第7話
空が暗闇に飲まれる。
屯所にも闇がその触手をのばし始めると、否応なく真撰組には緊張感が張り詰める。山崎を斬った犯人を、このまま野放しにしておく気など誰にもなかった。
はひとり、山崎の臥せる布団の傍らに正座していた。瞠目する。
さっき、少しばかり眠った。風呂にも入り、あまりにも予想外のことが起きたけれど、気分はサッパリしている。
「(・・・・・やれる)」
ぴん、と張り詰めた屯所内の空気がそうさせるのか、それとも自身の気持ちのせいか。
五感がまるで、手入れをしたばかりの刃のように鋭い。
しかしそれでいて、感情はまるで静かな夜の海のように穏やかで、の胸のなかにひっそりと佇んでいる。
「・・・行くか」
自分自身に言い聞かせるようにわざと声に出して立ち上がる。
そのとき、枕元に置かれた山崎の刀を手に取った。
「用意できたのか」
部屋から出た途端、投げかけられた声には目を丸くする。
声の主は廊下の壁に寄りかかり、煙草の煙を燻らせている。
「なァ、これ・・・・使っても怒られないかな?」
「さァな。後で謝りゃいーだろ」
「・・そっか。そーだよな」
土方と、ほか数名の隊士とともには市中を見回りに歩く。
沖田は一番隊の隊員を率いて、他の受け持ち場所を見回りに出ていた。
敵が想像以上の剣の使い手であることが分かった以上、真撰組も自身の戦力をひとつに集中させるわけにはいかなかった。
今日は特に闇の色が濃い。不思議に思って見上げた空には月がなかった。
月が死に、また生まれる日。
数歩先をあるく土方の背中を見ながら、は腰に差した刀に手を置く。その久しくなかった感覚に、どこか懐かしさにも似た落ち着きを見つけて、はフッと自嘲する。
空気の変化を感じ取った土方が振り返り、どうした、とに問う。
神経が鋭敏になっているのはなにもだけではない、土方だってそうなのだ。
「いや、なんでもな・・・・、!」
はハッとして大通りから横に伸びる路地に目をやった。
大人二人がすれ違うのにやっとな幅の路地はことに薄暗く、陰気で。昼間でさえも行くのを躊躇いたくなるその奥。
見つけた
「お、オイ、ッ!?」
土方の声は最早の耳に届かない。神経が更に鋭さを増す。ずしりと重い殺気。
奥へ、奥へと誘い出すようにばら撒かれた殺気は、あの男のものに違いなかった。それも、男が故意にしたことも疑う余地はない。
罠だ、と頭の中で声が叫ぶ。
けれどそれはの足を止める要因にはならない。
いまを突き動かすのは、心の奥深いところからふつふつと湧いてくる一念だけだ。
「・・・よォ。さっきぶりだな」
受け止められた刀の向こうで、男が唇を弧の形に吊り上げる。弾かれるようには後方に跳ぶ。
「随分早かったな。また会うのはもう少し先かと思ったが」
「ハッ、誘い出しておいてよく言うよ」
刀を振り回すのに邪魔にはならない程度に道が広がった場所で、は男に対峙した。
濁ったオレンジ色の光を放つ街灯にあてられて、男の姿がようやくの目にあらわになる。
男は大層派手な着物を身につけていた。顔の半分ほどを覆う包帯は、男の片目をも隠している。
から見えている方の目は人間のソレというより、むしろ獣を連想させた。狂気を――獣。
「死んだか? さっきの男」
「勝手に殺すな」
「チッ・・・んだ、生き延びてンのかよ。つまらねぇな」
「つまんなくて悪かったな・・・・・・代わりに、俺がお前を殺してやるよ」
男は強い。化け物じみている、とさえは思った。
敵の命を屠る。
ただそれだけ。残酷で、ある意味あまりにも純粋な太刀筋。
いつの間にかは男の刀を受け止めるに一杯で、気付かぬうちに防戦一方を強いられていた。
「粋がってたのは最初だけか?」
「ッ、うるさい!」
は既に肩で息をしていた。対照的に、男の息は乱れてもいない。
万事休すか―――が唇を噛み締めたとき。
「三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」
場にそぐわぬ風雅な声に、は呆気に取られて男を見遣る。
クッ、と笑みを滲ませた男はややあって口を開いた。
「女――・・お前、名は?」
「・・・」
、か・・・と、口の中での名を転がした男は、再び同じ歌を口ずさむ。
「・・なんだよ、それ」
「俺が作ったモンだ。・・・・・、テメェにくれてやる」
不意に大勢の騒々しい足音と、“御用改めである!”という聞きなれた声が耳に届いた。
この声に追われているはずの目の前の男にも聞こえただろうに、焦った様子など微塵も見せない。
その秀麗な顔に浮かんだ悠然とした――歪んだ笑みは、むしろその色をいっそう深くして。
「・・・要らね。意味わかんないし、知らない人からのものはもらっちゃいけないって、銀さんに言われてる」
「・・お前、銀時の知り合いか? なるほどな」
クックッ、と喉で笑う男には不審の目を向ける。
この男は、銀さんの知り合いなのだろうか。
―――突然、徐々に大きくなる声と足音が、消えた。
周囲の建物も、音も、生き物も、すべてがすぅと世界から遠ざかり、そして消える。
刹那、世界にはと男のほかに 何も存在しなかった
「その歌を覚えておけ。俺の名と一緒にな」
「・・・名前は?」
「―――・・高杉 晋助」
その名を聞くが早いか。
突如流れ込んできたたくさんの音にビクリとが身を竦ませ、目をつぶった瞬間。
ハッとして目を開いたとき、そこは薄暗い路地の一角で、男――高杉は忽然と姿を消していた。
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