traumerei

tov:5



 扉を開けると、美少女が立っていた。
 これだけ聞くと 「なにそれ羨ましい!」 状況のようにも思えるが、誰よりも 「なにそれ羨ましい!」 というセリフを感情こめて放つことができるであろうレイヴンは、美少女を前に表情を引きつらせていた。
 それも当然である。

 紅を基調とした衣服を身にまとったその少女は、扉の先で仁王立ちした上こちらを睥睨し、またたく間に精霊魔術の術式を空中に構築させ始めていたのだから。

 少女の手のひらの先で白い冷気がくゆる。予想だにしない展開に思考を遥か彼方へぶっ飛ばしていたレイヴンだが、己へ向かって集束しようとする冷気の塊と、よどみなく滔々と紡がれる魔術の詠唱、そして自身の羽織の裾がパキパキと乾いた音を立て始めているのを耳にとめ、ハッと顔をあげた。
 (・・っ、まずい!)
 咄嗟に大きく横へ跳ぶ。視界の端で、少女の帯が一閃した。
 「フリーズランサー!」
 放たれる幾多の氷の弾。顔のすぐ横を冷気がかすめ、レイヴンは背筋を凍らせる。耳をつんざく轟音が室内に響き渡り、その威力の程を知らしめているかのようだった。
 受け身をとって立ち上がる。白く凍った大気の向こうにいくつもの氷柱を見つけ、しかもそれが集中的に連なっているのが一瞬前まで自分の立っていた場所だと知るや、レイヴンは叫んだ。叫ばずにはおられなかった。ちょ、何だこれ、殺す気か!
 「ちょっとリタっち! 挨拶もなくいきなりスキル変化技なんて、いくらなんでも酷いんじゃない!?」
 迫りくる冷気をよけきれなかったのか、凍りつき、ガシャガシャと音を立てる羽織の裾をつまんで、レイヴンが言い募る。その視線の先で、腕組みをしてふんぞり返ったリタが鼻を鳴らした。
 「フン、当たらなかったんだからいいじゃない」
 「当てる気満々だった子が言うセリフかね、それ・・」
 がっくりと大きく肩を落とし、うなだれるレイヴンの目の前には、氷の張った室内が広がっている。氷弾が着氷したのが術式の展開されたところより前方に集中し、家具の類を傷つけていない点がわずかな救いだろうか。これ後でせーねんに怒られんの、絶対俺だもんなあ。なんで全弾受け止めなかったんだよ、なんて言われたらどうしよう、おっさん泣いちゃう。
 情けなく顔をくしゃくしゃと歪めたレイヴンはそれでも、あとでちゃんとお掃除しよう、と今日の予定に付け加える。彼が器用貧乏と謗られる所以である。面倒見がいい、と言い換えてもよい。
 「で? おっさん、あたしに言わなきゃいけないこと、あるわよね?」

 18歳になったリタは、まったく見目麗しく成長した。研究に没頭したら軽く三日は食事を抜くことも辞さない、というか食事という行為を概念ごと切り捨てる少女は細っこい手足をそのままに、けれどそのなかにも女らしい丸みを携え、成長を遂げた。・・まあ、正直なことを言えば、胸のふくらみが同年代の少女らと比べても幾分ささやか過ぎるのではないかと思わなくもないが、兎にも角にも、三年前のちんちくりんな姿がまるで嘘のようである。
 生意気、とか、不遜、という言葉で評されることが多かった勝気な翡翠も、瞳に閃く意志の強さが輝きとなって、大人でも子どもでもない、この年頃の少女に特有のアンバランスな魅力を際立たせている。そのくせ、耳元で外に向かってはねる胡桃色の癖っ毛は以前と変わらず、逆にそれが愛らしい。
 若人の成長の速さと過ぎ去る月日の流れを感じ、しみじみと憂いを帯びたため息をついたレイヴンはしかし、背後からにこやかに告げられたセリフに動きを止めた。床から生えた巨大な氷柱を、少しでも削り取ろうと構えた小刀が頭の上でぴたりと静止する。
 「そ、そうねえ。リタっちすっごく可愛くなっちゃって、もうおっさんドッキドキ〜!」
 「ありがと。他には?」
 「えっと、あー・・そうだ! 一番新しい精霊技術に関する論文、チラッとだけど読ませてもらったわよ。なんだっけ、あの、でんわ?ってやつ、実現できたらすごそうだなーって」
 「実現 “させる” の。あたしが関わってるんだもの、そのくらい当然でしょ」
 「で、ですよね〜! さすがリタっち!」
 「他に言いたいことは?」
 「・・・・・リ、リタっち髪切った?」
 「ああ、そうね。確か二ヶ月くらい前に切ったかしら」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 「おっさん、どこ行くつもり? まだ話は終わってないんだけど」
 「あ、の・・そのォ、お・・お便所に・・・・・」
 「トイレはあっちよ。・・それより、ねえおっさん? あたし、アンタに話があって遥々ハルルからここまで来たの」
 「う、うん。・・な、なに、かしら?」
 「そうね、いろいろ言いたいことあるんだけど、とりあえず、」
 可憐な桃色のくちびるがすうっと息を吸い込み、

 「脱げ」

 ハッと頭上を見上げた時には遅かった。不自然に集束するエアルの中心で金色がまたたいたかと思うや否や、次の瞬間にはそれがレイヴンに襲いかかる。自身の数倍の質量がありそうな金色の猫が、咄嗟に回避しようとしたレイヴンの腰を強打。受けきれず倒れこんだ挙句したたかに腹を打ち付け、床と盛大にキスする羽目になった彼の頭にじゃらじゃらとコインが降る。痛い。
 「・・さて、と」
 背中にのしかかっていた重みが消えてからも、しばらく床に沈んでいたレイヴンだが、まるで料理の下準備を終えたときのような少女の呟き耳にして、再び体を凍らせる。まずい、と思ったときには少女の手が彼の肩にかかり、ごろりと床の上を仰向けに転がされていた。
 いよいよ俺様俎上の鯉ですか、と諦観すら滲んだ彼の碧玉は、にっこりと満足気に微笑んだ少女を目にとめる。そして腹部に迫る生温かな重み。・・・・・・・・・いや、いやいやいやいや、この体勢はダメだ、おっさんこういうの嫌いじゃないけどダメだよ、だ・・っダメだってばリタっち片手でボタン外さないでぇえええ!
 「あーもうっ、動かないでよ!鬱陶しいわね!」
 「う、鬱陶しいって・・! リタっちこそいきなり何すんの!」
 「脱がそうとしてるに決まってんでしょ。アンタ頭沸いてんの?」
 「それがダメって言ってるの! こんなとこ誰かに見られでもしたら、」

 ――こういうのは一体、誰の行いが悪いせいだろうかとレイヴンは考える。

 この場は全面的にリタの方に非があろう。久しぶりの再会だと言うのに挨拶もなく、いきなりスキル変化技を二連発(しかも二発目は詠唱を破棄してまでの不意打ちだ)。少女の蛮行はそれでも止まらず、動けなくなった中年を床に転がし、挙句馬乗りになって衣服を無理やり剥ぎ取ろうとする始末だ。齢十八の少女がとる行動ではない。俺は被害者だ。
 なのに、第三者から見た絵面の破壊力から言って、よりダメージを受けるのはレイヴンの方に違いなかった。
 “そろそろ四十になろうかという中年男性が、年頃の少女に組み敷かれている。”
 犯罪性を疑うなら、まず男の方だろう。わかる。俺だってそんな場面見かけたらきっとそう思う。「ゆうべはおたのしみでしたね」 って、たぶんそう言う。
 でも現実はそうではない。ほんとのほんとに違うのだ。信じてほしい、俺は無実だ。

 「あ・・・。ノックもせず、すみません」

 「待ってぇええええ!違う、違うのちゃん!たぶん誤解してる、ちゃん誤解してるよ!?」
 「ちょっとおっさん、脱がしにくいから動かないでくれる?」
 「リタっちぃいいいい!」
 扉を開けて広がっていた光景――不自然にそびえ立つ氷柱の数々だとか、あちこちに散らばったコイン、そして年端もいかない少女に衣服を剥かれようとしている中年と、馬乗りになって中年の衣服を剥ごうとしている少女が共存した、なんともおぞましい空間――に息をのみ、踵を返そうとするをレイヴンは必死の叫びで呼びとめる。
 どうしてよりによって彼女なんだ、と頭を掻き毟りたい思いに駆られるも、片腕はリタに封じられたままだ。なんとかして誤解を解かなければ、いやそれよりまずこの状況を打破するほうが先決か。でももしここでリタを力づくで退けたりしようものなら、後でフレイムドラゴンの二匹や三匹は覚悟せねばなるまい。それは嫌だ。だがこのままでは、彼女からのなけなしの信頼が地に落ち、さらには負の方向へめり込んでしまいかねない。それも嫌だ!
 考えすぎて思考がまとまらず、金魚のように口をパクパクさせるレイヴンを尻目に、口を開いたのはリタだった。
 「ちょーどいいとこに来たわね、。アンタもちょっと手伝ってくんない?」

 ・・・・・・・・・・・・・・・いや、いやいやいやいや。ドキッとなんかしてないって。
 一瞬あたまにその光景浮かびかけたけど。
 一瞬なにそれおいしいって思いかけたけど!

 「て、手伝うって?」
 「アンタはちょーっとおっさんを押さえててくれればいいの。そしたら、あたしは心置きなくおっさんの心ぞ 「あーーーーーーっ!」
 レイヴンは叫んだ。今日イチ、いやここ数年間イチの絶叫だった。
 腹の上にまたがったリタが、大きな目を瞬かせてレイヴンを見下ろしている。驚きというより、想定外の爆音に脳みそが揺さぶられて意識が定まらないようだった。ゴメンね、と胸の内で呟くが口には出さない。出すわけにはいかなかった。
 やがて正体を取り戻した少女は、何の感情も宿らない研究者の瞳でレイヴンを一瞥するや、すぐさまその色を嫌悪に染めた。年不相応なまでに頭の回るリタのことだ、こちらの意図を一瞬で理解したに違いない。レイヴンは知らん顔であさっての方に目をやり、口笛を鳴らした。の姿が極力視界に入らないように視線を配る。
 「・・そしたらあたしは、心置きなくおっさんの心 「ん゛ん゛ッ、げほごほげほごほ!」
 「・・・・・し 「あれぇ? こうやって見ると、リタっちちょーっとサイズ大きくなった? ちょーっとだけ」
 ぐーで殴られた。
 見下ろしてくるリタっちの顔など見なくてもわかる。殴られた頬を手で押さえ、レイヴンは顔の向きごと視線をそらした。どうせ射殺さんばかりにこちらを睨みつけ、不愉快極まりないといった憤怒の表情を向けているのだろう。
 わざわざ真正面から少女の感情を受け止めてやる気はなかった。ジンジンと頬が痛みを増し始める。
 「・・もういい。――呼びとめて悪かったわね、
 最初の一言は吐き捨てるように、続く言葉はいたわるように。この子もそんな器用なことができるようになったのねえ、と他人事のように思った。
 「あ、えと・・・それじゃあ、私は」
 「―――・・!」
 扉の向こうに消えようとする彼女を、リタが再び呼びとめる。下から見上げた少女はひどく難しい顔をして、呼びとめたにも関わらず逡巡しているようだった。勝ち気で歯に衣着せぬ物言いがデフォルトのリタにしては珍しい。
 「その、あんたの方は・・・・・・最近、どうなのよ」
 「・・あいかわらず、かな」
 「そう・・・」
 翡翠の瞳が翳る。
 「――力になってあげらんなくて、悪いわね」
 小さくつぶやいたリタの表情には、悔しさが滲んでいた。他人の事など知ったこっちゃないと言わんばかりの言動が多いリタはしかし、その他人のために感情を動かすことができる。それがこの少女の美徳であり、弱点だ。
 「そんなことないよ。・・ありがとう、リタ」
 「お礼言われるようなこと、してないわよ。・・っほら、仕事残ってるんでしょ!」
 じゃあ、またあとで。
 微笑と言葉を残してが去ると、部屋には沈黙だけが残った。口を真一文字に結んでしばらく動かなかった少女は、気を取り直すように息をつくと、再びレイヴンの衣服に手をかける。一瞬ぎょっとしたが、もう拒否する理由も、拒否する権利も見当たらず、レイヴンは無抵抗のまま天井を見上げた。怒られんのはいやだなあとぼんやり考える。

 やがて、赤い光が天井を染めた。

 少女が制御盤を呼び出し、キーを叩きはじめる。
 「―――・・なんだか、込み入った話みたいだったわね」
 「はぁ?」
 「リタっちとちゃん。何の話?」
 淀みなく動いていたリタの指が、ぴたりと止まった。鋭い舌打ちとともに、打ち込まれた文字が数個消える。
 「・・あんたには関係ないわ」
 「そんな冷たいこと言わなくてもいいじゃない! おっさんにも教えてよう」
 ねえねえいいでしょリタっち〜、仲間はずれなんて、おっさん寂しくて泣いちゃうー!
 わざとらしく言い募っていると、またリタの指が止まった。打ち損じだろうかと思ったが、なかなか再開されない。羽織の袖でさめざめと涙を拭く真似をしていたレイヴンは、訝しげに袖のかげから少女を見上げる。
 少女はレイヴンを見下ろしていた。瞳には深海を思わせる静寂が満ち、光に透けるモニターの向こう側からレイヴンの軽口を殺す。
 「・・あんた、あの子にちょっかい出すのやめなさい」
 ややあって作業を再開させた少女は制御盤を見つめたまま、淡々とした口調で言った。
 「・・・・・・・・・・・。あらやだ、リタっちったら、もしかしてヤキモチ?」
 「焼いてあげましょうか? 餅みたいに」
 「ごめんなさい」
 赤い光を放つ術式を展開させながらも、リタは制御盤に向かっての作業を中断しなかった。開発されて日の浅い精霊術式だが、ほとんど完璧に使いこなしているらしい。まったく、末恐ろしい少女だ。
 指は制御盤を流れるようにたたき続けている。

 「生半可な気持ちであの子に手を出すと、きっとあとで後悔するわよ」



 「――・・じゃあ、生半可な気持ちじゃなかったら、手ェ出してもいいの?」



 「・・っ、あんた・・・・」
 「ほら、もう魔導器の調整終わったんでしょ? 年頃の女の子が、いつまでもおっさんの腹にのっかってんじゃないの」
 サッと羞恥に頬を赤らめた少女はなにか言いたそうに口をわななかせ、けれどぐっとくちびるを引き結んで立ちあがった。これ幸いとばかりにレイヴンも起き上がり、衣服の乱れを整える。普段人の目に触れることがほとんどない部分を晒すというのは、ひどく心許ない気分だった。無力感にも似ている気がする。それでも、規則的に鼓を打つ脈動はあたたかい。
 「さて、部屋の片づけといきますか」
 とレイヴンが言ったとき、リタは既にドアノブに手をかけていた。ちなみに部屋の片づけというのは、床から生えた氷柱を削り取ったり、氷が融けてできた水たまりを拭いたりという、リタによって生み出されたあれこれをなかったことにするという意味だ。紛うことなき尻拭いだ。・・手伝う気はないってワケね、わかってたけど。
 「・・おっさん、さっきの話だけど」
 ヒイィ、ちべたいっ。氷の塊を腕に抱えたレイヴンは声の方に目をやる。少女はこちらを振り返ることなく、レイヴンに告げた。まるで宣告するように、感情のない声で。

 「たぶん、もっと後悔するわ」


リタ大好きです。レイヴンとリタのコンビとかウマウマすぎてゲーム中何度も爆発するかと思いました。

『アンダルシアの犬(仏語:Un Chien Andalou)』  ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ
2011/09/19 脱稿
2011/10/01 更新