第1話
『古月堂』―――江戸でも名を馳せる、銀座の超有名料亭。
幕府の中核を担うお偉いさまや天人たちが会談やら会合やら、密談やら賄賂受け渡しの場やらにたびたび使用する、完全会員制の日本料亭である。
平屋作りの建物はシックな重厚さを伴い、広い庭園には季節の植物が見た目にも色鮮やかに、しかし決して雰囲気を壊すことなく自然に配されている。
また、中央に広がる池には数匹のコイが背中の朱や黄金を誇るように悠々と泳いでいる。
町中の公園で異常繁殖してしまった彼らのように、エサを求めて熾烈な、血で血を洗う戦いを繰り広げる様子なんかまるで見受けられない。
かこーん、と響き渡るししおどしの音がなんの違和感もなく受け入れられる、そんな場所。
住まいはかぶき町、スナックお登勢の二階。寝場所は万事屋銀ちゃんの事務所スペース。職は真撰組剣術・体術指南役、時に万事屋手伝い。着物は年下の友人のお下がり。
そんな生活環境のが、古月堂の一室に収まっている。
紋付袴という成人男性の正装姿で。
むっつりと押し黙ってしまったを気遣わしげに見守る近藤も、なんか既に意識がどこかへ浮遊気味な松平片栗虎も、沈黙に埋まっている。
いや、努力はしたのだ。ここまでの移動中「今日は天気がいいね」から始まり、「昨日の晩御飯なんだった?」を経由して古月堂に辿り着いたころにはここ1週間分の食事メニューをすべて聞き出し、部屋に入ってしばらくしたら、いつの間にか近藤は自身の幼少時代について熱弁をふるっていた。
そんな近藤を見るに見かねた松平が口を開く。
「ちゃーん、なんか欲しいもんとかある? なんだったらこの後、オジサンが買ってあげようか」
は正面斜め45度下をぼんやりと見つめ、決してその黒曜石の中に松平を映すことのないまましばらくの逡巡の後ぽつりと零した。
「・・・・・・・・自由」
――――この一言が、会話の終了を告げる鐘の音となる。
が、明らかに場違いな場所に、性別から考えれば明らかに不自然な格好で、近藤はともかくほぼ初対面の松平に伴われてきたのにはもちろん、理由がある。
見合いだ。
も19歳。晩婚化の進む世相にあって、婚期というには多少はやいかもしれないけれど、出来ない歳ではない。
料理をはじめとした家事だって、何気に一通りこなす。多少、男の手料理的なかんじが漂ってはいるが。問題があるとすれば・・・・
「さまっ! リィナは貴方をお待ち申し上げておりました・・・!」
開け放たれた襖から姿を見せたのは。
鮮やかな紅と金糸の刺繍が華やかな着物に身を包み、ここまで小走りできたらしくわずかに頬を紅潮させている見目麗しい―――――少女。
「ああ、さま。普段の装いももちろんですけれど、正装もとってもお似合いになりますわ」
花が咲きほころぶような、という表現がピッタリだ。彼女・・・リィナがにっこりと上品に微笑む。
「お母様。こちらがさま。ね? 私が言ったとおりの方でしょう?」
「あらリィナ。あなたが言った以上にハンサムな方じゃない?」
リィナの言葉に同じく微笑む彼女の両親。母親の言葉に「やだ、やめてくださいお母様!」と小さな声をあげるリィナ。
はリィナにも、もちろん彼女の両親にも微笑を浮かべて会釈を返す。
隣でただ様子を見ていた近藤は、穏やかなはずのの笑顔が酷く冷え冷えとしているものに見えて言葉を飲み込む。
彼女の笑顔はいつも周りの人間の笑顔も引き出すものなのに。
今の笑顔は無理やり引きずり出したような・・・笑顔の仮面をかぶっているみたいに見えて。
「じゃあ、揃ったところで・・・・始めましょうか」
――――事の始まりは数週間前に遡る。
+ + + + + + + + + +
「、ちょっといいか」
は竹刀を振る手を止めて声の方を見やる。道場の入り口のところで、煙草を口に咥えた土方がこいこいと手招きしていた。
それまで指導していた隊士の1人に「ちょっとゴメンな」と声をかけ、は小走りで駆け寄る。
「どしたの? 土方さん」
「練習中悪ィんだけどな、ちょっとついて来い」
そう言うと同時に土方は道場から踵を返す。
どうしてだか、土方は不機嫌オーラを隠すことなく纏っていて、明らかに声をかけづらい。
「・・・土方さん? どした?」
大またでずんずん歩いていく土方を、駆け足気味にが追いかける。無理やり隣に割り込んで、彼の顔を見上げて。
表情を消した彼の目と視線がかち合うと、土方は突然足を止めた。
「な、どーしたんだよ。今日なんかヘンだぞ」
「・・・ぃな」
「へ?」
の頭に載せられる、土方の大きな手。
今まで道場で汗をかいていたには、その手がひんやりしたものに感じられて、視界を完全に覆われているのになぜだか心地いい。
「ひじか「悪ィな」
今度こそ、ちゃんと言葉を聞き取ったとき。
いきなりのワケのわからない台詞に、が質問を重ねるより早く土方が歩みを再開してしまう。それからは、むっつりと貝のように口を閉ざしてしまった。
「(コイツ・・・下から焼いたら口ひらくかな・・・)」
「これから人に会ってもらう」
「は? なにソレいきなり」
「別にちょっと挨拶するくらいだ」
「・・・・・挨拶するぐらいなら、どうして土方さんがそんな嫌そうな顔してるんだよ」
土方は不機嫌というより、なんだかとても嫌そうなのだ。
まるで、嫌いなメニューに食卓でコンニチワしてしまった子供のように。だから、なんとなくも察する。これから挨拶しなければならない人というのは、おそらくに迷惑をかける・・というか、手間をかけさせるのだろう、と。鬼と恐れられるこの人は、自分や周りの人間に厳しいだけ、周りに人間に優しいから。
それは、とても不器用な優しさだけれど。
「大丈夫だよ。俺、うまくやるから」
「・・・そんな心配してんじゃねぇよ」
「じゃあ他に心配なんか要らないだろ?」
「・・・・・」
ホラ、この人はこんなにも優しい。
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