05/27(Sun)

reported by:temp



――…というわけで、こちらがクラウドさんから、こちらはラムセスさんから預かってきた書類です。お二方もそれぞれ数名から書類を預けられていたようでしたので、期限の迫っているものから順に並べ替えさせていただきました」

 両腕に抱え上げていた書類の山を机に載せると、上役の三白眼がぎょろりと動いた。色素の薄い虹彩に捉えられ、体に緊張が駆け抜ける。入社した際にちらりと言葉を交わし、あとはすれ違った際の挨拶が関の山たるひとである、緊張するなという方が無理な話だ。
 …そんな下っ端のわたしに、両腕で支え切れるギリギリの量の確認書類を預け、「ほな、あとよろしゅう」 と笑顔で手を振った直属の上司には、いろいろと言いたいこともあるのだが、このひとにそれを訴えても仕方ない。努めて冷静に、頼まれ事をこなすことだけを考える。

「わたしには判断の付かないものもありましたので、それは別にしました」
「ああ……、こちらのことですね?」
「はい。最近のバトル成績、ポケモンについての情報、業務日報などはまとめて一番下です」

 積み重なった書類の山を崩さないよう、端をめくるようにして確認していたそのひとは、納得したように小さく首肯し、机の前に立つわたしを見上げた。
 そうしてわたしは、そういえば、と思い至る。

「(このひとの、帽子も被ってないなら、コートも着てない姿を見るの、初めてだ)」

 駅の構内や職員通路でちらと見かけるときは、いつもあの黒と赤のツートンカラーが特徴的なコートを羽織り、黒い制帽を身につけていたから。…この期に及んで間違いはないと思うけれど、わたしは無意識に視線を巡らせ、このひとのシンボルとも言うべきコートと制帽を探してしまう。

「? なにかお探しで?」
「あ、いえ、…さすがに執務室では、コートはお召しにならないんですね」

 不躾に室内を見回していたことを悟られてしまった気恥ずかしさから、わたしは正直に理由を口にする。一瞬虚を突かれたような、ぽかんとした表情を浮かべたそのひとは、口元を緩めることはなかったけれど、どことなくやわらかな雰囲気で目を伏せた。

「ええ。…こちらでは、皆様にも幾分、気を休めていただきたく思っておりますので」

 ――とりあえず、わたしの緊張は筒抜けであるらしい。

「それにしても、随分な量ですね」

 それは、「一気にこんな大量の書類持ってきてくれやがりまして」 という遠まわしな嫌味だろうか、とわたしの頭には思索が巡る。けれどそのひとの表情にそんな刺々しいものはなく(というか、さっきからほとんど変化のない無表情だ)、わたしが積み上げた書類の高さを視線でなぞって一言、「大変だったでしょうに、」 と呟くから、わたしは居住まいが悪くなる。確かにこのひとは、このギアステーションを束ねるひとで、ここに勤める人間の尊敬と羨望を集めるひとだ。

「すみません、一度にこんな大量の確認物を」
「! いえ違うのです、わたくしたちがマスターである以上、確認が多いのは当然でございます。これらはわたくしどもがまだまだ未熟である証拠…、貴女が気に病む必要はありません」

 わたしは迷った。大いに迷った。
 机上に積み上げられた書類の山を指して、このひとは自分が未熟である証拠だと言うが、さて――

「しかし、随分重かったのではございませんか? どうか無理はなさらず、皆の手を借りてくださいまし。わたくしも、微力ながらご助力いたしますので」
「……わざと、なんだそうです」
「はい?」
「こんな大量の、しかも期限が明日までの書類なんて自分が持っていったら、きっとこっぴどく叱られるだろうからって。ボスとほとんど面識のない、しかもこの書類とは直接関係のないわたしなら、きっと大丈夫だからって。…読みは当たってたみたいですけど」
「……彼からなにか、言伝などはありますか?」
「『ほな、あとよろしゅう』、だそうです」

 ああ、このひとは確かに、ギアステーションを束ねるサブウェイマスターのノボリなのだ、と思った。
 このバトルサブウェイが一体どういう施設なのかはわかっていて、そこに君臨する絶対的なボスの片割れなのだと知識では理解していても、実際にポケモン同士を戦わせたこともなければ育てたこともないわたしでは、このひとたちが一身に集める尊敬や羨望、執念や怨嗟を理解できない。
 わたしに分かるのは、無表情で一見すると怒っているようにしか見えないこのボスは、しかし実のところ本当に怒りだすことは稀で、シワやシミひとつないまっさらなワイシャツを見てわかるとおり几帳面なひとで、職務に対して誠実で、熱心で、真面目なひとということだ。
 それだけでも十分尊敬に値するけれど、このひとが集めるものは、この程度では推し量れない。こんなもんじゃない。

――…まったく。これでは、よろしくされるしかないじゃござませんか」

 はあ、とため息をついたボスの口元は相変わらず引き結ばれたままだ。けれどそのくせ、その口から紡がれる言葉はどこか丸みを帯びていて、ああ、これが気安さなのだろうかと思うにつけ、わたしはわたしの上司を羨ましく思う。一般事務職員…ですらない、一年契約の派遣社員の身の上では、まったくどうして望みようもない。

――ボス、シングルトレインに挑戦者です。現在15戦目に入りましたので、準備をお願いします』
「承知いたしました。すぐ参ります」
『まあ、取り越し苦労になるかもしれませんけど。クラウドさんのやる気が異常です』
「…なるほど。わたくしを執務室に閉じ込めておきたい理由がある、というわけなのでございますね」

 ちょっ、もしかしてアイツばらしよったんか!と、直属の上司の叫び声が、オペレーターの声を押しやり、ボスのライブキャスターを通じてわたしにまで聞こえてくる。大体、ばらした、なんて言い方は不適切だ。わたしは別に、秘密にしておくように、なんて頼まれ事はされていない。

「では、クラウドの頑張りに期待することと致しましょう」
『お、おお! それがええと思いますわ!』
「ただし! もし敗北するようなことがあれば、このことも含めて少々お話したいことがありますので、御覚悟を」

 このこと、と言いながらボスは提出期限まであと24時間を切った書類をひらひらさせる。…明日の午前中が締め切りの書類など、ほとんど今日が期限であることと変わりない。仕事はできるのに整理整頓の苦手な上司が、モニターの向こうでヒィ!と喉を絞られたような声を上げた。

「では! 貴方の健闘と、心躍るバトルが繰り広げられんことを祈って」

 ちょい待っ―――…、ブツリと途絶えた電波の向こうで、堪忍してぇな、とうなだれる上司の声が聞こえた気がして、わたしは笑みを漏らす。一度くらい痛い目を見ればいいのだ、手間はかからないに限る。

「では、わたしも失礼します」
「ええ。お疲れ様でございました、

 律儀に立ちあがって会釈してくれたボスに、わたしも礼を返して扉を閉める。
 シングルトレインに加え、ダブルトレインも駅を離れているせいか、廊下はしんとした静寂に満ちている。しばらくその静けさの中を泳ぐようにわたり、やがてわたしは立ち止まった。うそだろ、まじでか。あのひとホント何者。不意に立ち止まったわたしを、怪訝そうな目でのぞきこむ職員と軽く言葉を交わして、また歩き出す。

「(…あのひともしかして、派遣も含めて職員全員の顔と名前、覚えてんのか……うわ、ありうる)」

 派遣社員としてギアステーションに勤め始めて2カ月。廊下ですれ違う程度の接触はあったが挨拶以外の言葉を交わした記憶はない。入社の際に一度名前を名乗り、握手を交わしたのが最初で最後のはずで、これだけ組織も大きいことだし、一年契約の派遣のことなんて覚えているわけがないと思っていた。あのひとは直近の上司などではない、このバトルサブウェイのボスである。マスターである。社長、ではないがまあ当たらずとも遠くない。そんなひとが!

「(…やっべー、なんか地味にテンション上がってきたかも)」

ゲーム未プレイの身で、うっかりどハマりしました。よろしければ、お付き合いください。

2012/04/02 脱稿