第1話
ふ、と感じた空気の歪み。昼ごはんを食べ終わった万事屋の面々が、まったりと流れる怠惰な雰囲気を楽しんでいるときの違和感である。最近二人してハマっているドロドロな昼メロを見ながら、の膝を枕にソファに寝転がった神楽はもう今にも眠りの淵に落ちそうだ。別にしようと意識したわけでもないが、も気が付いたら神楽の髪をゆっくりと手で梳いていて、どうやらそれが思いのほか神楽にとって気持ちよかったらしい。にへら、とまるでパフェを前にした銀時やお通ちゃんが載っている雑誌を手にした新八のような笑みを零しながら、だんだんと神楽の呼吸が深く静かなものになっていく。
―――あの衝撃の事実をが明かしてから1週間が経っていた。布団から跳ね起きた神楽が“オイオイ、襖壊れちゃうから! そんな力入れなくても開くから!”と言いたくなってしまうほどスパンと襖を開け放ち、そしてソファに座って目を冷やすを見つけるなり物も言わずにひしと抱きついて・・・ミシミシと背骨があげる悲鳴を聞きながら、は神楽を不安にさせてしまった罪悪感でいっぱいだった。は神楽の望む言葉をかけてあげることができない。の言葉は言うなれば全て神楽が欲しがっている言葉とは正反対で、彼女の望みを潰すことしかできない。だからせめて、神楽が目を覚ましたとき、最初に目に入るところにいるべきだったとは今でも悔やんでいる。
あれからそのことを口に出すものはいない。どうして今まで黙っていたのか、どうにかならないものなのか・・聞きたいことは山ほどあるだろうに、銀時も新八も神楽も、土方も沖田も何も聞かない。まるで全てをなかったことにしてしまおうという魂胆でもないことは、彼らの瞳の奥に潜む動揺からうかがい知ることが出来た。いつものように挨拶を交わし、言葉を交わし、触れ合っていても。不意に彼らはを見て、その瞳に動揺を――まるで傷ついたような光を宿す。それはあくまでも一瞬で、すぐ消え去ってしまうものだけれど、にはその一瞬だけがあれば十分すぎるほどわかってしまう。その一瞬が、に“違和感”や”疎外感”をまざまざと思い知らせる世界で一番長い“一瞬”だ。神楽はそれからに引っ付いて回ることが多くなった。朝起きて最初にすることはに挨拶をすることで、そうすると神楽はホッとした表情をする。そのたびには事実を告げるべきではなかったのかもしれない、と唇を噛むのだ。
また、空気の歪みを感じた。この世界がを拒絶する感覚ではなく、神経を尖らせるこれは殺気。こんな精密機械のような精確さで向けられる殺気の持ち主をはこの世界でたった一人しか知らない。
と、突然鳴り響いた電話のベルにとろとろと眠りかけていた神楽がビクッと体を竦ませる。“ったく、めんどくせーなァ”と呟いた銀時が自己主張を続ける電話を取り、は神楽が起き上がった隙に立ち上がる。
「? 、どっか行くアルか?」
「うん、ちょっと用事。すぐ帰るよ」
「・・・わかったアル。遅くならないうちに、はやく帰ってくるアルよ! 約束ネ!」
「・・・うん。約束するよ、神楽」
小指を絡ませて、神楽に誓う。突然、何の前触れもなく神楽の目の前から消えることはしないと。
江戸の町をどんどん奥へと進む。湿り気を帯びた陰鬱な空気、日の当たらない鬱蒼とした町並みのその奥。は不意に立ち止まり、思い切りため息を零した。
「あのさ、俺のこと殺気で呼びつけるの止めてくれる?」
ゆっくりと足音が近づいてくる。まったくこんな所に人を呼び出しておいてなんて偉そうな態度なのだろう、と胸の中で毒づくに気付いているのかいないのか、その人物―――高杉晋助は口からキセルを離し、そうして、は、と煙を吐き出す。
「そりゃあ悪かったな。今度は街中を堂々と歩いて迎えに行ってやらァ」
「やれるもんならな。真撰組に見つかって、捕まるか斬られるかがオチだろ」
「俺がそう簡単にやられるわけねぇだろうが。全部斬り捨ててやるよ」
「・・・・んなことしてみろ、俺がお前を斬るからな」
「てめぇにやれるもんならな、」
不愉快そうに眉間に皺を寄せ、ふいっと顔を背けたに高杉はクツクツ笑う。は実のところ、こうして時々高杉と顔を合わせていた。街をぶらぶら歩いていて初めてこの殺気を捉えた時、は間違いなく山崎の敵を討つつもりで――山崎は別に死んでしまったわけではないから、言葉として不適切ではあるけれども――その挑発に乗ったのだが、当の高杉にそのつもりはサラサラなかったらしい。帯刀していても片腕は着物の袖に完全に隠れているし、自由なほうの片腕はキセルを持って離さない。いくら高杉のほうがよりも剣の腕に優れていても、そんな状態の高杉に斬られてやるほどは鈍重ではない。どうやら高杉には自分を斬る気がないのだと、は随分遠回りな思考回路で辿りついた。
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