第1話
今なお成長を続ける優良投資会社、マルクトファンドの最高経営責任者 ピオニー。齢34にして三大有力企業の一角を担うまでにマルクトファンドを引っ張り上げ、他の追随を許さない奇想天外にして綿密に練られた経営手腕は国内のみならず海外でも高い評価を得ている、いわゆる「やり手の若手社長」である。
「ほえー、ピオニーまた雑誌に載ってる」
「そういえば取材を受けたとかなんとか言ってましたねぇ・・そんな暇があるんなら、さっさと仕事して欲しいものですが」
厚切りのトーストにバターとたっぷりのイチゴジャム。まずパンの耳を食べるべく周囲を攻め、最後にジャムがたくさん残った真ん中を頂く。これがトーストの一番美味しい食べ方だとは信じて疑わないが、ジェイドはあまりいい顔をしない。まぁ確かに、声を荒げたときの漫画の吹き出しのように、パンの周囲がぎざぎざになっているのは見た目に綺麗ではないが、最後の一口がジャムの少ないパンの耳で終わるのをとしては避けたいのだ。ちなみに、ジャムは絶対アオハタで。
「それはそうと、そんなにゆっくりしていていいんですか? 高校に遅れますよ」
「うえっ、もうそんな時間!?」
ジェイドのその言葉に弾かれるように時計を睨む。ジェイドが定期購読している経済関連の専門雑誌に思わず意識を奪われてしまった。ジャムがたっぷりのった最後の一口を堪能する暇も無く、は洗面所に直行する。
「、今日の帰りは遅くなりますか?」
「んー・・放課後の数VC受験対策講座に出ようと思ってるから・・・7時までには帰れるかなー」
「おや、それでしたら帰り道に拾えるかもしれませんよ?」
「まじ? じゃあ連絡入れる」
「はい、じゃあ気をつけていってらっしゃい」
「いってきまーす!」
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ピオニーとの付き合いはこれで結構長い。彼と出会ったのはが小学1年生のときで、ジェイドもピオニーも大学院生だった。あのころ、実験やら講習やらで忙しいジェイドはが学校から帰宅する時間に家にいたことなどほとんどなく、は仕方なく“鍵っ子”で。当時から徐々に、じわじわと親バカぶりを発揮しつつあったジェイド(22)はそれを酷く心配したが、だからといってどうすることもできない。
いつものようにエントランスのオートロックを解除し、エレベーターで最上階へ上がって普通の鍵を開ける。帰り道、「ただいまぁー!」と叫ぶと同時に鍵なんかをごちゃごちゃすることなく玄関へ消える友達を、羨ましいと思ったことは数知れない。
「・・・・あれ? 開いてる・・」
扉の隙間から顔を覗かせ、自宅を確認する。そこは間違いなくジェイドの家で、の居場所だ。しん、と静まり返った室内はいつもと同じで、朝から外気と遮断されて停滞した空気に満ちている。は、あの締め切られた空間独特の鬱々とした空気が苦手だ。玄関の扉を開けて、それまで外気を身に纏っていたを打ちのめす静まり返った家のにおい。帰ってきてが一番にすることは、夏であっても冬であっても室内の窓を全て開け放つことで、それは高校3年生になった今でも変わらない。
深淵高校までの通学途中、流れる車窓の風景をぼんやりと見つめては思う。あの空気は、ジェイドがいないことを肌に感じさせる。だから嫌いなのかもしれない、と。良くも悪くも、“自分”という人間の根幹に深く影響しているのは、他の誰でもないジェイドなのだ。しかも、幼いころの自分はそのジェイドにベタ惚れだったし。幼少期のにとってジェイドは、自慢の父であり、兄であり、友達であり・・土曜の朝にやっている戦隊もののヒーローより、ずっとヒーローだったのだ。・・・・「大きくなったらジェイドになる!」と言い切ったらしい自分が怖い。そう高らかに宣言されたとき、周囲も大いに慌てただろうなとどこか他人事に考えながら、「大きくなったらジェイドのお嫁さんになる!」とは言わなかったらしい自分に天晴れをやりたい。そんなことを言えば、この先ずっと話のネタにされることは目に見えている。
ジェイドが鍵をかけ忘れたのだろうかという考えが一瞬小学1年生のの頭をよぎったが、そんなわけないとすぐさま否定する。子供心にも自分の面倒を見てくれるジェイドという人がどういう人なのかは理解しているのだ。ジェイドが、あのジェイドが、こんなミスをするはずがない。
「誰か、いるのかな・・・?」
靴を履き捨て、はリビングへ直行する。靴を揃えるのはジェイドが帰ってくるより前に済ませておけばいいことだ。ランドセルのベルトをぎゅうと握り締め、ゆっくり静かにリビングへつながる戸を開ける・・・!
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