Colorful
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鏡に映った自分の姿を目前に、は大きな溜息をつく。淡いオレンジ色の光に照らされた表情は我ながら晴れやかとは言いがたく、むっつりと結ばれたくちびるがマンガのような “への字” を描いている。ハレルヤに指摘されたとおり、眉間には数本の皺が深く刻まれていた。数十秒のにらめっこの後、自分でも同じように眉間の皺を指の腹でぐりぐりと引き伸ばしつつ、もう一度溜息。
「あー・・・、アホらし」
面白くない、と思ったのは間違いない。腹が立つなァ、と思ったのも事実。・・席を立ち、ハレルヤの隣を通ってお手洗いへ向かうとき、真横で小さく囁かれた言葉が頭の中にこびりついて剥がれない。
『ばーか。ヤキモチくらいもっと器用に焼けっつーの』
「・・・・・ヤキモチ、なぁ」
どちらかというと、言葉も態度も尖った印象のあるハレルヤの口から “ヤキモチ” などという女子高生的な言葉が飛び出したという事実だけで笑えてくるのだが、トイレで一人、鏡の前でその言葉を復唱している自分も大概だろう。もし今このタイミングで誰か知り合いでも現れようものなら、私はきっと、私のことを知っている人間がいない土地へ旅に出る。そうだ、北海道とか沖縄とか、なんかその辺に旅に出よう・・・・・・っていや、そんなことどーでもよくて、いま大事なのはそういうことじゃなくて、
「・・・・・・、はぁ」
とりあえず戻ろう。何度目になるかしれない溜息を吐きだしながら、はぽつり胸中につぶやく。考えても仕方のないこと
――というわけでもないだろうが、“今” じゃなくても大丈夫であることはわかる。ハレルヤに迷惑をかけたところでどうということはないが、折角のおいしいご飯とおいしいお酒が、それでまずくなるのは願い下げである。
ぱしんっ、と両頬を軽くはたく。席に戻ったらとりあえずハレルヤに一言謝ろう、許してくれなくても一言しか謝るまい、だってなんか腹立つし。鏡の前で 「よし、」 と小さく呟いたはお手洗いの扉を開け、
「こんな所で何をしている」
「うっひゃぁあああ!?」
通路を塞ぐような姿勢で壁に背を預けて立つティエリアに、思い切り奇声を上げた。
「び、びび・・びっくりした・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「てゆーか、え・・? なんでティ、ティエリアが・・・・・」
この店お手洗いは、二人がようやくすれ違えるくらいの幅しかない通路の奥にあって、たくさんの客たちでひしめき合う、いわゆるフロアと呼ばれる部分の通路に合流する造りになっている。だから、が自分の席へ戻るにはお手洗いの扉の横に立つティエリアの傍を通るよりほかに道はないのだが、当のティエリアにはお手洗いを使う気も、席へ戻る気もないらしい。眼鏡の奥の深紅がじろりとこちらを見下ろしている。
「席を立つのが見えた」
「・・・・・・っは? え、ちょ、何それ・・どういう、」
はぁっ、と切り捨てるように鋭いため息をひとつ。
「あれで隠れきれたつもりでいるなら、相当の間抜けだな」
―――こういうときは、このおとこひねりつぶしてやろうか、と割と本気で思うのだが、ひくんっと頬を引きつらせ口唇をわななかせたがここでしたことは、反駁の口を開くことでも、殺意のこぶしをティエリアの鳩尾に埋めることでもなかった。ぐっと睨みあげていた視線をあらぬ方向へと逸らし、くちびるをもにょもにょと引き結ぶ。訝しげに目を眇めるティエリアを瞳の動きだけでチラと見上げたは、1メートルも離れていないティエリアでさえ聞き取れない声を紡いだ。
「・・・・・・?」
「
――・・や、だから、だからね? わたし、なんも見てないし、知らないから」
わけがわからない、と言わんばかりに眉間に深いしわを寄せるティエリアに、は気付かない。古ぼけたスニーカーの踵が苛立たしげに細かなリズムを刻む。
「お前、熱でもあるのか」
「あのさ、人の厚意を無為にしないでくれる? 知らないふりしてやろーってのに」
「・・・・いったい何の話を、」
チッ、という鋭い舌打ちとともに、沼のような漆黒が眇められた深紅を睨みつける。なんなんだこいつ、この期に及んでしらばっくれるつもりか。しらばっくれることができると思ってやがるのか。苛立たしげに、ありったけの嫌悪を込めてもうひとつ舌打ち。「おい、」 とこちらと同等かそれ以上の苛立ちを滲ませた声でティエリアが口を開く、しかしそれを叩き伏せるように言葉を重ねた。それはほとんど反射的に。イライラしているのは
――本当に腹立たしいのは
――こっちのほうだ。
「・・っだから、別にティエリアがどこの誰と合コンしてたって、どーでもいいしさぁ」
「ま、予想外っちゃ予想外ですけどね。ティエリアがンなとこに顔出すなんて」
「・・・・・つか、そこ邪魔なんだけど。ハレルヤ待ってるからどいてくんない?」
言い捨ててから10秒、微動だにしないティエリアは道を開けようとする気配すらない。普段の比較対象がティエリアなだけ、の堪忍袋は大きめに見えることもあるかもしれないが、その堪忍袋は決して大きくなどない。むしろ小さめ仕様だ。もう何度目になるかもわからない舌打ちを吐き捨て、無理やりティエリアの隣をすり抜けようとしたはしかし、不意にガクンッとつんのめった。後ろを振り返り、捕らえられた手首を忌々しげに睨む。
「何? まだなんかあんの」
「・・・・・・・あれ、は」
いまさら言い訳かよ。
「あれは・・・・・合コン、なのか?」
たっぷり30秒の沈黙を挟んだのは、致し方なかったと自負している。自分の手首を掴む白魚のような手(この表現を男相手に使っていいものかどうかについては、今は考察しないでおく)をゆっくり辿り、見上げた白皙はひどく難しそうな顔でこちらを凝視していた。眉間には深いしわが刻まれているというのに、形の整った眉は子犬のように垂れ下がり、まるで泣くのをこらえる子どものような。・・思わずぎょっとして後ろに下がろうとするの腕を、ティエリアが存外強い力で引き留める。
「
―――・・はあ? いや、それわたしに聞かれても・・。合コンじゃないの?」
「そう、は聞かなかった」
「じゃあどう聞いたんだよ」
ティエリアの深紅が、うろうろと足元をさまよう。
「・・去年、うちの大学であった学園祭のことを覚えているか。
あのとき、個人的に写真部に借りができた。その借りを返したいから、食事代を払わせてくれ、と言われた」
「・・・・・じゃあ、あそこにいる人たち、みんな写真部ってこと?」
「そう、じゃないのか? わざわざ聞いてないから知らん」
たぶん違うと思うよ、とは言えなかった。おそらくティエリアは彼らのことを信じているわけではなく、興味がないだけなのだろう。普通なら、「あれ、おかしくね?」 となってしかるべき場面でも、ティエリアにとっての興味関心を外れれば、どんな異常だって石ころと大差なく、その石ころがどこの誰だろうと知ったことではないのだ。
「・・・・・・あー・・っと、」
「。あれは、合コンなのか?」
じわりとティエリアの白皙に嫌悪が滲む。細い眉がきゅうっと吊りあがる前に、は口を開いた。
「や? 違う、んじゃないかな、うん。たぶんそれ、合コンじゃないよ、うん!」
なんで私があのひとたちのフォローをせにゃならんのだ。難しそうな顔で首をひねるティエリアを丸めこもうと言葉を続けつつ、は胸の内につぶやく。もうここまで来たら誰が悪いとかそういう問題ではなく、今日この場で居合わせてしまった間の悪さを恨むしかない。つまり、ハレルヤてめぇコノヤロウ、と八つ当たる。見当違いは百も承知だ。
「あー・・ティエリア、そろそろ戻ろ? あんまり待たせすぎてる気が、」
「・・・・あれでか?」
ティエリアの視線をたどった先。空席となっているはずのティエリアの席で、早速女の子を口説きにかかっているのは、紛うことなくハレルヤだった。
すっからかんな音がした
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すっからかんな音がした ... 7-1
writing date 100509 up date 100510
予想を裏切ることができていれば本望です。