[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


第3話


玄関と居間とを繋ぐ廊下、2つの部屋が連立したその玄関よりの部屋―――そこが、朱音が高校を卒業するまで使っていた私室である。 まるで、時が止まっているかのように静謐とした空気。けれどきっかけさえあればすぐまた動き出しそうな時間。

「(・・・・ジェイド、掃除してくれたんだ・・)」

基本的に整理整頓というものが苦手なあの保護者が、自分がここに来るのにあわせて掃除機をかける様――「おや、最近見かけないと思ったらこんなところに・・・」「布団も干したほうがいいでしょうねぇ」――想像しただけで笑いがこみ上げてくる。 けれどそれは、冷えた手の平を両手で包まれる温かさにも似て。 朱音はあとで、紅茶の一杯と共に肩揉みでもしてやろうと思うのだ。

「・・なんつーか、結構質素だな」

朱音の腕の中から音も立てずに着地したルークは、ベッドの上に飛び乗ってきょろきょろと辺りを見回す。

「そーか?」
「だってアイツ金持ちなんだろ? テレビとかゲームとか、そーゆーのねぇのかよ?」
「あー、そゆことね。ジェイド、アレで結構厳しかったから」

“宿題をしてからじゃないと遊びに行っちゃだめ”・・・流石にそこまで言われたことはない。 けれど、小学校3年生くらいまではきっちり5時に帰ることを約束させられたし、クラブや部活動で帰りが遅くなる日には事前にその旨を伝えておかないと夕飯時に漏れなく30分強のお説教が待っていた。 ただ、そのころ(朱音が小学生のとき)はジェイドも大学で自身の研究が忙しく、一緒に夕飯を食べるのも毎日というわけではなかったが・・・・・その時は次の日、朝食時にお説教が先送りされるだけである。 宿題云々にしても、夕飯時に今日学校であったこと、友達とこんな遊びをしたこと、先生に言われたこと・・・それらを話しているときに、ごくごく自然に、さり気なく聞き出されていたような気がする。 ただ、自分が小学生のときには気付かなかっただけで・・・あれは物腰の柔らかい誘導尋問だったのかもしれない。

「・・なんか、あんま想像できねー」
「そう? ハマリ役だと思うけどなぁ」
「いやだってアイツ、朱音にすげー甘いじゃん。なんでもほいほい買ってくれそーだし、勉強とかもやってくれそうなイメージあったからよ」
「いーやぁ、色々とケチだからねージェイドは」
「・・・ふ、ふぅん・・そうなのかー・・・」
「そーなんだって。この前だってさー「だぁれがケチなんでしょうねぇええええ?」
い・・っ痛い痛い、頭割れる! グーでこめかみグリグリしないでほんっと痛いから・・ゴメンなさいもう言いませんゴメンなさい!」

背後に悪魔が立っていた。

「まったく、何を話しているのかと思えば・・・・ほら朱音、夕飯作りますから手伝ってください」
「・・りょーかい。今日のご飯はなんですかー?」
「カレーです。・・・ああ、そういえば朱音が初めてここに来たときの夕飯も、カレーでしたねぇ」

急に、ジェイドの纏っている空気が変わったような気がして、ルークは顔を上げる。 そこにいるのは変わらない笑みを浮かべているジェイドで・・・・ああそうか。目が違うんだ―――朱音を見遣る紅の瞳が、いつもよりもずっとずっと柔らかな光を帯びている。 なんだかこの空間において自分が、異分子であるような錯覚すら覚えるくらい。

「・・だったね。今よりずーっと甘いやつ」
「まったく、カレーを食べている気などしませんでしたよ」
「しょーがないだろー。俺3歳だぜ、3歳!」

今ここに自分のいる場所はなくて、奴らはここを見ていなくて―――居心地が悪い。

「・・・今でも、まるで昨日の事のように憶えています」
「・・ジェ「ケッ、んだよジジむせーな! 昔話なら余所でやれっつーの!」
「おや、これは失礼。年を取ると、不意に感傷に浸ってしまいたくなるんですよ」

どうやら、自分がどんな顔をして話を窺っていたのか知らないらしい。ジェイドはくすりと笑う。 頭上を行き交う会話を物欲しげに、けれど不安そうに耳をそばだて、いかにも続きを聞きたそうな顔をしていたのに・・・・さすがバカ猫。 まだまだ警戒するにも遠く及ばないようだ。

「さて、そろそろ始めなくては・・・朱音、行きますよ?」
「ジェイド」

呼び止められ、振り返ったジェイドが出会うのは真摯な光を宿した黒曜石。

「・・俺も、昨日のことみたいに憶えてる。あの日のこと・・・・俺、まだ夢に見るんだ」

まだまだガキだなー、俺ってばさぁ・・・そう言って、朱音が苦く笑った。

「それは奇遇ですね。私もですよ」
「・・・あの日が、俺の生まれた日だって・・いまでもそう思ってるから」
「おや、それでは私は母親ですか?」
「・・・・・・・・やっぱ今の発言なしの方向で


+ + + + +    + + + + +


夕飯を終えてまったりふかふかのソファに座り、テレビを見ていた朱音とルーク。 最初のほうこそ、なにやら分厚い本を広げるジェイドに突っかかっていたルークだが、時刻が下がるにつれだんだん静かになって。 10時を回った今、赤毛の猫は朱音の膝の上で丸くなっている。

「・・・ルーク? ちょ、眠いんなら・・・・って遅かったか」

呼吸に合わせてゆっくりと上下する背中をそっと撫で、朱音はその顔に苦笑を浮かべる。 普段のルークならまだまだ眠る素振りすら見せずテレビの前でげらげら笑い声を上げているが、今日はやはり疲れていたらしい。 まぁここにたどり着くまでの20分間、慣れない事を強いられていたわけだし、ここに着いたら着いたでジェイドにからかわれ続けている―――これで肉体的にも、精神的にも疲れていなかったら化け物だ。

しょうがない、と笑みとため息を同時に漏らしてルークを抱き上げる。 普通なら起きそうなものだが、そんな感じもない。よっぽど疲れているのか、信頼されているかのどちらかだろう。 ・・前者のほうが有力か、と本から目もくれないメガネをちらと見て朱音は思った。
昏々と眠るルークを自室に運び、しばらくしたら自分も潜り込むだろうベッドに彼を置いた朱音がリビングに戻ったとき、ジェイドは変わらない姿勢で本を読み続けていた。 けれどその意識が少し、こちらに向けられているのを朱音はページを繰る手が止まったことから読み取る。

「随分と早い就寝ですねぇ」
「・・疲れてたんだろ。カバンに詰め込んできたわけだし」
「じっとしていられない性分のようですからね、彼は」

誰かさんと同じで、という台詞が聞こえてきそうなものだと身構えたが、結局それは発されることなく終わった。 なんだかんだ言って、ジェイドも決してルークが嫌いなわけではないのかもしれない。 ・・・「好き」か「嫌い」で分けろと言われたらもしかしてジェイドは、しれっとした顔でルークを「嫌い」に分類するかもしれないが、それでも。 この保護者が一筋縄ではいかない天邪鬼であることは、朱音が一番よく知っている。


Tales-novel/next