06/23(Tue)

reported by clerk



 その日の夕食はノボリさんお手製のボンゴレ・ビアンコとシーザーサラダで、わたしとクダリさんは二人して準備も手伝わず、ポケモンたちと遊び倒していたのだが、わたしたちに対してのみやたら堪忍袋の緒が切れるのが早いノボリさんに割と本気で怒られてしまった。機嫌の悪いノボリさんは何事に対してもお小言をぶちまけてくるなど後が大変面倒くさいので、確かわたしたちは大人しく食器洗いを担当していたと思う。わたしが洗いとすすぎで、クダリさんが水拭きと収納。この双子は揃いもそろって背が高いので、わたしには少々棚が遠い部分があるのだ。

「クダリさん。昨日のお話の続きなんですけど、」
「うん、かんがえてくれた?」

 スポンジに洗剤を含ませながら、わたしは口を開く。

「やっぱり、お受けできないです」
「なんで?」

 きれいに磨いたスプーンとフォークをしまいながら、クダリさんが言う。そこに刺々しい、咎めるような響きは欠片だってなかった。わたしが出した答えの理由を、ただ純粋に聞いてくれようとする。

「だってわたし、一生を誓えないです」
「一生?」
「はい。“健やかなるときも、病めるときも” ってあれ、わたしどう答えていいのかわかりません」

 ああ、なるほどねー。そう相槌を打ったクダリさんは、得心いったように数度うなずいた。水の流れる音と、食器の触れ合う音がキッチンに響く。
 沈黙が重たくないのは、こういう話をこれまで幾度となく繰り返してきたからかもしれないし、食後の赤ワインを片手に、ダイニングからこちらを興味深そうに観察するノボリさんがいるからかもしれない。居たたまれないとか気恥ずかしいとか、そういうのは割と早い時期に飛び越えていたように思う。

「…とりあえず 『誓います』 って言っておくのはダメ?」
「いや逆に、とりあえずな感じで誓われていいんですか」
「うん? うーん…そう言われると、フクザツな気も…」
「でしょう?」
「しかしクダリ、貴方もともと、そのように清廉な気持ちで話を持ちかけたわけではないでしょう」

 難しい顔をして黙り込むクダリさんに助け船を出すがごとく、それまで黙ってワインを揺らしていたノボリさんが口を挟んだ。呆れているような、それでいてどこか面白がっているような。少なくとも不機嫌ではなくなったらしいと、わたしとクダリさんは無言で視線を交わす。

「まあね。あーゆーのしたら、が帰りにくくなるかなーと思って言い出したことだし」
「……このあくタイプどもが…」
「あくタイプでいいもーん。急にいなくなっちゃうかもしれないんなら、今できるうちにたっくさん思い出つくっておきたいって言ってるだけ!」

 その “思い出” で、わたしをここに縛ろうというのだから、まったく本当にたちが悪い。
 ――けれどそれを、怖いとかいやだとか、そういうふうに思わなくなった自分自身が、何よりいちばん悪質だと思う。ほだされているというか馴らされているというか、流されているというか。

「ある日突然戻ることになるかもしれないですし、それにわたし、いざ帰れるかもってなったら、帰るって選択肢を選ぶかもしれませんよ」
「…うん。そだね」
「そういう可能性があるんですから、その、変に触れ回ったり、下手にバツとか付けないほうがよくないですか」

 いやまあ、そんなものがあろうとなかろうと、このひとが本気になったらその程度たいした障害にはならないだろうな、とも思うのだけれど。でも、立つスワンナ跡を濁さずと言うではないか。前途有望で優秀な殿方を、前途多難で平凡な異世界人(♀)が借り受けようというのだ、返却する際にはできるだけ元の状態に戻してから、と思うのが人情だろう。せっかくキラキラ輝いている宝石を、わざわざ汚すことはない。

「………、考え方がふるい…年いくつ?」
「ケンカ売ってんですか三十路」
「おや、貴女こそ喧嘩ふっかけるおつもりですか。よろしいですよ受けて立ちましょう」

 なぜノボリさんに刺さる。思わぬ方向から返ってきた槍に眉をひそめると、クダリさんは食器を拭く手を止めないまま、こそこそと耳打ちした。

「ノボリ、さいきんまた別れた。だからちょっと、反応がかびんになってる」
「えっ。またですか? 先週デートだとかって浮かれてなかったです?」
「そのときにバッサリ」
「うーわ。今度はなんて? 保護者面しないでよ、とか言われたんですか?」
「“めんどくさい” だって」
「……うわあ…ノボリさんからめんどくさいとこ引いたら、ポケモンしか残らないのに…」
「ねー? だから別れてせいかい!って言ったんだけど、そしたら 『だまらっしゃいリア充が!』 って怒られた」
「清々しいまでの八つ当たりですね。…ああ、もしかしてノボリさん、焦ってらっしゃるんですか?」
「かも。付き合ってちょっとして別れて、っていうの、さいきん多いし」
「…顔がよくてお金もあるのに、こうもお付き合いが続かないとなると、残る原因は、」
――…すべて聞こえておりますよ、二人とも」

 あ、ダメだ。これ本気のやつだ。
 互いの顔を見交わし、わたしとクダリさんは揃ってうなずく。これ以上つついたら、本気でポケモンを繰り出されかねない。

「というか、直接本人たちには聞きづらいのかなんなのか知りませんが、貴方たちのことを幾度も幾度も尋ねられ、そのたびに答えさせられるわたくしの身にもなってくださいまし! もう面倒なのですよ!」

 それは悪いのわたしたちじゃないですよね、とか言ったら二倍三倍のお小言が返ってくることは想像に難くなかったため、黙って首をすくめて嵐が過ぎ去るのを待つ。手元の食器をすべて洗い終わってしまうと居間に戻らなくてはならなくなるため、最後のお皿を過分なほどひどく丁寧に洗いながら、わたしは半ば戦々恐々としていた。
 ある程度は覚悟していたとはいえ、自分のあずかり知らぬところで情報が拡散していくのは末恐ろしい。さすがサブウェイマスターと言うべきか、このひとにはそれだけ、他人の耳目を集めるに足る要素があるのだ。

「ノボリもあー言ってることだし、どうですかさん。けっこんしきとか、挙げてみちゃったりしませんか」
「そうは言われましてもクダリさん。わたしの疑問、欠片も解決されてないんですけど」
「……やっぱりダメ?」

 へにゃり、と眉尻を下げてクダリさんが笑う。ここでわたしが 「それでもダメです」 と言ったら、二度と同じことは聞いてこないだろうなと思った。
 クダリさんは息をするように、自分の言動が相手にどこまで許されるかを測るひとだ。それは相手がたとえわたしだろうと、ノボリさんだろうと変わらない。違うのは、許されると判断したなかで済ませてしまうか、それとも許されないだろうと予測がついていても行動に移すかどうかで、彼の 「甘え」 は後者にでてくる。
 クダリさんは間違いなく、甘え上手だ。受け入れられるだろうという類推の元、自分の要求を限りなく完全に近い形で通していくのだから、これを甘え上手と言わずになんと呼ぶ。けれど、受け入れられないかもしれない、許されないかもしれないという不明瞭な推測の元だと、このひとはいきなり臆病になり、滅多なことでは要求を通そうとしなくなる。
 だからこのひとは、自分の好きに振る舞っているように見えて、そのくせ相手を怒らせるということが極端に少ないひとであるわけだが、つまり、「もしかしたらダメかもしれない」 という行動に出ること、それ自体がこのひとの “甘え” なわけだ。――…まったく、なんて七面倒くさい。

「そうですねえ。……それじゃあ、」






―――…誓います!」

 声のした方を横目でちらりと仰ぎ見る。ベールの向こう側の鼠色とカチリと視線がかち合って、ああ、どうやら同じことを考えていたらしいと思わず笑ってしまう。
 あの話をしたのは何か月前のことだったろう。ルクスをシャンデラに進化させたり、引っ越しがあったり、この準備に休日返上で駆けずり回ったり。いろんなことがあり過ぎて、なんだかどれもすべてが遠い日々のような気がする。まったく光陰矢のごとしとはよく言ったものだ。
 そんなふうに日々を重ねて、わたしはここでおばあちゃんになるのだろうか。欠片だって想像がつかない。…けれど、それもそれでアリかなあと思う。このひとの隣でなら、まあそれもアリなんじゃなかろうかと思える。

「あなたは、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、二人が共にある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 二人してない知恵を絞り、迷い、散々考えた挙句よくわからなくなってノボリさんに泣きつき、「もうこれでいいでしょう!」 とチラシの裏に走り書きされた言葉がこれ。別れたら(※もうアナタにはついていけないわ!的な意味合いで)あとはどうぞご自由に、というようなニュアンスに聞こえないこともないが、当人たちとあともう一人が真意を理解していれば、それで十分だろう。花嫁の父親役として新郎の兄が出てきた時点でいろいろおかしいのだ、今さら言葉をいじくったところでどうということはない。
 再び隣に立つひとを横目で見上げる。浮かんだ笑みはいたずら小僧のそれだ、考えることはどこまでいっても同じならしい。

「……はい、誓います」

 これがわたしにとってプラスになるのか、マイナスになるのかはまだわからない。もしかしたら、この決断を十年後には後悔しているのかもしれない。やっぱりあのとき、死ぬ気で突き放しておけばよかったと、心底悔やんでいるかもしれない。でも、別れのつらさに怯えて、今を諦めるのは終わりにしよう。


 だって、わたしはこのひとのぜんぶが欲しい。
 ――そう思うんだから、しょーがない。


 視界を遮るもののないクリアな世界は、妙に華々しく、明るく、チカチカとしていた。スッと腰をかがめたクダリさんが、鼻先五センチの距離で堪えきれないようにくすくす笑う。おそらく自分自身のことも含め、不相応としか思えない神妙さがたまらなく可笑しいのだろう――だってあれチラシの裏だぞ、チラシの。

「ちょっと、いつまで笑ってんですか」
「…っくく、だって、おっかし…!」
「さっさと済ませてくださいー」
「……うん!」






 お父さん、お母さん、ごめんなさい。
 出来ることならもう一度会って、わたしがどうにか元気でやっていることを伝えたかったけれど、どうやらそれも無理そうです。親不孝な貴方たちの娘は、今日、貴方たちの知らない世界のひとと、婚姻関係を結ぶに至りました。容姿端麗で社会的地位もある、年上の男性です。いわゆる玉の輿ってやつです。信じられないでしょう、わたしが一番信じられません。
 もし、貴方たちのもとに戻れるチャンスがあるなら、その機会を活かそう、それも選択肢のひとつとして考えようと思ってこれまで頑張ってきましたが、多分、もうそれは選ばないと思います。高校生まで育ててもらった恩を、仇で返すような真似をして本当にごめんなさい。…血の繋がった親よりも男をとるのか、なんて怒られても仕方ないと、覚悟しています。
 ただ、そのひとは、わたしの決意を知りません。もし戻れるチャンスがあるなら、わたしがそれを選び取って、貴方たちのもとへ戻るかもしれないと思っています。…本心はどうだか知りませんが、それでもいい、こっちにいる間だけでも一緒に、と言ってくれています。

 わたしは、そのひとに応えたい。…応えたいというか、そのひとが、どんなおじいちゃんになるのか見てみたいと思うのです。いっしょに笑って、泣いて、怒って、多分しょっちゅうケンカもするでしょうし、そんじょそこらの小姑よりずっと小姑らしいお義兄さん(心配性なだけで、すごくいい人です)もいるので色々大変だとは思うのですが、そうやって馬鹿馬鹿しい毎日を積み重ね、一緒に時を過ごしていければいいな、と。――甘っちょろい理想論だと言われそうですが、でも、本当にそう思っています。
 だから、もし戻ることを選べたとしても、わたしは戻りません。もし戻ることになったとしたら、それはきっと、こちらに来たときと同じ “不慮の事故” というやつです。……こんな娘ですからどうか、わたしのことは初めからいなかったものだと思って、忘れてください。今までたくさん心配をかけてごめんなさい。本当に、ごめんなさい。

 貴方たちがいたからこそ、わたしはこの世界で十年間、頑張ってこられました。おかげで今のわたしがあるのだと、それだけは確信しています。これまでもこれからも、ずっと大好きです。

 そちらとは繋がらない空の下で、わたしはお父さんとお母さんのしあわせを祈っています。
 育ててくれて、ありがとう。






―――…ってうわ、ちょ、なに読んでんですか!」
「ぼくじゃないもん、アオイが見つけてきたんだもーん」
「ねー!」
「いや 『ねー!』 じゃなくて。なんで読む必要があんのかって聞いてんですよこっちは」
「おかーさんこわあい!」
「おかーさんこわあい!」
「……わかりました、さっきノボリさんが買ってきてくださったケーキはわたしとポケモンたちで頂きますね」
「「ごめんなさい!」」
「はい、よろしい。…ほら、手洗っておいで」
「はーい!」
「…………あの…わたし、まとめてクダリさんにも言ったつもりなんですけど」
、あのときこんなこと考えてたの?」
「忘れました、覚えてません」
「…ふーん。じゃあしつもんいっこだけ!」
「……どうぞ」
「ね、いましあわせ?」
 ――あ、今これ読んで、不安になりやがったなコイツ。
「…しあわせですけど、それが何か?」


「あーっ! おとーさんとおかーさん、ちゅーしてるー!」



<「とある事務員の業務日報」 完>

ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!
あとがき

2012/06/21 脱稿
2012/06/23 更新