06/09(Sat)
reported by:temp
「ねえ、キミだれ?」
心安らぐ、ほんのひとときのコーヒーブレイク。事務所の裏手にある休憩室でひとり、コーヒーをすすっていたわたしは、目の前にぬっとあらわれた人間の顔、しかも上下さかさま状態で出現したそれに、むせかえってしまった。
驚きのあまり気管に入ってしまったらしく、げほごほと派手に咳込む。それを引き起こした当の本人は、人差し指をあごに当ててきょとりと首をかしげて見せた。何してるの、とも、変なの、とも言いだしそうな表情に思わず苛立ちが募る。
「…せきするときは、口に手を当てなきゃダメなんだよ?」
誰のせいだと思ってやがんだコノヤロウ、茶色のハイドロポンプ吹っ掛けられなかっただけよかったと思え!
舌の上まで出かかったセリフを唾と一緒に飲みこんで、わたしは小さく、「すみません」 と呟いた。
「ウン。わかってくれたなら、それでいーや」
頭の先から靴の先まで全体的に白っぽいそのひとは、なぜか満足そうな笑顔でわたしのあたまをなでる。わしゃわしゃと前髪を混ぜ返されて、わたしはもしかして、ポケモンかなにかと勘違いされているのだろうかという疑惑が脳裏をよぎった。…いやいやいやいや、ないないないない。ちゃんと返事だってしたし、このひとがいくらバトルサブウェイを代表するバトル狂の片割れだからとて、人間をポケモン扱いすることはあるまい。たぶん。
「ねえ、キミはだれ?」
さすがに双子なだけあって、外面はよく似ている。整った顔に張り付いている表情があまりにも違うため間違うことは少ないだろうが、もし同じ表情で同じコートを着て、同じ色のスラックスを穿いていたら、なるほど見分けはつかないだろうなと思った。まあそれでも、しゃべりだせば一目瞭然だろうが。
返事を寄越さないわたしに焦れたように、そのひとの眉間に薄いシワが刻まれる。なのに口元はいつもと変わらない笑みのままで、そのアンバランスさが奇妙だった。そわそわと落ち着きなく、そのひとの頭が左右に揺れる。
「ねえ、きみのなまえは?」
「
――。……です」
「!いいなまえ! あのね、ぼくクダリ!」
知ってるよ、と胸の内で呟く。このギアステーションであなたを知らないひとなんて、バトルサブウェイ初挑戦のチャレンジャーにだってそうそういないってんですよ。いわんや、ステーションの制服を身につけた職員に、である。
「、こんなところで何してるの? サボり?」
「…人聞きの悪いこと言わないでください。ちゃんと許可はいただいています」
「ふーん」
自分から聞いてきたくせに興味なしってか。まあ、そんな興味もたれても困るだけだし、構わんけれども。わたしはむくむくと胸の内に湧き上がってくる言いたいことを、全部まるめて溜め息にする。ぐるぐるもやもやとしたその黒いものを吐き出して、穴埋めするようにコーヒーを口に含んだ。ああ、こんな自販機の缶コーヒーじゃなく、痺れるくらいに苦いのが飲みたい。
「ねえ、」
「…なんですか」
「ぼくもそれ飲みたい」
「…? 自販機、目の前にありますけど」
「うん。見てたら、ぼくものどかわいちゃった!」
「……はあ、そうですか」
「うんっ」
「………………」
「………………」
「……………………なにが飲みたいんですか…」
「えっとねー、これ!」
絶対おかしい。こういうのをパワーハラスメントっていうんじゃないのか。
にっこにこ、という擬音語が浮かんで見えるような笑顔と共に、指し示されたオレンジジュースは果汁0%。色とにおいのついた砂糖水だ。こんなもんよく飲めんな、と思いながらわたしはそれを手渡す。そして、満面の笑みでこちらを見上げるそのひとと目を合わせないようにしながら、彼の座る場所とはほとんど対角線の位置取りにあるベンチに腰掛けた。
笑顔を崩さないまま、けれどそのひとは器用に小首を傾げる。「なんで?」 とか聞かれたら面倒だな、と思いながら缶コーヒーに口をつけ、なのに口を離したときには目の前に白い影があって、思わずまたむせた。
「な…ッ、な、んで、っ」
「あはは、変なの。だいじょうぶ?」
誰のせいだと思ってんだ、誰の。出かかったセリフを無理やり飲み込み、呼吸を整えているうちに、そのひとはまるで当然のようにわたしの隣にすとんと腰掛けた。オレンジジュースを飲みなら子どものように、しかし子どもにはあり得ない長い脚を持て余してぶらぶらさせている。
わたしの彼を見る目はほとんど、痴漢や変質者を見るのと大差ないものだったが、そんな視線にさらされてもなお、当の本人はかけらも気にしちゃいないらしい。ごくごくとにおいつき砂糖水をのどに流し込み、けれどぷはぁっと風呂上がりのビールを楽しむおっさんのような仕草で缶ジュースから口を離し、子どものような声で 「おいしいっ」 と笑顔を振りまく。いろんなものがちぐはぐで、奇天烈としか思えないのになぜか不思議と違和感はない。わたしはただ、めんどうくさそうなひとだなあとだけ思った。
そうこうしているうちに、コーヒーは空になってしまった。休憩室の時計を見上げると、上司からもらった休憩時間にはまだもう少し余裕がある。……が、
「………………」
「? なあに?」
このひとと一緒に残りの休憩時間を過ごすのは、あまり得策ではないように思えた。
――バトルサブウェイのノボリとクダリ。知る人ぞ知る、けれどこのバトル施設に一度でも足を踏み入れたトレーナーなら、誰でも知っているサブウェイマスター。地下の支配者。地底を統べる双璧。バトルサブウェイにおいて、絶対的に君臨する王の片割れが、このひとである。
白と赤のツートンカラーが特徴的なコートに、白の駅員帽、白のスラックス。黒のボスと呼ばれるのがノボリさんなら、白のボスと呼ばれるのがこのクダリ。親しくしておくには十分すぎる理由があるが、性格的にあわない気がした。どうせ一年程度の契約である、内側にストレスを溜めこんでまで付き合う必要はない。
わたしは空になった缶コーヒーを空き缶用のくず入れへ向かって放り投げた。カコン、と甲高い音がして空き缶が床に転がる。…めんどくせえ…、思わず舌打ちしそうになるのを白ボスの手前ぐっとこらえ、膝に手を当てて重い腰を上げた。前髪の隙間からチラと様子をうかがうと、せっかく買ってやったオレンジジュースをごっくんごっくん一気飲みしている姿が目に入る。
「(…意味わかんね)」
転がった空き缶を拾い上げ、今度は面倒くささが残らないようにくず入れへ足を向けた時だ。ヒュッと視界を横切った何かに、わたしは注意を奪われる。無意識に視線はそれを追った。きれいな放物線を描いて宙を舞った空き缶が、吸い込まれるようにくず入れへボッシュート!
「やった、入った!」
はっとして声の方を振り向くと、立ち上がった白ボスがガッツポーズからのバンザイで笑顔を振りまいている。なんなんだこのひと。子どもっぽい、無邪気なひとだとは遠目に見て聞いて知ってはいたが、ここまで真性のものだとは予想だにしておらず、わたしはいい加減面食らってしまった。これでやっていけるのか、というか、やっていけてるギアステーションすげえ。
「、いまの見た? ぼくの入った!」
「……はあ、そうですね」
…いや、だって他にどう返事しろと? 別に “これが入ったら午後休!” とか “先に入ったほうが昼飯おごり!” とか、そういう見返りや賭けがあったわけじゃないし、テンションの上がる理由がない。確かに今回は外したけれど、入ったのが殊更すごいわけでもない。見りゃわかりますけど、とうっかり言わなかっただけ褒めてもらいたいぐらいだ。
にも関わらず、白ボスはわたしをまっすぐに見てにこにこにこにこ、きらきらきらきら笑顔を振りまいている。振りまいているというか、ばら撒いている。生まれてこの方、自分の笑顔をまるでバナナのように叩き売れるひと初めて見た。始末におえないのは、そのバナナの質がいちいち悪くないことだ
――…いや卑猥な意味じゃなくて。
「…………よ、よかったですね…」
「うん!」
よくよく絞りあげた雑巾から、どうにかして絞り出した最後の一滴みたいなわたしの言葉に、それでも白ボスは心底嬉しそうに破顔一笑した。そこでようやく、あのバナナの叩き売り式笑顔は、ただ一言ほめてもらいたかっただけのものだったのだと理解する。わっかんねーよそんなの、めんどくさいから褒めてほしいならそう言えよ、なんてもちろん言えない。つーかあんた歳いくつだ。
「じゃあボス、わたしそろそろ
――…」
火の点いたような、とはこういう場合に使うのが一番正解なのだろう。休憩所は駅の裏手にあって、一般客が入り込むことは極めて稀だ。けれどだからこそ、こういう場所には付き物の “あれ” がたまに出没し、職員たちを悩ませる。
――迷子と幽霊。前者であっただけ、マシだろうか。
「…………………」
「…………………」
おかあさあああん、おかあさああああん、と窓ガラス越しに泣き声がとどろく。もはや超音波だ。あたまがガンガンする。こうかは ばつぐんだ。
「…………………」
「……………あの、」
「なあに?」
「…いや、あの…お行きにならないん、ですか」
「なんで?」
「なんでって…いや、まあ、確かに……」
不思議そうに首をかしげる顔ももちろん笑顔だ。張り付いたような笑み。口元はくっきり吊り上って笑みの形をとっているのに、あまり目が笑っているように思えない。鼻から下を隠したら、きっと無表情にしか見えないだろう。
「は?」
「えっ、いや、わたしは…」
「きゅーけいじかん、もうおわり?」
「あ…いや、まだもう少し、」
「じゃあハイ、ここすわって! きゅーけいじかんは、しっかり休まなきゃ」
ぽんぽん、と白ボスが自分の隣のあいたスペースを示す。けれどわたしの足は床に縫い付けられたように動かない。座ったとしてもあんたの隣にはいかねーよ、とひっそり毒づくが、思考の半分、いや七割以上は使い物にならなかった。無意識に泣き声のする方向へ視線が吸い寄せられるのを、舌打ちと共に阻止する。
「…きになるの?」
小首をこてんと傾げるその顔は、まったくもって先ほどから変わらない、いい笑顔だ。ぶっ飛ばしたくなるような嫌悪感がわたしを包む。
「……別に」
「そう」
「…ボスは、気にならないんですか」
「べつに? かんけーないもん」
「そう、ですか」
わかっている、わたしがこのひとに苛立つ権利などないことくらい。子どもの相手なんてまっぴらだ、それがもうすでに泣き喚いている迷子となれば、頼まれたって近づきたくない。こっちの言葉は通じないし、子どもの言葉もわからないし、理屈は通らないし大体うるさい。めんどうくさい以外の何物でもなく、メリットのひとつも見出せない。
だがそれにしたって、あっちもこっちも
――、
「?」
「(…っああもう、めんどくせえ!)」
わああああん、わああああああん。
…泣き止みやしねえ。
ちゃんと子どもと目線を合わせて、なるべく笑顔で、あまり刺激しないよう、「どうしたのかなー? おかあさんとはぐれちゃったのかなー?」 なんてだらだら語尾を伸ばし、我ながら虫唾の走るような気持ち悪いしゃべり方で気をそらそうとがんばるわたしの目の前で、迷子の女の子はもうまったくもって泣き止む気配がない。
わたしがここにしゃがみ込んでから、かれこれ十分は経過しただろうか。もちろん休憩時間は終わっている。腰ポケットで唸り声を上げる呼び出しに応えるわけにもいかず、これは後でこってり絞られるのは間違いないだろう。ああもう、ほんとにめんどくせえ…。
「
――んしょっと。どうしたの? おかあさんとはぐれちゃった?」
うずくまっていた子どもの足がいきなり地を離れ、わたしも、そして泣いていた子どもも目を丸くした。振り返ると、白づくめのそのひとが子どもを片腕に抱き上げて、にこにこと人好きのする笑みを浮かべている。
「だいじょうぶ、きみのお母さん、きっとむかえに来てくれる。…だから、ね? 笑ってるほうがかわいいよ?」
子ども相手に何言ってんだこのひと。わたしは思わず白い目でそのひとを見上げたが、それまでヨーテリーの遠吠えどころの話じゃなくわんわん泣き声を上げていた子どもが、ぴたりと泣き止むのだから恐ろしい。恐ろしいって、ウインクひとつで幼子を泣き止ませる我らが白ボスもだが、ウインクひとつで泣き止んだ挙句キャッキャと笑顔を浮かべる女児もまったく末恐ろしい。
「」
「…あっ、はい」
タイミング良く何度目かの唸り声をあげた呼び出しに応えれば、直属の上司の怒鳴り声が耳をつんざいた。大声すぎてもはや何と言っているのか聞きとることも難しい。なんだか怒声と一緒に腕まで飛び出してきて、一発ぶん殴られそうな勢いだ。あと、関西弁コワい。
「あの、すみませんクラウドさん。お叱りは後で受けるので、構内放送お願いしたいんですけど、」
『ああ?構内放送や? …おまえ今どこで何してんねん』
「休憩室の裏手です。おそらく4,5歳…本人によれば4歳の迷子の女の子を保護しました。格好は白のワンピースにピカチュウ帽子、靴はモンメン。手持ちのヨーテリーを追いかけて迷い込んでしまったらしいです」
『わかった、すぐ放送かけたるわ。連れてこられるか?』
「はい。迷子センターにこれから向かいます」
連絡の最中にも、白ボスと迷子の女の子は親交を深めたらしい。わたしがどれだけあやしても泣き止もうとしなかったくせに、今やサブウェイマスターの腕に抱かれて、咲き誇るドレディアのような満面の笑みだ。もうやだ、子ども怖い。
「れんらく取れた?」
「はい。迷子センターに向かう手筈になっています」
「そっか。じゃ、行こっかー」
きゃらきゃらと笑う女児を抱いたまま笑顔で歩き出す白ボスの背中をうっかり見送りかけて、はっと我に返った。何を呆けているのだわたし。忙しいはずの上司に、しかも数段階飛び越えた地位にいる上役に押し付けるような仕事ではない。泣き止んでしまえさえすれば、なんとかなる。たぶん。
「あの、ボス!」
「うん? なに?」
「ボスは仕事にお戻りになってください。あとはわたしが」
「うーん? でも、迷子のコをお母さんのところにかえしてあげるのも、ぼくの仕事」
「そ、それはそうなんですけど、」
「それに、」
視線を落としたボスにつられて目をやると、おとなしく白ボスの腕に抱かれていた女児が、わたしをうっそりとした胡乱な眼で見上げていた。剥きたてのゆでたまごみたいな頬をムスっと膨らませ、その滑やかな眉間にはうっすらと皺すら浮かんでいる。えっ、うそ何これ、もしかしなくてもわたし邪魔者? 思うさま勢いよく顔を背けられ、ひくりと表情筋がひきつった。オイ、何なめた真似してんだこのガキ。わたしがやりたくて言ってると思うなよ…!
「ぼく子ども好き、子どもきらい。てきざいてきしょ!」
でしょ?と満足げに笑いかけられて、わたしの胸の内には苦いものが広がる。白ボスに見抜かれていることも、それに輪をかけてわたしを苦々しい気分にさせた。
子どもは嫌いだ。言葉が通じないし、理屈が通らない。なのに勘は妙にするどくて、自分に正直。わたしにとって、おおよそうまくやっていけるとは思えない要素の集合体が子どもという生き物で、もはやどうしようもないとすら思う。
けれど、一度首を突っ込んでしまったのだから、しかもそれを決めたのは自分なのだから、ここで一足お先におさらばするわけにもいかないと思うのだ。
「……ボス、」
「あれ? まだいたの?」
「…すみませんね、決断が遅くて。
――…わたし、その子のヨーテリー探しに行きます」
「ほごのれんらく、入ってなかった?」
「クラウドさんは何も。一応センターに連絡は入れますが、探しながらにします」
「うん、わかった。じゃあ、この子はぼくにおまかせ!」
では、失礼します。ここぞとばかりにしっかり下げた頭、に、なぜか手のひらの感触。なんだこれ、と思うよりさきに再び髪の毛をわしゃわしゃかき混ぜられて、声を上げる間もなく固まってしまった。いやいやいやいや、ええー…?何これちょっと、本気で意味わかんない…。乱れた前髪の隙間から様子をうかがえば、相も変らぬにこにこ顔。
――だめだ、なんにもわからん。通りすがりのハーデリアに噛まれたとでも思って(…なんだそれだいぶつらいな…)、とりあえず放っておこう。そう考えたわたしは、何も言わずに踵を返す。子どものそばを離れられるだけでもまだマシだ……ポケモン探しは、それよりずっと気が重いが。
角を曲がるとき、無機質な背景にぽっかりと浮かぶ白が目について視線を向けた。てっきり迷子の女の子と和気あいあい、迷子センターへ歩き出しているかと思いきや、白ボスはこちらに顔を向けたまま、遠目にもわかるほどにこにこと笑顔を叩き売りしている。…だれが買うんだ、その笑顔。そう思った拍子にぶんぶんと大きく手を振られて、びっくりした。うっかり私の背後にだれか知りあいでも立っていたのかと、振り返ってしまったくらいである。
いったい何がしたいのかさっぱりわからないまま、軽く会釈して自分の前方に視線を戻す。考えてもどうせわかりっこないものを、長いこと考えていても時間の無駄だ。それよりさっさと迷子のヨーテリーを探さなければ。
そしてそれから三十分。ヨーテリー発見の連絡が入ったのは、わたしが車両保管庫で線路と車両のあいだに潜り込んでいたときだった。
…ちなみに、発見場所とは正反対の位置である。
KMT!(もしかして:クダリさんまじ天使!)
2012/04/04 脱稿