みを深くする。
天邪鬼なんだか素直なんだか、よくわからない女だと思う。
女のくせに男の格好をし、男のように振舞って、友達になりたい人、彼氏にしたい人ランキングで堂々の3年連続1位を勝ち取っている女(ちなみに、彼女にしたい人ランキングの1位は沖田で、2位がだったりする)(ま、とどのつまりロクなもんじゃない)。
開け放った窓から入ってきた風が教室のカーテンをくすぐり、の髪を撫でる。
頭の高い位置で一つに結わえた髪型はにとても似合っていて、土方には遠目にも彼女を見つけられる自信があった。
は自分に向けられる厚意には聡いくせに、好意には最高に疎い。
彼女の中にたくさん詰まっているであろう感情の中から、そういう感情だけまるっと忘れてしまったか、どこかに置き忘れてしまったように。
クラス中が―――いや、学校中が気付いているだろうに、当のだけが目隠しでもしているみたいだ。
あの時。
が鈴木だか佐藤だかしらない男子A(山田)に呼び出されて、高杉に絡まれていたときも、その数日後、傍目には沖田に迫られていたときだって、はほけっとしたまま全てを見事にスルーしてしまった。
・・・というのを土方が知っているのは、それを偶然、たまたま、天のめぐり合わせでそれを廊下の窓から目撃してしまったからであるが、土方は気が気ではない。
まるで気付かれた様子のないS王子はおいておくとして、問題は高杉だ。
は高杉に対して警戒心を丸出しにしているが、それはある意味で意識していることの裏返し。
奴らの間に何があったかなんて土方に知る由はないが、何かがないとはああもピリピリしたりすることはない。
基本的に、は誰にでも懐きやすいタチなのだ。
それをつい最近ひょっと出てきた新参者のくせに・・・
「土方さんできたっ! これであってる?」
ぱぁっと表情を明るくしたが、思考に沈んでいた土方にノートを突き出した。
一瞬なんのことだかわからなくて、なんのことだかわからなくなるくらい思考の渦に飲み込まれていた自分自身に、には悟られぬよう小さく笑う。
「おー、できてんぞ」
「マジかっ!」
満面の笑み、というのがなんたるかを知らしめるの笑顔。土方の手は自然とに伸びる。
「随分時間かかったが、まぁよくやったな」
くしゃりと手をの髪に絡ませる。
結んでいるときにこうするとは大概怒り出すのだが、今日は問題ができて満足しているのか、褒められて嬉しいのか、表情をほころばせたままだ。
「(・・・そうか)」
の頭をわしわしと撫でながら、土方はふと思う。
高杉には、これができないのか。土方がまるで息するように当然にできるこの動作を、高杉はできないのか。
もしも奴が同じことをしようとすればきっと、他人の手か縄が必要になるだろう。おそらくは、脱兎の如く逃げ出そうとするから。
こうしてに触れること。それがさも当たり前のように、日常のようにできる今。
土方にはその今を手放すことができない。
それはまだ早すぎる――というのは自分への言い訳であって、ただ惜しいだけ。
この手にを捕まえていたいだけ。
「なぁ、総悟に勝てるかな?」
「さぁな。このままじゃムリかもしれねーな」
「・・・じゃあ、勝ったらジュース買ってよ。土方さん」
「この問題、ヒントなしで解けたらおごってやるよ」
「! がんばるっ」
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