第6話


この日、土方の機嫌は最高潮に悪かった。今の気分にランクをつけるなら、間違いなくワーストランキングの3位までに入るに違いない。彼の真撰組に対する厳しい姿勢はまさに「鬼の副長」と呼ばれるにふさわしいが、しかし今はただの「鬼」である。ただでさえ悪い目つきは普段の3割増しで剣呑さを帯びており、今なら文字通り視線だけで人を殺せるかもしれない。近寄りがたい、負のオーラを隠そうともせず土方は屯所までの道を月に照らされながら歩く。タクシーを使わなかったのは自分の機嫌が最高に悪いという自覚のある土方がとった、隊士たちに対するせめてもの譲歩である。冴えた月の光と、涼しい夜風に当たれば少しは酔いも醒めて冷静になれるかもしれない・・・・と思ったのだが、どうも効果は期待できそうになかった。

土方の機嫌がいま、こんなに悪いのにはもちろん理由がある。土方は今日、幕府のお偉いさんに指名され、局長である近藤も伴わずにあるお屋敷に出向いていた。幕府の人間に依頼を受けて身辺を警護したり、屋敷を警備したりすることは決して珍しいことではない。が、そういった”仕事の依頼”の時点で、局長を介さず副長に直接話が持ち込まれるのは初めてのことだった。土方もそれに不審を感じ、訝ってみても彼がその呼び出しを蹴ることは出来ない。胸のうちにもやもやを残した状態で、土方はその屋敷に一人で乗り込んだ。―――そして、悟る。土方ただ一人が呼び出されたわけを。

「土方くん、うちには今年で19になる次女がいるんだが・・・ちょっと会ってみてもらえないだろうか」

俺一人を呼び出しておいてよく言う、と土方は毒づく。この屋敷に一歩を踏み入れた時点で、土方は拒否権など失ったようなものだ。

「(チッ・・・くだらねェことで呼び出しやがって・・)」

漏れそうになる本音を煙草のけむりと共に飲み込んで、土方は「まァ、会うだけなら・・」と渋々うなずいた。


別室で引き合わされた女(帰路についた時点で既に名前も忘れてしまった)は、こういうパターンにありがちな不出来な容姿の女ではなく、むしろ美人に分類される女だった。華やかな着物に身を包んでいながら決してそれに見劣りせず、また黒一色の髪を美しく結わえ上げていて、土方のストライクゾーンにばっちり入り込んでいる。もう夜が迫っているとはいえ、今はまだ職務中なので、と断ったが結局押し切られてしまった酒を流し込みつつ、土方は横目でチラリと女を確認する。空になったお猪口に酒を注ぐ所作にほころびはなく、どこまでも上品だ。けれど上品ぶってだんまりを決め込む様子もなく、当たり障りのない会話のなかにもころころと鈴の転がるような笑い声を挟む。決して、悪い女ではないと思う。いい女だといっても支障はない。

「(・・・同い年だとは思えねェな)」

けれど、と比較している時点で既に土方にその気はない。初めてこの部屋に通されたときも、彼女を美人だと認識していながら土方はどこかの姿を重ねていたし、正直に言えば今もそうだ。そして、だんだんと回ってきた酒のせいか―――そのの仕草と似て非なるものに小さく苛立っていた。「真似をするな」と言ってやりたくなる。いや、土方だって女にそんなつもりがないことぐらいわかっている。わかっているのだが、心がざわつく。

「・・土方さまは、心に想ってらっしゃる方が・・・おられますか?」
「・・・ぁ?」

女が土方の隣ににじり寄る。畳の上に投げ出していた左手に、女の両手が恐る恐るといった様子で触れる。その思いがけない冷たさと指の細さと、まめのない手のひらにすら土方の小さな苛立ちが募る。

「土方さまの1番になりたいなどとは考えておりません・・・けれど、わたくしも土方さまの隣に・・」
「ハッ、俺はどうやら随分と浮ついた男として名が知れてるらしいな」

空になった杯を乱暴に机の上に置けば、ビクッと女の手が震えた。

「そ、そのようなつもりでは・・!」
「じゃあどういう意味だ。説明できんのか、テメェに」

女の瞳が恐怖におびえ、唇が小さく震えている。負けじと睨み返してくるだろう黒曜石が脳裏をよぎって、土方は薄く笑った。

「悪いが、俺は俺の欲しいと思うもんだけが欲しいんでな。わき見してるヒマはねぇんだよ」


―――とはいったものの、惜しいことしたなァおい、という気持ちがないわけでもない。女が自分で言ったのだから、その思いを汲んで一度くらい相手をしてやっても・・・・などと帰り道になって思うのはまだ、酒が残っている証拠だろう。

「(・・・チッ、香の匂いが染み付いてやがる)」

とどこか似通った風貌の女に情をそそられてしまった。そんな自分に土方は呆れるが、しかしその一方で仕方ねェじゃねぇかと開き直る自分がいる。お父さんポジションに落ち着きつつあることに、一番恐怖しているのは土方だ。

「帰ったぞ」

もう次の日が近くなった頃。屯所の門をくぐり、気を落ち着かせようとため息をついた土方の目に飛び込んできたのは、

「あ、おかえり土方さん! ご飯食べるー?」

普段の鶯色一色の着流しではなく、どうしてだか女物の浴衣を着込んでいる。湿り気を帯びているらしい髪をゆるく纏め上げ、駆け寄ってくる。

「・・は? なんでお前そんな格好・・・じゃねぇ! なんでがここにいんだよ!」
「まーまー、細かいことは気にしない方向で」

唖然と突っ立ったままの土方の手をが掴む。伝わってくるその温度や絡められた指の節くれだった関節、まめを作っては潰しを繰り返して固くなった手のひらは紛うことなくのもので――なのに、白地に蝶と紫陽花が舞う浴衣に身を包んだ彼女に、先程会ったばかりで既に名前も忘れてしまった女の影が重なる。

―――まだ、酔いは醒めない。


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