03/18(Tue)
reported by:clerk
応接室のソファ(もちろん上座)に座り、少女は腕組みをしたうえに足を組み、桜色に彩られた愛らしい爪をピシピシと弾きながら、わたしに向かって 「座って」 と言った。キャラメル色のひとみはわたしを一瞥もすることなく、ひたすら爪を見つめ続けている。立ち竦んで動かないわたしに焦れたのか、苛立たしげな声が 「はやく」 と促し、わたしは律儀にハイと答えてソファに浅く腰掛けた。違和感を覚えたら負け、違和感を覚えたら負け、と念仏のように唱えながら。
伏し目がちに自分の手元に視線を落とす少女はなんというか、まったく本当に可憐という他なかった。駅のホームで対面した時も思ったが、同年代の少女と比べてもとびきり美しい容姿をしているだろうという印象はここでも決して揺らがない。むしろあのときほど張りつめた感じのない、少し気だるげな様子は少女の年には幾分不相応な色香を添えており、けれど欠片も損なわれない品性が同性のわたしから見ても好ましかった。………いや、だから別に、フェミニストでも少女愛好家でもないったら!
「……ねえ、」
「はいっ」
ちなみに後者の言葉がわたしのそれである。決して逆ではない。
「あなた、さんって言ったっけ。本当にクダリさんのこと、なんとも思ってないの?」
ちょっと待って、わたし、この少女からいきなりバトル仕掛けてごめんなさいという謝罪を受けるんじゃないの? いや、少女が見せている態度からするに、ごめんなさいなんて殊勝な言葉が飛び出してくる状況になるとは露ほども思えなかったが、それにしたってなんでそんなこと聞かれなきゃならないのか理解できない。つーかお前ほんとまず謝れや。
「…はあ……、思ってないですねえ…」
「うっそ、ほんとに!? 信じらんない…」
バッカじゃないの? という言葉まで聞こえた気がするのは、わたしの考えすぎだろうか。
「なんで!?」
「…いや、なんでって言われましても…、」
「だって、クダリさんですよね? 白のサブウェイマスターで、強くて優しくてかっこよくて、でもなんかちょっと可愛いところもあって、収入だって安定してる、あのクダリさんですよね?」
おおう、若かろうがなんだろうが、女はどこまでいっても女だな。夢見てる割に現実的で、この絶妙にロマンチシズムに酔いきれない感じ。
「…クダリさんに好きって言われてなんとも思わないなんて…意味わかんない。頭おかしいんじゃないの?」
十も年齢の違う、乳臭いばっかりのガキに言われる筋合いはねえよ、と思わないこともなかったが、そんな少女にとって当たり前である “若さ” と引き換えにわたしは経験を積んできたわけで、溜息ひとつで苛立ちをすべて押し流す。わたしは、自分にとってどうでもいい人間相手に怒ってあげられるほど、できた人間ではない。暇はあるけど。
「白ボスに聞いたんですか?」
「…そうよ。片想いしてるって。あなたのことが大好きだけど、あなたの方はなんとも思ってないって、そう言ってた」
あんの大馬鹿野郎、子ども相手になにを吹き込んでやがる。
「わたし、クダリさんのことが好きなんです」
「…はあ、そうですか」
「だから、さんのこと、すごくうらやましくて、」
「……はあ…」
「あなたとのポケモンバトルに勝ったら、クダリさんに告白しようって、そう思って今日ここに来ました」
「……………………」
ちょっと待て。じゃあなんだ、わたしはクダリさんをめぐる恋の鞘当てに無理やり巻き込まれたってことか? おいおい勘弁してくれよ、こちとら別に怪我してまで手元に置いておこうなんざ考えてないし、欲しけりゃ熨斗つけてくれてやろうという意気だ。んなもん、直接クダリさんと交渉してくれよ。
「あの、過ぎたことを言っても仕方ないんで、正直理由とかもうどうでもいいんですけど、今度からそういうことは直接クダリさんに伝えてください。わたしのことは道端に転がってる石ころとでも考えてくだされば結構ですから」
「……クダリさんも同じこと言ってた」
「は?」
「そういうことはぼくに言って、って。を巻き込まないでって。……っもう、わたし、バカみたい…っ!」
言ったそばからぽろぽろとあふれ出す涙のしずくが、少女の滑やかな頬を伝って流れていく。あああ、だめだよそんな、擦ったら赤くなるし、せっかくのお化粧がとれてすごい顔になりかねないよ。女の子なんだから、とは言わないが、ハンカチくらい持っておきなさいよまったくもう。苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていることを承知で、わたしは制服のポケットからハンカチを取り出し、少女に差し出した。
「だいじょうぶ、まだこれ使ってないから。もうそれあげるから」
「…鼻かんでいい?」
「………好きにしなさい」
ありがとう、と涙でぐしゅぐしゅになった声で言いながら、少女は本当に鼻をかんだ。だいぶ前から涙も鼻をかむのも我慢していたと思しき、なかなかに豪快な音が響く。好きなひとの前じゃ満足に鼻もかめないのかと思うと、そのいじらしさに涙が出るというか、あいつ本当に罪作りなヤロウだなと思うというか。あんなおっさんわざわざ狙わなくても、と思うのは余計なお世話ですよね、はい。
「クダリさんに言われました。もしわたしがあなたにケガさせてたら、絶対ゆるせなかったって。あなたがわたしを許しても、ぼくは許せないと思うって、そう言われました」
「…………………」
「ごめんなさい、…っわたし、あなたにひどいことを、」
そうしてまた泣き出してしまった少女のとなりに座り、わたしは涙にくれる小さな女の子の肩を抱いた。触れた肩がぴくりと跳ねる。上目遣いにわたしを見上げるながい睫毛に涙のしずくがきらきら光って、純粋に愛らしいと思うと同時に、申し訳なさで頭の下がる思いだった。
自分のポケモンが意図せず人間を傷つける様なんて、普通のトレーナーなら決して見たくない。わたしはまだこんなに若い女の子に、「どーでもいいや」 の一言で、そんな重責を与えようとしていたのかと。
「わかってる。あそこで、わたしがボール取り落とすなんて予想してなかったもんね? ポケモンを繰り出してくるって、そう思ってたんでしょう?」
こくこく、と無心でうなずく少女の喉から、嗚咽が漏れる。
「どんくさくてごめんね。わたし、本当にバトルとかほとんどしたことなかったから。……だいじょうぶ、あなたがわたしを直接傷つけたくてやったことじゃないって、ちゃんとわかってるから。わたしも、クダリさんも。ちゃんとわかってる」
「…でも、っぜんぜん、にこりともしてくれなくて、わたし、ぜったい嫌われた…っ!嫌な子だっておもわれた!」
「あー…あれは多分、わたしに腹立ててるんだと思うから、大丈夫。嫌な子なんて、そんなの思ってないよ」
「……ほんとう?」
「タブンネ。…心配なら、また二、三日して遊びにおいで。バトルトレインに挑戦しがてらでもいいし。だからほら、もう泣かないの! せっかく可愛いんだから、泣いてたら勿体ないよ。…まあ泣いてても可愛いけど」
最終的に、わたしのそんな軽口に小さく可憐な笑みを見せた少女は、駅長等々にもお叱りを受けたのち、自分の足で帰路に就いた。たくさんの大人から厳しい言葉をかけられただろうし、そのたびに何度も反省したであろう彼女は、帰る頃には目元を真っ赤に腫らして、けれどどこか晴れやかな顔で帰っていった。対応がちょっと甘いんじゃないかとする向きも職員の一部にはあったのだが、まあ結果として誰がケガをすることもなく、後腐れがあるわけでもなさそうなので、わたしとしては十分である。……最後の最後に、小さくバイバイと手を振ってくれたことに浮かれているわけでは断じてない。
「ってさ、女の子にあまいよね。…そういうシュミなの?」
「人聞き悪いこと言わないでください。わたしは、かわいいものが好きなだけなので、かわいい男の子ももちろん好きです」
「…じゃあ、ぼ 「わたし、年上の男性にかわいいって形容詞つけるの、反対派なんです」 …ふーん」
ツマンナイのー、と椅子の背もたれに体重を預け、天井を仰ぎながらクダリさんが言った。そうしながら上唇と鼻のあいだにペンを挟み、タコのような口をしながらうーうー唸っている。度重なる残業で集中力が続かないのも仕方ないとは思うが、もう少し頑張っているふりだけでもしてほしい。注意させられるこっちの身にもなってみやがれコンチクショウ。
「さっさと済ませないと、どんどん帰りの時間が遅くなるだけですよ」
「…わかってるけどー」
「ちなみにわたしは出来るだけはやく帰りたいので。確認よろしくお願いします」
「はいはーい」
確認書類一式をクダリさんの机に載積し、ノボリさんの机に着く。……ギアステーションはいつのまにフリーアドレス制のオフィスに変更されたのだろうと首をひねらずにはいられないが、このプレゼン資料を作るためのデータが一番揃っているのはノボリさんの机周りで、なおかつ確認者が同室にいるのはどう言い繕ってもやはり便利である。帰宅したノボリさんの机を借りて、今日の昼間にやってしまおうと思っていた資料作りを進めていく。……日々激化するポケモンバトル。運輸部に回される予算の増加は、鉄道員全員の悲願である。
「ねえ、、」
「すみませんでした」
「きょうの………えっ?」
背もたれにもたれたままの、だらだらした姿勢で書類を手に取っていたクダリさんは、そこからぱっと背を離してわたしに体ごと向き直った。目を真ん丸にしているのが書類の影、視界の端にちらと見えたが、わたしはできるだけ手元から視線を上げないように心掛けつつ、口を動かす。
「ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。…あと、ありがとうございます。おかげでかすり傷ひとつないのはもちろんですし、あの女の子に変なトラウマ植えつけずに済みました。クダリさんのおかげです」
「……ルクスにおこられた?」
「はい、しこたま。あとノボリさんにも」
「…そっか」
背もたれに再び背中を預けて、クダリさんは天井を仰いだ。ペンを持ったままの腕で目元を覆っているから、わたしには彼の喉元しか見えない。ぎい、と椅子が軋んだ音を立てた。
「あのコ、ぼくのこと好きだったんだって。……聞いた?」
「はい。告白するつもりだったんだそうですね」
蛍光灯の光でできた白い喉の陰影が、ごろりと上下する。
「
―――…ごめん、」
「なにがです?」
「…のこと、まきこんだ」
「クダリさんが 『ぼくに告白したいなら、に勝ってからにしてー』 とでも触れ回ってたんですか?」
「ちがう! そんなことするわけ、」
「じゃあ謝る必要なんてないじゃないですか。…ちがいます?」
クダリさんがどうであれ、決断したのは彼女だ。その決断を支援したというなら話は別だが、そうじゃないならクダリさんに責められるべき点があるとは思えない。それにわたしは、彼女に心からの謝罪を受け、二度とこんなことはしないという約束も取り付けて、それで十分と考えているわけだし。クダリさんが改めて謝罪をする必要がどこにあるだろう。
「それに、クダリさんのおかげで怪我もせずに済んだんですから。十分チャラになってますって」
言いながらわたしも背もたれによりかかり、両腕を頭上に突き上げてぐぐぐっと背伸びした。肩と腰の関節がばきばきと音を立てる。ついでに漏れたあくびを隠さずにいたのだが、ふと注がれる視線を感覚してわたしは目だけをついと動かした。そのひとは、泣き笑いのような顔を見せている。
「ご納得いただけない感じですか」
「ううん。…なら、そう言うだろうなっておもってた」
「それにしては、複雑そうなお顔ですけど」
「いいの、気にしないで。……ヤキモチやいてくれればいいのにって、ワガママ言ってるだけだから」
気にしてくれって言ってるようなもんじゃねえのか、それは。
「ヤキモチ……、クダリさんにですか?」
「なんで。あの女の子に、に決まってるでしょ」
「“クダリさんを盗られるかもしれない!” ってですかあ?」
「…………ごめん、なんでもない。お仕事する」
「そりゃよかった。お願いします」
時間がだいぶ遅くなっていたこともあって、それからは割と真面目に、この運輸部が日々どれだけの経費削減に取り組み、それでもなお不足気味な予算の、ここを増額していただければお客様にこんなサービスが提供できて、それがひいてはギアステーション利用者増加につながるはずだと訴えるデータの作成に取り組んだ。「うん、とりあえずいいんじゃない?」 という言葉を引き出したときには夜の九時を回っていたわけだが、昼間のタイムロスを考えると上出来な部類に入るだろう。
「っはー、おわったーつかれたーかえるー!」
背もたれにもたれて反りかえりながらそう言うと、隣の空気がふふっと揺らいだ。わずかに首を傾け、にっこりと笑いながらクダリさんが言う。
「おつかれサマでした。……きがえておいでよ、ぼくこれ確認してる」
「あれ、送ってくださるんですか」
「送りグラエナにはならないから、あんしんして?」
「…それ、送り狼って意味ですか? ノボリさんに通報しますよ」
ごめんなさーい、とクダリさんが口をとがらせるが、最近化けの皮が剥がれてきたあのひとのことだ、下手をしたら 「明日の朝、遅刻だけはなさいませんように」 とかぺろっと抜かしそうで怖い。しかも真顔で。
机の上を手早く整理して席を立ち、ぐぐっと背伸び。
「あ。そうだ、クダリさん。明日のことなんですけど、」
「うん?」
「今日はさすがにちょっと疲れたんで、わたし、朝の時間遅らしますね。…あー、たぶん三十分くらいずらして、いつものとこ行くようにします」
「え? う、うん……わかっ、た…」
背後から聞こえる言葉の歯切れの悪さに、思わず振り返ると。
「…………っ」
クダリさんは、机について確認書類を手にした格好のまま、耳まで真っ赤になって小さくなっていた。鼠色のひとみがチラとわたしを見上げて即座に逸らされ、書類でできたタワーの向こうに縮こまった体がツツツと隠れようとする。…ちょ、ちょっと待て、なんかあーゆーの見たことある。しかも割と最近。全然そんなつもりで言ったんじゃなかったのに、図らずも黒い方にあんな顔させたぞ、そういえば。さっすが双子、照れてる顔も仕草もすげえ似てるわー……じゃなくて、
「……っち、違います! あの、さっきのは、別に朝の時間をやっ約束しようとかしたわけじゃなくて、ただの業務連絡っていうか、」
「だ、だいじょぶ。わかってる!」
「ほんと、あの、もしお待たせしたら失礼にあたるかなって思っただけで、変な意味はなくってですね、」
「だいじょぶ! 変なかんちがい、したりしない」
「……そ、そう思うんなら、その、顔の赤いのどうにかしてくれませんか」
「…いまのには言われたくない…」
………………………。
「着替えてきます…」
「いってらっしゃい…」
荷物を抱えて執務室を辞し、人気のない廊下を走る。運輸部の事務室はまだもちろん煌々と明かりがついていて、遅番の鉄道員さんたちが職務に励んでいた。ねぎらいの言葉をかけてくださるひとたちの間を抜け、抱えていた荷物を自分の机の上に積み上げ、がたがたと音を立てて座り込む。どうしたどうしたと声をかけてくださる鉄道員の方々が、心底ありがたいのだけれど今はすこし鬱陶しい。だってこんなの、説明できるわけがない。
……つーか今日、この後どうすんだよ…。
視線を腰のモンスターボールへ。ボールの中でイライラと腕組みをし、貧乏ゆすりをするみたいにゆらゆら揺れているルクスと結んだ契約は、ポフィン五個。この、誠心誠意、あなたのためだけに作らせていただきますルクス様。なので、どうかボールから出てきて一緒に帰ってくださいお願いします。……お前今年で何歳になるんだよ、なんて言わないで!
どいつもこいつも、もうすぐ三十路です。
2012/06/07 脱稿
2012/06/13 更新