※この話では流血表現が含まれます。ご注意ください。
第4話
が土方に物騒な話を聞いて3日後のことである。
指南役としての仕事も、万事屋手伝いの仕事もないその日、は長崎屋の離れへ遊びに行っていた。午前のうちからひょっこりと顔を出し、お昼やお菓子までご馳走になったは、思わず鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌で江戸の街を歩いている。
と、その時、頭の中に直接声が響いた。
「・・・なに、どしたの?
雀鴻、紅夜とはが使役することのできる召喚獣の名である。紅夜は前に起こった事件のときに取り戻した紅色の宝珠に宿る召喚獣で、炎の力を秘めている。
彼らはの頭のなかでだけ言葉を発することが出来た。
「は? 血の臭いがする・・・?」
穏やかではない召喚獣の言葉に、の表情も怪訝そうに歪む。
言われなかったら知らないままでいられたものを、こう告げられてしまえばスルーできるはずもなく。
召喚獣の案内に従って、は江戸の街を駆け出す。来たこともなければ、見たこともない裏路地を縫うように進み、どんどん道は薄暗くなっていく。
どろりと濁り、ジメジメとした陰鬱な空気が肌に纏わりつくようで、が早く、なるべく早く事を済ませて戻ろうと心に決めた、ちょうどその時。
血の臭いがした。
久しく嗅ぐことのなかったその臭いはこの世界でも鉄臭く、の神経を尖らせる。
かすかな臭いを辿って奥へと進む。血の臭いがだんだん濃くなってくる。吐き気がするほどだ。
「・・・・・近いな」
自分で自分の声を聞いてようやく、緊張を自覚する。
すべての神経という神経が昂り、今なら微小な虫けらの羽音でさえも知覚できるだろう。そうして痛いほど感じる、殺気。
ちりちりと肌を焼くような殺気も、血の臭いと比例してだんだんその量と濃さを増している。息をするのも苦しい。
――――路地は一本で、続く道は右に折れている。
「(・・・なにか、いる)」
おそらく、ここが追いかけっこの終点だ。
きっと自分の存在は気付かれているだろう。じゃなかったら、血の臭いの元と、殺気を発する元が同じところにあるはずがない。
殺気の持ち主は、追跡する者を待ち構えている。
は懐に手を伸ばし、宝珠に触れた。
「ッ動くな!」
叫びながら一気に躍り出る。と、眼前に広がる光景には声を失った。
「・・っ、山崎ィッ!」
薄暗い地面に倒れた見慣れた隊服。腹ばいに崩れている彼は、間違えようもなく山崎だ。
走り寄ったとき、踏み込んだ足がばしゃりと音を立て、濃い鉄の臭いが立ちのぼる。
「山崎っ、しっかりしろよ山崎ィッ! なんで・・っ、なんでこんな・・・・ッ!」
ぐったりと既に意識のない山崎を抱き起こす。
腹を斬られているのだろう、隊服がじっとりと重い。彼の血を含んだ土が、赤黒くぬめっている。
――――ヒュン・・ッ
は弾かれたように後ずさる。
血の臭いを十分すぎるほど飲み込んだ空気を切り裂く、鋭い鋼の光。その白い光すら赤に濡れている。ギロ、とが睨みつけた先に立つのは、どうやら男であるらしい。
相手の詳細な容姿や、顔のつくりなどは鬱々とした闇に飲まれて判別できない。
が、それでも男の口元だけは弱弱しい光に照らされたように浮かんで見えた。
はぎり、と奥歯をかみ締める。
「・・・お前が・・お前が、やったのか・・・ッ」
視線の先で男は、口元に浮かんだ笑みを――ひどく歪んだ笑みを、深くした。
の中で、なにかがぷつりと切れた気がした。
おそらく山崎のものだろう。
地面に転がった刀を拾い上げると同時に強く一歩を踏み出し、一気に男との距離をつめる。そうして刀を、その勢いのままに振り切った!
ギィン! という耳をつんざく音が響く。
「へェ・・?」
ギチギチと刃がなる。
その接近した状態で、男がまるで試すように・・・いや、面白いオモチャでも見つけたように嗤う。
それが更に、神経を逆なでして。
「お前がっ、お前が斬ったのか!」
「そうだと言ったら、お前どうする」
大きく後ろに跳んで間合いをもう一度取る。山崎の血でぬめりを帯びた刀を、しっかりと持ち直す。ちゃき、と刀の鍔が音を立てた。
「お前を、斬る」
刀を振るうたび、記憶が鮮明によみがえってくる。あまりに鮮やかで、鮮やかすぎて、眩暈がするほどに。
忘れていた・・忘れようとしていた自分に吐き気がする。
「おめェ、ただ者じゃねーな」
「・・そりゃどーも」
あと一歩でも踏み込めば、お互いがお互いを斬り捨てられるぎりぎりのライン。正直、これ以上はキツかった。命がけのやりとりは、稽古なんかの比じゃないほど体力を消耗させる。久しぶりに己の命を背負い、男の命を狙って振るう刀は、あまりに重かった。
「・・ククッ。今日はこの辺で退くとすらぁ」
「・・・・逃げんのかよ」
「ハッ、強がってんじゃねーよ。てめぇもうフラフラなんだろうが。・・・・放っとくと死ぬぜ、そいつ」
男の言葉につられて山崎を見た一瞬。
その一瞬で、男は暗がりに姿を消した。
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