07/17(Tue)

reported by:temp



「クダリさん、見つけましたよ」

 こいつ仕事ナメてんのか。腕組みとともに見下ろした先には、制帽を顔にかぶせ、脚を組んで寝転がる白のサブウェイマスター。事務所の備品を集めた保管室の奥にできあがっていたのは、段ボール同士を器用に組み合わせて作られた、“巣” のような寝床である。この器用さをもっと他のこと、たとえばポケモンバトル以外の仕事とか仕事とか仕事とかに活かしてもらえると、だいぶ楽になるんだけどなあ、わたしが。考えても仕方のないことに思索を巡らし、わたしは溜め息をついた。いつまでもかくれんぼをしているわけにはいかない。

「ほら、早く立ってください。どうせ起きてるんでしょう?」
「……てへ」

 なにが 「てへ」 だ、かわいこぶってるつもりか、いい大人が。……いや、かわいくないとは言ってない。
 いたずらっこのような表情でぺろりと舌を出した上司(上司!)を目の前に、わたしは片手で顔を覆う。なんだってわたしがこんなことをしなくちゃならないのだろう。事の発端はクラウドさんの机のなかから発掘された確認書類の期限が今日までなことで、提出先がよりによって黒ボスではなくクダリさんだったことで、ダブルトレインでのバトルも無事勝利で終えて下車したはずのクダリさんが、なぜかそのまま行方をくらませ、あせったクラウドさんにより 「白ボス連れて戻ってこい!」 という指示を出されたせいだ。――…あれ、これ悪いのクラウドさんじゃね?
 事務所に戻ったら問答無用で机上の大掃除してくれよう、そう決意したわたしを覗き込む、白い影。

「…、おこった?」
「…この程度で怒ると思われてるんですか? わたし」
「ぜーんぜん! 行こっ」
「(…確信犯かよ…)」

 最近気がついたことではあるが、クダリさんはどうも、自分が “かわいい” ことを自覚しているらしい。より正確に言うなら、周囲からかわいいと思われていることに対して肯定的、とでもいうのだろうか。子どもの失敗を大人がつい笑って許してしまう、そんな甘さを的確に突いてくる。もちろん物事には限度というものがあって、いくら子どもだからといって笑って許されないこともあるわけだが、子どもっぽくあって、しかし決して子どもなどではないこの大人は、その許容範囲を冷静に、かつ正確に測っているらしかった。そして、その範囲の中で、正しくワガママにふるまう。
 ――厄介というか、たちが悪い。
 わざわざ腰を曲げたり、しゃがみこんだりした上でこちらを上目づかいに覗き込み、コテンと首をかしげてにこっと笑う。例えばこういう一連の仕草が、彼が意識的にふるまったその結果であると気付くのに、わたしは三カ月を要した。

「そういえば、その呼び方、やっとなれてきた」

 となりを歩くそのひとを見上げれば、またしても満面の笑みである。とてつもなく苦々しい気分で、わたしは隠そうともせず表情をゆがめた。白がくすくすと笑みを重ねる。

「あは! 、すっごいかお!」
「わたしはボス達と違って、きれいな顔立ちをしているわけじゃありませんので。生まれつきこういう顔なんです」
「えー、そんなことないよー? ……てゆーかあ、“ボスたち”?」

 ぐっと言葉に詰まったわたしを見下ろす、このひとの顔といったら!

「ホラホラ、ちゃんと言いなおして!」
「〜〜〜っ。く…、クダリさん、たち、」
「よくできました」



 あのひと、本当にわたしをポケモンかなにかだと勘違いしてるんじゃなかろうか。ぐしゃぐしゃにかき回された頭を手櫛で整えながら、わたしは憮然とした表情で溜め息をつく。今日はもうこれで三度目だ。朝、廊下ですれ違ってわしゃわしゃ、さっき備品保管室でクダリさんを見つけてガシガシ、そして今駅構内の掲示物の貼り直しをしていたところをぐしゃぐしゃ。もう何が何だかわからない。
 されるがままのわたしを面白がったのか、最近では鉄道員の皆さんまで何かにつけてわたしの頭をかきまわす始末だ。さすがバトルサブウェイご自慢の廃人鉄道員共、ノリがいいことこの上ない。そしてなるほどあのクダリさんの部下たちである、止めてくれというひとの話なんぞ聞きやしねえ。

――――!」

 最後のポスターを貼り終えて、さて事務所に戻ろうかと考えたときのことである。
 絹を裂いたような、とは言わないが、ピリリとした緊張感をはらんだ声が切れ切れに聞こえてきて、わたしはあたりを見回した。ここはステーションの中心部から少し距離があるせいで、人目もなく閑散としている場所だ。多少薄暗くもある。
 そしてそういう場につきものなのが、迷子、幽霊、

「なあ、ちょっとぐらいいいじゃん?」

――痴漢の類である。

「オレら、きみのポケモンが見たいだけなんだって! なあ?」
「そうそう、だから一緒行こーぜ? なんも変なこととか考えてねーし」
「おっまえ、それ言ったらほとんど考えてるもドーゼンなんじゃねえの」

 げらげらげらげら。可哀そうになるほどあたま悪そうな笑い声の三重奏だ、声の発信元を見つければいよいよ溜め息しか出てこない。たいして長くもない足をさらに短く見せるのに最適な腰パンに、どうせろくに鍛えてもいない体格を補完するためのだぼだぼパーカー。そういう格好をするひとのすべてがそうだなんて決して思わないが、それにしたってガラの悪さを表現するための基本形みたいな姿である。普段目にするのがスタイル抜群なひとたちであるがゆえに、落差が激しい。やっぱり可哀そうになってくる。

「お客様、どうかされましたか?」

 正直に言おう、関わりたくなかった。しかし哀しいかな、今のわたしは派遣とはいえこのギアステーションの職員であり、あのひとたちの部下なのである。ここで見て見ぬふりなんてしようものなら、わたしはきっと、二度とあのひとたちに顔向けできなくなるだろう。どう話が転ぶかなんてわからないが、やるしかあるまい。
 …まあそれでも、もしこのガキ共がポケモンをモンスターボールから出しているとわかっていれば、話は別だったのだが。

「あ? なんだてめえ」

 そう凄みをきかせてくる男の向こう側に、いかにも毒をもってそうな色合いのポケモン、ペンドラーが見えた。うっそーん、女の子ひっかけるためにポケモン使うなんて、いくらなんでも卑怯だわー。そりゃ女の子泣きそうにもなるわー…っていうか、このままだとわたしがやばい。
 視線を周囲へ走らせながら、ライブキャスターで連絡をとろうか逡巡する。呼べば誰か来てくれると思って油断したが、ひとりで声をかけたのは間違いだったかもしれない。まあ、いまさら後悔しても遅いけれど。

「いえ、声が響いておりましたので。…なにかトラブルでもございましたか?」

 わたし以外の職員が駆けつける可能性があることを暗に示唆すると、男たちの顔色が変わった。この牽制が通用する程度には脳みそもまわるらしい、と男たちへの評価をほんのわずかに引き上げて、わたしは彼らに微笑んだ。こいつらが客だとはもうすでに思っていないが、わざわざ態度まで崩して、挑発する必要もない。

「…道聞いてただけだっつーの、なァ?」
「そーそー。なんか変なとこ迷い込んじゃったもんで」
「そうでしたか、ならばわたしがご案内いたします。…お客様、お急ぎになられるのでしたら、どうぞお先に」

 身を小さく縮こまらせて震えていた女の子に、わたしはそう言って微笑みかける。本当ならついていってあげたいところだが、状況的にそれは難しいだろう。あの子だってきっと、ここから一刻も早く立ち去りたいはずだ。
 なみだをいっぱいに浮かべたひとみに、わたしはうなずく。少女はくちびるをかたく引き結び、それでも毅然と顔を上げた。脇目も振らず走り出した後ろ姿に、思わず安堵の吐息が漏れる。――とりあえず、お客様の安全は確保できた。

「あーあ、逃げられちまってやんの」
「うっせーな、てめえらが騒ぐからだろーが」

 ちげーよ、お前らが馬鹿だからだよ、と言わなかったわたしスゲー。
 ――なんて意識を飛ばしていても仕方ない、さてここからどうしたものか。わたしを取り囲む彼らは薄汚くにやついていて、何を考えているのか馬鹿らしくなるくらい一目瞭然だ。もうただひたすらにめんどうくさい。こんなことに時間を費やすくらいなら、上司の机の上の書類を整理させてくれ。

「でも、おねーさんよく見るとかわいいじゃん。……ポケモンは、持ってねえんだ?」

 腰のベルト周りをするりとなでられて、這いずり回る嫌悪感に息が詰まった。この程度で動揺する自分が悔しくて、わたしは奥歯をかみしめる。怯えた顔なんてぜったいに見せてやるものか。浮かべるのは営業スマイル、ただそれ一択である。

「お客様、どうぞこちらへ。中央改札へご案内いたします」
「まあまあ、そんな急がなくてもいーんじゃん?」

 伸びてきた腕を払う。こんなガキ共にどうこうされるほど、落ちぶれちゃいない。

「ステーション内でこのような迷惑行為は困ります。…ジュンサーさんを呼ばれたくなかったら、さっさと歩いてください」

 ぐっと息をのんだらしいガキ共の顔を尻目に、わたしは仕事道具を抱えて歩き出す。――どうなることかと思ったが、まあ、なんとかなったかな。あまり褒められたものではない対応だったとは思うものの、幸いここはギアステ縁辺部、わたしが黙っていれば問題ないだろう。
 さて次は何を終わらせてしまおうか、そんなことを考え出していたわたしは、ガキ共の顔が屈辱にゆがんだことに気付けなかった。

「まわりこめ、ペンドラー」

 目の前に飛び出してきた、鮮やかな赤紫色が特徴的なポケモンに、わたしは動けなくなる。つか、改めて見るとデカいなこいつ。でっぷりとしたお腹に、いかにも眠たそうな半開きの目。なかなか愛らしいといえる姿だが、それはあくまで彼の敵として相対していないときに限った話だ。

「行かせるかよ」

 後ろから声がするが、もうそんなことに気を割いている場合じゃない。まずい、まずいまずいまずいまずい!人間が相手ならどうとでもなる、してみせる。そうやってこの十年間、生き馬の目を抜くように生きてきた。けれどポケモンは無理だ。どうしても。わたしには、どうしたって無理なのだ。
 こわい。恐怖が体中を這いずり回る。いろんな記憶が、古い映写機から投影された画像のように脳裏に瞬いて、息ができなくなる。目をあわあせちゃだめだ、目を合わせたら、きっと――

――――!」

 ペンドラーが吠えた。頭を振って低くいななき、どしんどしんと後ろ足がたたらを踏む。頭をもたげた彼のひとみには、燃えるような敵意が閃いている。お前はなんだと問いかける眼光に、わたしは答える言葉を持たない。為す術なくまぶたを閉じた。
「(……ごめんね)」
 降り注ぐどくばりの雨。直後、わたしの視界は青い炎に包まれる。

「シャンデラ、もう一度 おにび です!」