第2話


神楽と新八が万事屋に出てきたのは8時すぎ。は目を覚ます気配すら見せず、未だに銀時の布団を占領したままだ。

「・・じゃあ、は真撰組のヤツラに泣かされたアルか!?」

の頬に走った涙の跡を目敏く見つけた神楽に「お前が泣かしたアルか!? 銀ちゃんでも許さないネ!」と詰め寄られ、弁解する前に数発拳を埋め込まれた銀時は、己の命が風前の灯と化していることを自覚して昨夜の経緯を二人に説明するはめになった。それを説明して聞かせて、二人がどんな反応を見せるのかなんて想像は簡単で、だから言いたくなかったのだと銀時は苦々しく思う。

「あのサド野郎・・・許さないアル! 殴り込みじゃァアアア!」
「文句の一つぐらい言ってやりましょうよ、銀さん!」
「・・・・やめとけ」

銀時の静かな声に、二人は憤りをあらわにする。何でヨ、あいつらにを泣かしたことを後悔させてやらなきゃ気がすまないアル!、と酷く殺気立っている神楽はその瞳に明確な怒りを宿していた。銀時の中にある、一種の打算のようなものをくだらないと切り捨てるまっすぐな瞳は直視できないほど眩しいものであり、同時に羨ましいもので。

「よく考えてみろよ。が泣くようなこと・・・またコイツに思い出させんのか?」

ここで自分たちが動いて真撰組のやつらと衝突すればきっと、は自分のせいだと思い込むに違いないのだ。

「・・が起きても、つっこむんじゃねーぞ。ガキじゃねぇんだ・・・話さなきゃならねぇことなら話すだろ」
「・・・・フンッ、何ヨ! カッコつけたって、一番腹立ってるの銀ちゃんのクセに!」
「ほんとですよ。言っときますけど銀さん、アンタ瞳孔開いてますよ」
「・・・るせーな、そんなんじゃねーよ」
「下手な強がりは止めるアル。ワタシたちにバレないとでも思ってるアルか? このもじゃパー」
「だめだよ神楽ちゃん、そこでもじゃパーとか言っちゃあ! その一言で今までのシリアスなムードが全部水の泡だよ!」
「フン、今更取ってつけたようにシリアスにしようとしても無駄ネ! このサイトに求められてるのはギャグ性アルよ。シリアスなんてクソ食らえネ!」
「ダメだって神楽ちゃん、それ以上は! 今の今までカッコつけてた銀さんがすっごく恥ずかしい人になっちゃうから!」
「・・お前らちょっと、マジでどっか行っててくんない?」


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―――・・・好きだ、

土方がそう、腕の中にを抱いて告げたとき、彼女は大きく息を飲み込んだ。の体に今までにはなかった力がこもったのが触れている腕を通して伝わってきて、土方は奥歯を噛み締める。

「・・なっ、なに言ってんだよもー! おかしな冗談止めろよなぁ!」

乾いた笑い声と共に、はぐいと土方から体を離した。こわばって変な形に歪んでいるの顔が、今の彼女なりの笑顔なのだと気付いて心臓が締め付けられる。距離をとるように突き出されたの両腕が、小刻みに震えていた。

「・・冗談なんかじゃねェ」

が表情をかき消す。見開かれた黒曜石から土方が読み取れる表情はなくて、今テンパっているのは自分も同じなのだと土方は改めて気付かされた。普段の瞳は、表情と同じくらいたくさんの感情を宿しているから。それを読み取れない今の自分は、明らかに普通ではないのだ。

「冗談なんかじゃねェよ。・・俺は、お前が好きだ」

土方の声が、夜の空気にほどけていく。俯いてしまったの表情は土方に窺い知ることは出来ない。けれど、が纏った硬質な雰囲気や両手の震えは、一度は頭に上った血を押し戻すのに十分だった。

「・・・・こんなつもりじゃ・・なかったんだが」

いつものように。いつものように、髪に手を絡ませようと伸ばした腕がに触れる直前で動きを止める。今の自分に、そんな風にに触れることは許されないような気がした。・・・失ってしまったものは、こんなにも自分の身近にある。

「悪ィ、困らせちまったな。忘れろ・・――つっても、簡単に出来ることじゃねェか」
「・・んで」
「ん? どうした、」

、と続くはずだった言葉は、突如向けられた黒曜石の射抜くような光に飲み込まれる。ある程度は予測していた――覚悟していた、困惑やある種の失望ではない感情を唐突にぶつけられて、土方は息を呑む。



これは、憎悪だ。



「なんで・・っ、なんでそんなこと言うんだよッ! 知らないくせに・・土方さんは、何も知らないくせに!!」
「は、ちょっと待てコラ。お前・・今“そんなこと”っつったか・・?」
「言ったよ! 何にも・・なにもわかってないから、だから土方さんはそんなことが言えるんだ!」
「っふざけんな!」

の両肩を掴んで、壁に押し付ける。ダンッと思ったよりも大きな音がして、は一瞬痛みに顔を顰めたがしかし、その瞳にすぐ鮮烈なまでの光を宿す。は、これほどまでに負の感情を剥き出しにする女だったろうか。

「・・お前が“そんなこと”呼ばわりしたもんが、どんだけのもんか・・・知ってんのかよ!?」
「そ、れは」
「“そんなこと”呼ばわりしたあの一言に、俺がどれだけ魂込めたか・・テメェこそ知らねぇだろうが!」

土方が吼えた。はびくりと体をすくませ、途端に瞳に宿る光を変えた。燃え滾る炎のような憎悪はその姿を忽然と消し、後に残るは今にも泣きだしそうな―――・・・。大切にしていたものを壊してしまった幼子のような、自分の知らない表情を浮かべるを見ていられなくて。土方はもう一度彼女を抱き締める。こわばっていた体から確かに力は抜けたけれど、これではまるで上から糸で釣られているマリオネットのようだ。手を離せば崩れ落ちてしまいそうで、けれど力をこめれば簡単に壊れてしまいそうで・・・土方は今度こそ、をそっと抱き締める。

「・・俺を受け入れろとは言わねェ。けど、“そんなこと”呼ばわりすんのだけは・・・止めてくれ。頼むから・・・・!」

それだけは、耐えられそうにないから。

「・・っごめん・・・・」

だから、が土方の胸に顔をうずめたまま、聞き逃してしまいそうなほど小さな声でそう言ったとき、思いが実ったわけでもないのに土方は酷くほっとしていた。もしかしたら、この結果にたどり着くのは認めたくないことではあれど、とうに予想していたのかもしれない。頭では認めていなくても、心のどこかでこうなるということを既に認めていたのかもしれない。まったく、いつの間にやら染み付いていた負け犬根性がこんなところで発揮されるとは。しかもそれに多少なりとも救われていたのでは笑い話にもならない。

「でも、やっぱり土方さんはわかってないよ・・・」
「・・あ?」

土方が力を抜いた一瞬。するりとは土方の腕の中から抜け出し、そして俯いていた顔を上げた。つぅ、と頬を流れ落ちる涙のしずく。

「・・土方さんは知らないから・・わかってないから、言えるんだ・・・」
「・・・・・」
「どうして・・・なんで俺なんだよ・・・」

一粒だけ瞳から零れだした涙が頬を伝い、輪郭をなぞって床にぽたりと染みを作った。土方はに告げる言葉を知らず、またこんな状況にもかかわらず目をやらずにはおれない光景に意識を奪われる。そうして立ちすくんだ土方をよそに、は部屋を飛び出し、軽快な身のこなしで屯所の塀をたった1回の跳躍で飛び越え、夜の闇へと姿を消した。無駄なまでにいい彼女の運動神経が恨めしい。後には夜の静けさがあるだけである。


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