第3話


夜気がひんやりと澄んでいる。ざわざわと人々の嬌声で騒がしいかぶき町。 空に浮かんだ月はだんだんと欠けはじめていて、そのせいで穏やかな光を湛えている。

「・・・一枚上に羽織ってくればよかったな」

ぼそり、とが小さく呟いた。身にしみるほどの寒さではないけれど、風呂上りの身体にはちょっと夜風は冷たい。

「おら、これ着ろ」

前を歩く土方から投げてよこされたのは、真撰組の隊服。 「・・風邪でも引かれちゃ厄介なんでな」と言い訳気味に言葉が投げかけられたときには既に、彼は前を向いていて。

「ぁ・・・ありがとございます」

土方に優しく扱われることに慣れていないせいで、なんというか・・・・恐い。 なにか裏がありそうな気がしてしまう。 けれど、遠慮したらもっと恐いことになりそうな直感が働いて、はお言葉に甘えることにする。

「(あ・・・・煙草のにおいする)」
「・・・・・休職願いってのは、どういうことだ」

はこの日、真撰組に休職を願い出ていた。 引き受けたあの依頼に時間をつぎ込みたかったし、どちらも半端になるようなことだけは避けたかったからだ。

「え、と・・・それは「あの時のことか」
「へ?」

振り返った土方の目の厳しさに、は怯んだ。 一ヶ月の付き合いではあるが、土方の無愛想さの影には隊士たちに対する深い気持ちがあることを知って、 第一印象では確かにいい印象ではなかったけれど、今や苦手意識なんてものは吹き飛んで。 なのに、今の土方の目ははじめて会ってときを連想させる。

「宴会のときのこと・・・・怒ってんのか。それで休職するとか抜かしてんのか」

周囲の空気が緊張する。 土方から放たれるぴりぴりした雰囲気が、二人を包む空間を穏やかでないものにして ・・・膨れ上がった怒りを己のうちに抑え込もうとして、ほつれたのが漏れているような。

「違う! そんなんじゃ「じゃあどうしてだ。納得のいく説明をしてもらおうか」

土方の鋭い眼差しがを射抜く。心のうちを見透かすような・・・銀時のとも違うそれは、を萎縮させて。 の頭にしょんぼりとうなだれた犬の耳が見えるような気がするのは、あくまでも土方の気のせいだ。

「・・・・俺・・・あのときのこと、覚えてなくて・・・・・」
「・・・あ?」

土方が固まる。自分の足元に視線を落としているは気付かない。

「ほんとに、覚えてないんだ。気がついたら、銀さんと帰ってて・・・・酒飲んだってのは聞いたけど、そこで俺がなにしたかとか、全然思い出せなくて・・・銀さんに聞いたけど、教えてもらえなくて。だ、だから、土方さんがどうして怒ってるのかとかわかんなくて・・・・あの、俺、何した?」


ちょっと待て。整理してみよう。(in 土方's脳内)
あの時、あの忌まわしい宴会の日。 日本酒コップ一杯一気飲みしてへべれけになったは、 そこらへんの野郎どもに次々と言い寄り(あえて名前を出したくないらしい) 総悟と言い合いになって獲物を抜いたら刀に怯えて急に大泣きして(自分が恐がられたとは思いたくないらしい) あの万年金欠白髪天パに連れられて帰って(名前は絶対出したくないらしい。おんぶされて帰ったとかも思い出したくないらしい)。 あの後、総悟にさんざんな目に合わされて・・・(思い出すのもおぞましいらしい)。


「・・・・あ、いや・・覚えてないなら、別にいい」

しゅるしゅると土方から漏れていた怒気がしぼんでいく。代わりにどんよりした空気が漂ってきては慌てる。

「あの、なんか悪いことしたならゴメン!  本当はちゃんと謝りに行かなきゃなんないってわかってはいたんだけど、その・・・恥ずかしくて。俺・・酔うとへんになるだろ」
「あー・・・まぁな」

断片を思い返して土方は苦笑する。確かに、あの酔い方は普段のからしてみれば恥ずかしいだけだろう。

「休職をもらったのは、万事屋に入った仕事のことなんだ。どうしても、俺がやらなきゃだめなんだ」
「あの天パに任せときゃいいんじゃねーのか。理由でもあんのかよ」
「うん、これだけは俺じゃないと・・・理由は、言えない」

の視線がまっすぐに土方に届く。 は喋るときほとんど相手の目を見て話す。まっすぐに、真摯に。 それは目つきの悪い土方に対してもで、それが土方にはこそばゆい。 近藤や沖田は別だが、隊士たちは一様に彼をどこかで恐れていて、まっすぐに視線を交わして話をするのは多くない。 女にしてみればそれはもっと顕著だ。けれど、は土方の目を恐れない――恐れなくなった。
そんなだからこそ、わかることがある。


あの天パは、俺が足を踏み入れることのできない「理由」の中に立ち入ることを許されている。


「・・・しょーがねぇな。それが終わりゃ、戻ってくんだろ?」
「もちろん!」
「じゃあ、さくさく終わらせてこい。・・・・・俺らは、待っててやるよ」


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