第1話
「あれ、さんじゃないですか!」
真撰組屯所内。江戸において最も高度な安全と危険にあふれた場所。
その庭でバドミントンの素振りに勤しんでいた山崎退は屯所入り口から覗いたその人物を見つけて声をかけた。
彼女――が真撰組に出入りするのは珍しいことではないが、今日は彼女の勤務日ではない。三春屋の和菓子をパイプに山崎とはかなり親交を深めていて、こんな風にひょっこり彼女が現れたときには
"もしかして、次の季節菓子がでたのかな?"などと考えてしまうほどだが、昨日その話をしたばかりだからきっと違うだろう。
「あ、山崎だー。なに、今日もミントン?」
駆け寄ってくるの手には、紙袋が握られている。
「今日はどうしたんですか?」
「うん。ちょっと野暮用」
日の光の下で朗らかに笑う彼女は実は一流の剣士で・・・・異世界からの人だなんて、にわかには信じられない。
けれど、があの日見せた力は確かに実在する。
「あのさ、土方さ・・・や、副長い「じゃねぇですかィ」
屯所内の居住区画へと伸びる廊下からのっそりと姿を現したのは沖田。
今日は非番らしく、普段のかっちりした隊服を身に着けていない沖田は、彼の隊服姿に見慣れているにはすこし幼く見える。
「どうしたんですかィ、こんな日に。今日は仕事じゃねぇはずだろィ?」
「ちょっと用事。あのさ、土方さんいるか?」
「・・・・」
沖田の背負った空気が一気にどす黒く染まったのを山崎は見逃さない。
ただでさえ表情の変化に乏しい沖田から、さらに表情が底引きされていく。
「前に隊服の上着借りたまんまだったから、返さなきゃ困ってんじゃないかと思ってさ」
「えっと、副長なら今日は「あの人なら屯所にゃいないですぜ」
驚きに目を丸くして山崎が沖田を振り返る。
と、合った目は「余計なこと言うんじゃねぇぞ」と高圧的な殺気を放っていて・・・山崎はこくこくと高速で首を縦に振りながら口を閉ざす。
「ぇえ? でも昨日の夜電話したとき、今日は仕事だから屯所にいるって「電話ぁ? 、あいつに電話なんかしたんですかィ」
――――・・ああ、沖田の機嫌が命綱なしバンジーの勢いで急降下していく。
「うん。わざわざ休みの日に屯所まで来て、いなかったらヤじゃん。この時間には絶対いるって約束したのになー」
「(・・なるほど、それで・・)」
いつもなら庭でバドミントンの素振りを始めると、どこで見ているのか不思議になるくらいの速さで土方が怒鳴り散らしにくる。
なのに、今日に限ってそれがなく、30分ほど前からトレーニングが出来たのだ。
山崎としては嬉しいこと限りないが、それは確かに"異変"で。
そしてその"異変"のワケはこれだったのかと。
がこの時間に自分の隊服を返しに来るから、あの人は自室から出ることなくそわそわと彼女の到着を待っていたのだろう、と山崎は1人納得する。
「あの野郎は吉原に行きやした」
「へっ? よ、吉原?」
吉原といえば江戸でも有数の歓楽街である。
あれだ、大人の男が浮世の憂さを晴らすところだ。
「土方のヤローは仕事ほっぽりだして、吉原で女と遊んでまさァ」
「ぇ、ぇえ? ほんとかよ、あのやろー・・・俺のこと忘れやがったな」
む、とが眉間にしわを寄せる。
せっかくわざわざ持ってきてやったのに、と紙袋に入れた隊服を見下ろして。
「そーゆー野郎なんでさァ、あいつは」
「ったく、酷いやつだな」
「(副長、スンマセン・・っ!でも悪いのは俺じゃないですから!!)」
いそいそとお茶の準備でも・・・いや、あんな極悪な目つきして何気にまめな人だから、
加えて茶菓子のひとつでも用意していそうな彼の上司にむかって、山崎はそっと合掌した。
「じゃあ、これ土方さんに返しといてくれるか?」
「えぇ、構いませんぜ」
そう言って受け取った紙袋を、沖田は即刻池のほうに投げ捨てた。無情にもボチャンという音が響く。
「お、おい何すんだよ総悟! アレちゃんと洗ったんだぞ」
「そんなことはどうでもいいんでさァ」
ぶくぶくと沈んでいく隊服に向かって、もう一度山崎は合掌。
「、今日はこれから空いてますかィ?」
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普段着の沖田に連れられてやってきたのは江戸の中心部。
ターミナルの周辺部はそれこそ開発がどんどん進み、積み上げられた高層ビルからはたくさんの人が飲み込まれ、吐き出されている。
「う、わー・・人だらけだ」
「初めてですかィ?」
むせ返るような人の多さにが目を丸くする。
きょろきょろと物珍しそうにあたりを見回し、これではまるで田舎からのおのぼりさんだ。
「うん。買い物とかはかぶき町で十分済むし、第一・・・お金ないし」
あたりにばかり視線を配るは人の群れに飲まれて、あっという間に沖田と離れてしまった。
あ・・、と声を上げる間もなく、沖田の背中が人々の間に消えていってしまう。
「ちょ、ちょっと待・・! 総悟・・っ!」
「何してるんですかィ」
呆れ声が思わぬ方向から聞こえてはびっくりする。
前を歩いていってしまったと思っていたのに、沖田の声が後ろから追いかけてきたのだ。
「ぁ、あれ・・? 総悟先に行ってたんじゃ・・」
「人の波に飲まれて違う方向に歩いていっちまうもんだから、俺ぁびっくりしましたぜ?」
どうやら、沖田の後ろを追っていたのではなかったらしい。
人々を押しのけて歩いていけず、ずるずると流されていってしまったようだ。
「ご、ごめん・・・俺こんな人多いの慣れてなくて・・」
「じゃあ、こうしやしょう」
す、と沖田がの手を掬い取った。
彼女の手を自分のそれでそっと包んで、にこりと微笑む。
「が迷子になって、探しに行くのは御免ですぜ?」
「ま、迷子なんかならないし!」
の頬に朱が差す。
拗ねたように頬を膨らませる彼女に、沖田は満足したように笑みを深くした。
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