14/11/29(土)
reported by clerk
ただいま、と声をかけるより先に聞こえてきた足音に、ぼくとノボリは玄関先で顔を見合わせた。足音だけ聞いてると、まるでオノノクスがどたどた走ってくるみたいだ。でもノボリのオノノクスはちゃんとボールに入ってるし、なによりものすごく慌ただしい。心当たりはひとりしかいなくて、けれど理由が思い当たらずぼくは首をかしげる。
足音がいったん止まる。バアン!と一切の力加減をすることなく開かれたドアの向こうで(となり近所のひとごめんなさい)、がふるふると肩を震わせていた。
「〜〜〜〜っ、クダリさん!」
――あの、あれ、見たことある? 日曜日の朝早くにやってる、かっこいいお兄さんとかお姉さんが変身して悪いヤツとたたかう、いわゆる特撮番組ってやつ。毎週日曜日がお休みなわけじゃないからたまにしか見たことないんだけど、ああいうのって、変身するとき「っとう!」ってジャンプするでしょ? 勢いつけて、ぴょーん!って。
本当に、ああいう感じをイメージしてもらうのが一番だと思うんだけど、はまるでその特撮ヒーローにでもなったみたいに、っとう!って勢いつけて床を蹴った。もちろんはヒーローなんかじゃないから、体はすぐ重力に捕まって下に落ちようとする。はそれに対抗すべく両腕をバッと広げて、ぎゅううっと首っ玉にかじりついてきた。
こんなはすっごく珍しい。珍しいっていうか、一緒のところに住むようになったこれまでにだって、ぼくは一度も見たことがない。は感情のふり幅がすこし狭めで、しかもその感情を外に表現しようとするとそこでさらにエネルギーを消耗するから、結局大部分が出力されないまま消費されてしまう。マイナスの感情もそうだし、プラスの感情もそう。は自分の中だけでぐるぐるして、それでもういいやってしてしまうことが多いコだ。
の感情はぼくが自分から探して、拾い上げていくものだと思ってるから、こんなふうに感情をわかりやすく爆発させているはほとんど知らない。体中から喜びや嬉しさを迸らせて、ぎゅうぎゅう抱き着いてくるなんてなおさらだ。「だいじょうぶ?熱でもあるの?」もしくは、「キミ、だれ?」って言いたいくらい。
厚手の靴下をはいた足先から、ころりとスリッパが転がり落ちる。正面から飛びついてきたの勢いを支えようと、飛びつかれた方の背筋がぐぐっとのけ反り、バランスをとろうとして両腕がの背中にまわろうとする。でもそれだけ。所在無げに宙をかく二本の腕はいかにも困り果てた様子で、ぼくから見てもなんだかひどくかわいそうだった。助けてくださいまし、と訴えてくる深刻で切実な形相を見返しながら、ひとつ溜息。指でトントンとの肩を叩く。
「っ、ああもうなんですかノボリさ…………」
あれ? というの心の声がはっきり聞こえた気がした。たっぷり五秒間、ノボリの肩越しにぼくと見つめあったは、ぐるりと首を巡らせて一番近くにあるうっすら頬に赤みの差した仏頂面を見上げ、ぱちりぱちりと瞬きを繰り返す。そして小さく舌を打った。
「……紛らわしいんですよ…」
「わたくしが悪いとでも!?」
「あーはいはい、おいで」
玄関マットにつま先をおろしたは、そのまま間髪入れずぼくの首の後ろに両腕を回した。思わず息が詰まるくらいぎゅうぎゅうに抱き着いてくる彼女の腰を支えながら、やっぱり何があったのか心配になっちゃうくらい珍しいなあと思う。
ノボリだけの前ならそこまででもないけど、他の誰かの視線がある場所でのは、まるで修行僧にでもなったみたいにぼくとの接触を避けようとする。付き合ったりとかしてなかった頃はくっついても割と放っておかれることが多かったから、むしろ今の方が避けられているくらいだ。
なんでも、の元いた世界では、たとえパートナーであろうと人前でいちゃいちゃするのは褒められたものではないらしい。「子どもの頃そうやって過ごしてきたから、10年経とうが改めようがないんです」、「手をつないで歩くのだって、向こうじゃ本当はナシなんですよ」ってしかめっ面で言う。郷に入れば郷に従えって言うのは簡単だけど、嫌がることをしてもしょーがないし、二人きりのときにも同じようなことを言い出すわけじゃないから、ぼくは大人しくの要求を呑んでいる。……まあ、の言う理由が本当に本当なら、くっつくのはやめろって最初から言うはずだと思うから、多分の言ってることは半分くらい本当で、残りの半分はただのこじつけなんだろうと思っているのだけれど。
そんなだから、今のこの状況にぼくがぎょっとするくらい驚いたワケもわかってもらえると思う。がぼくとノボリを間違えるくらい興奮していることにまずビックリで、そのままぎゅうぎゅう抱き着いてくることにまたビックリで、間違いに気付いたことでいったん冷静になったはずなのに、それでもぼくの「おいで」に応えてくることに更にビックリだ。とんでもないことが起こったとしか思えない。
つま先で床を軽く蹴ったが、子どもみたいに両足をばたばたさせる。自分でもどう処理したらいいのかわからない喜びで、嬉しさだいばくはつ!って感じ。なんだか、ちっちゃい子どもができた気分だ。ぼくの首筋に額をうずめて、堪えきれないみたいにくすくす笑う。
「――…リア充爆発しろくださいまし」
「えー? ノボリ、いま彼女いるじゃん」
「…………順調ならこんなこと言いやしないんですよ……」
またか、とは思ったけど口に出したらたぶん暴れるので言わない。
「で? どしたの?」
「あれ、わかんないです?」
しばらくしてようやく落ち着いたらしいが、靴の上に転がったスリッパを拾い上げながらきょとんと首をかしげた。…うん、なんかゴメン。「なにかあった」ことはわかるけど、さすがにまだそれが何かまで、アイコンタクトだけでわかるほど熟練してなくて。てゆーかそれ、ぼくとノボリを間違えたひとの言うセリフ?
「じゃあもう、見てもらったほうが早いです!」
「え、わっ、ちょっと待って! ぼくまだくつ脱いでない!」
ノボリと一緒にどたばたと引っ張られ、連れ込まれたリビングに灯る紫炎。ぽわんと宙に浮かんだその明るさの正体は、ぼくもノボリもよく知っている。古いお城がきっとぴったり似合うであろう姿は今朝までの彼とは大きく様変わりして、これまでよりもいっそう明るく周囲を照らし出している。――いざないポケモン、シャンデラ。ランプラーが闇の石を使用することで進化する、彼らの最終形態だ。
「うそ!? シャンデラになってる!」
「ブラボーでございます! さすがルクス、シャンデラに進化してもお美しい…」
ノボリに褒められ、まんざらでもない様子でルクスが宙をくるりと舞う。ノボリのシャンデラのことが好きなルクスは、彼女がずっと一途に慕い続けているノボリのことをあまりよく思っていないのだけれど、褒められたことは単純にうれしいらしい。親に似て都合いいんだもんなあ、と小さく苦笑している途中ではたと気付いた。…ということはこれってもしかして、ルクスにゴマをするチャンス?
「うんうん! ルクスやっぱりかっこいい、惚れ惚れしちゃう!」
………ちょっと、なんでムシするの。
「でしょー? ランプラーのときも愛らしくてたまらなかったですけど、シャンデラになったら麗しさがぐーんと上がって、もうわたしはメロメロです…」
「そのお気持ちよくわかりますよ! ランプラーも大変愛くるしいお姿をしておりましたが、シャンデラに進化いたしますとその愛くるしさを維持したまま、しかし同時に妖艶さも増していて、まったく非の打ちどころがございません」
「ランプラーが思春期の、大人になるかならないかっていう瀬戸際にある少女だとしたら、シャンデラは年齢を重ねて魅力を増した、大人の女性ってやつですね……」
「ええ、その通りです! どちらも大変美し…………何を言わせるんですか貴女」
「ノボリさんが勝手に言ったんじゃないですか。いや、ヒトモシを喩えに持ち出さなくてよかったなとは思いましたけど」
女の子を引き合いに褒められて(ナニあの飲み屋のおやじみたいな褒め方)ちょっと不満そうな顔をしていたルクスだけど、純粋に褒めてくれているものだと解釈することにしたらしい。さすがと言うしかない諦めの早さだ。相変わらずうまいこと言ってるような、ただゲスいだけのような比喩で褒めちぎる二人のまわりをくるくると舞い、頭上の紫炎を猛らせる。
――ぼくが気付かないとでも思ったか。
どうやらぼくにを盗られたと思っているらしいルクスは、ぼくを未だに目の敵にしている。二人でのんびりテレビとか見てたら、モンスターボールから勝手に出てきての膝の上占領するし、それでなくともデンチュラたちと遊びながらの視線を釘づけにして、いよいよ寝室にまで潜り込もうとしてきたときには、にバレないようにボールの中に閉じ込めてテープでぐるぐる巻きにして出てこられないようにしなきゃならなかったくらいだ。厄介極まりない。
――ぜったいルクス、ぼくのことのけ者にしようとしてる。
そうはさせるか、と思う。そうじゃなくたって、ヒトモシのころから彼を育てていくうえで悩みや心配事があればノボリのところを真っ先に頼っていたなのだ、これ以上ほっぽり出されちゃたまらない。
「ねえ、闇の石どうしたの? まさかひとりで取りに行ったんじゃ、」
「いや、無理ですよそんなの。あした仕事なのに」
数日にわたる連休があったらやりかねないような口調であることが怖い。
「クダリさん覚えてます? クダリさんのことが好きで、バトルに勝ったら告白しようって、わたしに勝負しかけてきた女の子」
「……ん、おぼえてる。いろいろたいへんだったもん」
「あのときわたし、ライブキャスターの番号交換して、今でも時々メールのやりとりとかしてるんですけどね、」
「えっ。なにそれ、そんなことしてたの?」
そーなんですよー、ってそんな自慢げに言われても。まあ確かにすごくかわいい女の子だったし、の趣味にストライクど真ん中だったんだろうなってことはすぐわかるけど。……なにこのすっごく空しい感じ。
「今日久しぶりに会ったら、あの時のお詫びに闇の石あげるって言うんで、遠慮なくもらってきちゃいました」
「うわあ…がいたいけな女の子をたらしこんでる……」
「ライモンから一歩も外に出ることなく闇の石を入手するとは…さすがでございます」
「なんか、あんまり褒められてる気がしないんですけど」
「ぼく褒めてないもん」
「わたくしは褒めておりますよ?」
でも実際、伝手だけでどうにかしてしまうのだから、スゴいというかなんというか。ぼくのことばかり「調子がいい」って言うくせに、だってこれで結構ちゃっかりしているのだ。は否定するだろうけど、たぶんノボリなら同意してくれる。だって、一番被害をこうむってるのはノボリだもん。
「でもよかったね、。おめでと!」
「はい! それもこれも元をただせば、あの子に一目惚れされたクダリさんのおかげです」
……なんかそれすっごく微妙…。素直にどういたしまして、って言う気になんない。
思わず押し黙ってしまうぼくをよそに、二人は顔を突き合わせて今後の方針を立てはじめる。はなにか勘違いしてるみたいだけど、ぼくだってバトルでシャンデラと一緒に戦う身だ。親は確かにノボリだけどほとんど同じくらい詳しいし、少なくともシャンデラの育成について、に十分アドバイスしてあげられる。
「や、でもわたしバトルには滅多に出してあげられないんで、あんまり追及しても…って思うんですけど」
「ですが、野生ポケモンなどに襲われることもあるでしょう? 緊急時のため、ルクスが十分力を発揮できる程度の火力は用意させてあげるべきでは?」
「むぐぐ……サイコキネシスってね、バトル以外でも使えます? あったら便利そうだなって思ってたんですけど、はっきりしたことよくわからなくて…」
「ああ成程、そういうことでございましたか。そうですね、のお手伝いをすることは彼にとってもプラスになるでしょうし、悪くないと思います。……確か余っている技マシンがあったと思いますので、よければ差し上げますよ?」
「えっ。いや、でもあの……いいんですか?」
二人とも、大事なこと忘れてる。
「あのさあ、サイコキネシスの技マシンくらい、ぼくだって持ってるんだけど」
「えっ」
「あっ」
目からウロコ!みたいな顔で振り返るは、「しまった」って顔をするノボリに気付かない。ヤキモチっていうのとは少し違う、…と思う、けど、面白くないのは本当。ノボリを頼るまえに、もっと頼っていいひとがいるんじゃないのー?って思う。まあ、どっちにもシタゴコロがないってのはよくわかってるから、もっと他の変なとこに頼られるよりは全然イイんだけど。
「なんだ、じゃあもっと早く言ってくださいよ」
「ぼくそれ聞いたの初めてだもん、わかるワケない!」
「そこはほら、空気を読むかんじで」
「むーりー」
視界の端でノボリがほっとしたみたいに、少し息をついている。そんなふうにするくらいなら初めからちょっと気を付けてくれればいいのにって思うけど、まあノボリがそゆとこに注意を払えたら、あんなしょっちゅう女のひとにフラれるわけないとも思うから、きっと仕方ないことなんだろう。夢中になると、つい周りが見えなくなっちゃうっていうか、そのことだけに一生懸命になりすぎちゃうんだよねー、ノボリって。期待に応えたいって気持ちはわかるけど、全力投球しすぎ。もうちょっと肩の力抜いたら?って、いっつも思う。
今回のことに限っては、がもっとぼくに頼ってくれれば解決する話ではあるんだけど。
「てゆーか、ルクスがヒトモシからランプラーに進化したときはどうしてたの?」
「どうって…、どういうことです?」
「だってあの喜びようだもん、ひとりでどうしてたのかなって。……すれちがう人にいきなり抱き着いたりとかしてないよね?」
「失礼な、そんなことしてないです」
そう言いながら、あんまりにもあり得そうな事態に若干血の気が引いたけど、間髪入れず否定してくれてほっとした。――…ほんの一瞬。
「ちゃんと許可とりましたもん」
「………なっ、」
「なーんちゃってー、そんなわけないじゃないですかー」
大人しくお湯ためたお風呂のなかで叫んでましたって。
そうあっけらかんとして言うに、そこはかとない殺意が芽生えたとしてもおかしくなんかないと思う。普通に考えれば絶対ありえない事態だけど、普段のを省みて、さっきのことを思い返せばそのくらいしかねないって思っちゃう。すごーく残念なことだけど、ぼくのに対する信頼感はそんなもんだ。
「やだなー本気にしまし、た…………ごめんなさい冗談が過ぎましたすいませんほんとあの、冗談なんで本当に」
「当たり前でしょ、いい大人がなに言ってんの」
「すいません」
「あのさあ、冗談を冗談だと思ってもらえないこの状況を、自身はどう考えてるワケ? 恥ずかしいとか、情けないって思わないの?」
「思います。……し、しんぱいかけて、申し訳ないなとも思います、はい…」
「ふーん、ほんとかなあ」
「!!」
かるーく鼻で嗤いながらぼくがそう言うと、ひくりと喉をひきつらせたが目を真ん丸にしてくちびるを震わせる。少し落ち着いたとはいえ、普段と比べるまでもなくテンションの上がり下がりが大袈裟な状態にはあるらしくて、どうしようどうしよう怒らせたどうしよう、と蒼白になった顔にそんな言葉が浮かんで見えた。
――まあ、たまにはね。時々こうやってお灸をすえておかないとは、すぐフワフワ飛んでいっちゃうから。前よりは素直に甘やかされてくれるようになったけど、やりすぎるとその分すぐ調子に乗るっていうか、リードの届かないとこに行こうとするっていうか。アメとムチってやつをぼくは上手に使い分けなきゃいけない。甘えるのがヘタクソなら、甘やかされるのもヘタクソなのだ。
あんまり自覚ないみたいだけど、だって結構めんどくさいタイプ。…まあ、ノボリよりはマシだけど。
「く、クダリさ…、」
「いいよ、とりあえず今回はソレ信じてあげる。シャンデラまで進化したルクスに免じて」
「ううう」
俯いたままぐすっと鼻を啜ったを腕の中に抱き寄せて、あたまをぽんぽんと軽く叩いてあげる。大人しく体重を預けてきたに気付かれないよう、耳元でにやりと笑ったところで、ノボリみたいな顔をしたルクスと目があった。あ、マズい、と思ったけど、ここで引き下がるのはぼくの沽券にかかわる。
「(これ、ぼくのだもん)」
キミはさっさとノボリのシャンデラ落としたら?
ついさっきまで喜色満面だったがぼくの腕の中でぐすぐす鼻を鳴らしてて、そのぼくはの肩越しにシャンデラになったばかりのルクスと視線を戦わせているという混迷した状況に、お手洗いから戻ってきたノボリが言った。その言葉にぼくはひっそり、さすがだなあと思う。マネできないし、あんまりしたくもないけど。
「あの、そろそろ夕飯にしませんか?」
リクエスト#10:ルクスがシャンデラに進化したときの話
2012/08/08 脱稿
2012/09/09 更新