どうやら確かに、月日の流れというのは人を変えるらしい。斑目瑞希は机の上に雑誌を広げたまま、うとうと舟を漕ぎ出した幼馴染を横目に小さく息をついた。瑞希が彼の姉とここに引っ越してきたのは小学三年生のときだから、とはかれこれ十年近い付き合いがあることになる。そんなが大学に進学すると同時に一人暮らしを始めて三年目、ここ最近の彼女の変わり様ときたら。

「・・・トゲーも、は変わったと思う?」

小さな友人の同意を得て、瑞希は満足そうにうなずく。せっかく高校生のときから伸ばしていたのに、「もう髪じゃまくさいから切る」 という気まぐれに訪れる危機を何度となく乗り越えてきたのに、今日久々に会ったらばっさり短くなってしまっていたの髪。あごのラインでふわふわおどる毛先を恨めしげな目で見つめながら瑞希はため息をつく、の長い髪はお気に入りのひとつだったのに。

短いのも僕は好きだよ? どこかウキウキした感じのするトゲーの言葉に、それはそうだけど・・と言葉を返す。大体、思い出したように髪を短くしようとする彼女を宥めすかしてきたのは瑞希なのだ、「ああうん、なんか・・成り行き?で」 というまともな理由すら窺えないセリフに目眩を覚えたのは嘘ではない。女の子にしては上背があるほうなのに乗っかっている頭はまだ子どもっぽさを残している、これではその言動と相まってまるで男の子みたいだ。瑞希ははぁ、とため息を重ねる。

瑞希にとっては、疑いようもなく 大切な女の子 だ。面倒くさがる瑞希を宥めるでもなく丸め込むでもなく、完全無視で自分の行くところ行くところに引きずっていこうとする彼女を疎ましく感じたことなど一度や二度の話ではない、一日に一度や二度くらいあっただろう。それでも、や他の B6 たちと通った小学校の記憶は瑞希にとってとても大切で、あたたかで、かけがえの無いものだ。

「・・も、そう思ってくれてるといいよね? トゲー」

トゲーにそう言葉を返しながら、瑞希はそこにある自分の本心に気付いて苦笑する。は良くも悪くも正直だ、露骨に態度に表すことはないにしても、“好き” じゃない人間のそばに自分からふらふら近づいていくほど人が好く出来ていない。ましてやそこで居眠りを始めるなど。瑞希はふぅ、と息をつく。

・・最近、のまわりに男の影がある。なんだかひどく即物的な言葉ではあるが事実なのだからしょうがない、そうとしか言いようがないのだから。もともと、その容姿と言動から女の子より男の子の友達のほうが多いだが、こうして様子を窺う限りどうもそれらとは一線を画すらしい・・・・・瑞希にとって、なんとも喜ばしくないことに。

瑞希とは対照的に、“広く浅い” 人間関係を構築していくは、その中で得た話を面白おかしく聞かせてくれる。この前はこんなことがあった、次にこんな約束をしている――そんな彼女の話の中で、ついひと月くらい前までやたら頻繁に登場し、しかしここ一ヶ月で途端に登場しなくなったひとつの名前。

「トゲーは、どういうことだと思う?」

急に話を振られたトゲーはひとつ、クケッ!?と高い声をあげ、そしてしばらくの逡巡の後・・ケッ、と吐き捨てるように鳴いた。

「・・やっぱり、トゲーもそう思う?」

トゲーのしなやかな尻尾が鞭のようにしなり、ぺしんと瑞希の肩を打ちつける。・・どうやら何度も同じことを言わせるな、とそういう意味ならしい。自分だってそんなこと何度も聞き返したくなどないが、重ねて確認せざるを得ない。事態はそれだけ重大かつ深刻なのだ。

小学校のときからツバサの猛攻を大胆かつ華麗にスルーし続け、優秀というか “秘書” という言葉をどこか履き違えている節のある永田さんの援護射撃を 100% の確率で打ち落としてきただ。B6 たちの目がそれまでよりずっと届かなくなった中学生になっても彼女のスルースキルは衰えることを知らず、というかむしろ上達なんかしていたりして、だから油断していなかったといえば嘘になる。

だがしかしであるがゆえに、はそういった意味で 男慣れ していない。街を一人で歩いていて女の子に声をかけられ、和やかにその場を立ち去るスルースキルは身につけていても、腹をすかせた狼が如き男連中に声をかけられたとき、彼女はきっと彼らの意図を理解できないだろう。道に迷ってるのかなとか、ああそうか人生に迷ってるのかとか、どうせその程度に決まっている。

「・・・・あの彼が、そうなのかな」

瑞希の想像が妙にリアルなのは、その現場に出くわしたからだ。街の大きな本屋に専門書を買いにいったその帰り、駅前で見るからに頭の弱そうなオスに絡まれ、そのくせ無防備極まりなくきょとりと相手を見上げていた。ムッと眉間に皺を寄せた瑞希が声をかけようとしたその刹那、割り込んできたのは 「必要ない」 と場の空気を切って捨てた一言だった。極地の冷気より冷え冷えとした声音には明らかな不愉快が滲み、眉間に刻まれた皺は瑞希のそれよりはるかに深い。その彼に気付くや否や、パッと表情を綻ばせたとギシッと表情を凍りつかせた可哀相なオスの対照的すぎる反応は、瑞希にとって未だ鮮明な記憶である。

「・・・・・・・・・・・・・」

腕に頭を埋めて、かなり本格的にうとうとし始めたにそろりと手を伸ばす。額の下でくしゃくしゃになっているらしい前髪を払ってやろうとして伸ばした手はしかし、彼女に触れる前に宙をさまよった。何の前触れもなくふっつりと押し開けられたまぶたの隙間から、眠気にとろけた黒曜石が瑞希を茫洋と見上げている。声帯を震わせることなく、しかし瑞希に対して的確に 「・・なに?」 と問いかけた彼女は、首を左右に振る瑞希の返答を確認するとふたたび落ちるように眠りについた。規則正しい小さな寝息が部屋に満ちる。

大切だ、守りたいと思う心のすべてが恋愛のそれではないと瑞希は思っている。彼女に対するこれが一体どこにカテゴライズされるのか、結論を急ぐ必要もないと思っている。寝顔に触れることはできないが、寝顔を晒せる程度には信頼されているこのポジションに不満もない・・・・・・厳重注意したいところではあるが。寝顔に触れることはできても、寝顔を晒せる程度の信頼では満足できない人間がおそらく存在するのだろう、の隣に、たぶん、きっと。

「・・・・・・・・・苦労、しそうだね・・」

同情の余地はバカみたいにありすぎるが、もし泣かせたらタダじゃおかない。無防備な寝顔に瑞希は誓う。


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writing date 090905  up date 090908