chapter09   broken pledge , swear the will

第1話


「んー、よし。今日の稽古はここまでーっ」
「うス! お疲れっした!」
「汗はちゃんと拭いとけよー」

時刻は12時。稽古時間は終わりをむかえ、隊士たちはもちろんもすでに汗だくだ。 道場内にはむんとした熱気がたちこめ、ただでさえ男だらけの道場は口で息をしても思わずむせ返りそうになる臭いに満ち満ちている。 基本、そういうのを気にすることのないでも流石にそこに居座るのは遠慮したく、足はまっすぐに外へと向かう。 気にする気にしないの問題ではなく、肺は新鮮な外気を求めてあえいでいた。

「あ、そーいえばさ」
「どうしたんスか、先生」

隊長クラス―――より年上の隊士には呼び捨てで呼ばれることが多いのだが、同年代やそれ以下の隊士たちには“先生”と呼びなわされている。 当初は気恥ずかしいから止めてくれと呼ばれるたびに言ったものだが、ものすごい速度で定着してしまったその呼び方をやめさせることは不可能で。 ももうとっくに諦め、慣れてしまえば気恥ずかしささえ最近では希薄だ。

「鉄之助は? つか、他にも何人か来てないよな。風邪でも流行ってんの?」
「いえ・・・それが・・」
。稽古終わったのか?」

隊服ではなく着流し姿の土方が、煙草をくゆらせながら歩いてくる。 今日はどうやら数少ない非番の日らしいが、結局のところ彼は屯所で近藤の分の書類処理などをしていることが多かった。

「あ、土方さん! お昼?」
「おー。冷めちまうからさっさと行くぞ」
「ん? 土方さんも一緒?」
「不満か?」

土方は唇の端を持ち上げ、にやりと笑う。

「そだなー、土方さんとじゃ美味しいご飯も・・イダッ、冗談だって!」

の頭をはたくついでにわしゃわしゃとかき混ぜる。 わっ、やめろよーっ、と声をあげるだが、その声には笑みが滲んでいて。土方の表情もふっと和らぐ。
“鬼の副長”と屯所の内外で呼ばれ、恐れられている土方だが、その切れ味鋭いナイフのような眼光が、春の日光よろしくとろりと優しくなる瞬間がある。マヨネーズを前にしたときと、といるときだ。前者のときの変化は隊士たちにとって不気味以外の何物でもないのだが、後者のときは皆一様に己の居場所を見失ってしまう。 当人たち(特に)にしてみればなんの意図も思惑もないのだろうが、第三者はいたたまれない思いに苦しむことになる。

―――・・・空気がゲロ甘なのだ。

二人を取り巻く空気というか、醸し出す雰囲気が、砂でも吐いてやろうかコンチクショーという感じなのである。 二人の前で“あまーい、あますぎるよ小沢さぁーん!”と叫び、不審の目で見られた隊士は両手では多いが片手では足りない人数に達した。しかも普段は厳しい視線を配っているだけ、激変した“鬼の副長”は「好きな女の子のリコーダーを放課後こっそり咥えている友達をたまたま見てしまった」時のように、隊士たちを見てはならないものを見てしまった感覚に陥らせる。
しかし、それに耐えてランナーズハイならぬウォッチングハイに達してしまうと、あることに気が付く。甘い空気を発しているのはあくまで土方ひとり、だということだ。 もちろん彼にも甘い空気を醸し出しているという自覚はない。が、あくまでもを女と見て、それを前提として構っている。 には、それすらない。成犬にじゃれる子犬のような――実際にはこの子犬、狼にじゃれついているわけだが――そんな感じなのだ。 そこまで気が付いてしまうと、砂を吐くどころではない。涙で前が霞んで見えなくなってくる。「密かに恋心を抱いているしずかちゃんのリコーダーを咥えるスネ夫を偶然見てしまったが、実はそれがしずかちゃんのものではなくジャイアン・・・・・でもなく、出来杉くんのリコーダーであることに気が付いてしまった」時のような切なさに襲われてしまう。 その境地まで上り詰めた強者は未だ現れてはいないのだが・・・・時間の問題のような気もする。

「あ、そーだ土方さん。今日休みが多いんだけど・・どーかしたの?」
「・・・・メシのときに説明する」

食堂へと歩き出し、途端に真剣みを帯びた土方に、は眉をひそめる。 ふっと視線を感じて、だけが後ろを振り返る。と、そこには今まで話していた隊士が手で顔を覆っている姿があって。よくよく見れば、彼は肩を上下させ、地面にぽたぽたと数滴のシミを作っている。

「・・・?」
「どーした。置いてくぞ」
「え、ちょっと待てって!」

――――・・・境地に辿り着いた剛の者が、ようやくひとり、出現した。


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目の前に並べられているほかほかの湯気を立ち上らせるご飯とわかめと豆腐の入ったお味噌汁、そして里芋の煮っ転がしのはいった小鉢にキャベツもたっぷり盛り付けられた豚のしょうが焼き。 ぱくりと口に放り込んで、は顔をほころばせる。 万事屋の彼らはがお昼を真撰組で食べてくることは知っているが、そこで何を食べているかまでは知らない。もしも知れれば、はおそらく稽古に出るときに保存用のタッパを持たされるだろう。

「過激攘夷派の連中が、江戸に紛れ込んでる?」
「ああ。それが、休みが多い理由だ」

ここ一週間で、真撰組の隊士が市中見回りのときに斬られる事件が多発している。 幸いにしてすべてが命を落とすような重傷は免れているが、斬られた隊士によると相手はなかなかの使い手らしい。 自分が今ここに生きて戻ってこれたのは、相手に自分を“殺す気”がなかったからだと言ったという。

「・・・なに、挑発されてんの?」
「そう考えて間違いねェだろうな」

斬られた隊士は全部で7人。すべてが1人での巡回中だということだ。 また、すべての現場は江戸の方々に散っているものの、徐々にではあるが中心部に近づいており、それに伴って傷が深くなっている。

「基本的に市中見回りは数人でやってるもんだが、どうしたって個人で巡回することだってある。だが、こう好き勝手されちまえば、そういうわけにもいかねェ」
「なるほど。だから稽古に出てこれる隊士が少ないのか」

きっちりご飯2杯を食べきり、食後のお茶をズズズと啜る。

「つか、土方さん随分後手に回ってんじゃん」
「うるせぇ。次やらせる気はねぇよ」

ニヤリと笑ってみせたを、土方の大きな手が押さえつける。 まるでを杖にするようにして立ち上がった土方は、まァゆっくりしてけ、と一言だけ零して食堂から姿を消した。 と、山崎が入れ替わりにひょっこり顔を出す。

「あ、さんやっぱりここだった」
「どしたの? 山崎・・・あっれー、なんか甘い匂いするっ」
さん、あんた犬じゃないんだから」

そう苦笑いしつつ、山崎が取り出したのは―――・・・

「やっぱり! 三春屋の三色団子!」
「沖田隊長や副長には内緒ですよ?」
「わかってるってー」

と山崎は、三春屋のファンという点で共通していた。 元をたどれば、三春屋は山崎の紹介で知ったお店だったのだけれど、今や三春屋とより親しいのはである。

「時期的にもうすぐ水羊羹が出る頃だよな?」
「それもそーですねぇ。次はそれにしましょうか」
「ん、いーよ。いっつもおごってもらってるから、俺が今度は買ってくる」
「・・いいんですか?」

目を真ん丸にする山崎。 日ごろ、真撰組における自分の扱いがあまりに酷いせいか、山崎は厚意をそのまま受け取ることが苦手だ。

「総悟や土方さんには内緒だからな?」

が笑う。ははッ、と笑い声を漏らした山崎と視線を見交わして、二人は三色団子をほお張った。


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鉄之助、という名前にピンときた方! ぜひご一報ください! きっと苗字は市村です。