16/03/12(Sat)

reported by clerk



 近頃、ノボリさんが変だ。
 いや、冷静沈着で紳士な常識人を装っているがノボリさんは割といつだって変だし、ネジがいくつか飛んでいるというか、いつもボタンを掛け違えている感のある人なのだが、最近は輪をかけて変なのである。仕事中も、すこし空いた時間ができると駅構内に設けられた休憩室ではなく、わざわざ地上に上がって一息ついているらしいし、昼食も食堂ではなく地上のお店を利用していると聞く。クダリさんによれば、バトル中は変わらないにせよ、執務室での事務仕事中には虚空を見上げてぼんやりとしていることがあったり、なんだか妙にそわそわしていることがあったりするそうだ。
 ――さて、これを白か黒かで断ずるならば。

「くろ!」
「わたしもクダリさんと同意見です」
「………言いがかりでございます」

 ノボリさんが来た場合、我が家の四人掛けダイニングテーブルはクダリさんとノボリさんと隣り合って座り、わたしがクダリさんの正面に座る形で使用するのが普通なのだが、今日は諸事情によりノボリさんにはひとりで座ってもらうことになった。ひとつ空いている椅子(普段はクダリさんが使用)をわざわざお誕生日席に移動させ、辺の真ん中に座ってもらっているから、格好としては “尋問” といった形が一番的確であろう。
 わたしは大きくなったお腹の重みから逃れるように、背もたれに体重を預けた。視線だけで 「だいじょうぶ?」 と問うてくるクダリさんに笑みを返す。

もお疲れのご様子ですし、わたくしはそろそろ、」
「……あっ、いまこの子お腹けりました。『帰るんだったら吐いてからにしろ』 だそうです」
「そんな、都合のいいことをおっしゃらないでくださいまし!」
「え、なに? もしかしてノボリ、がこんなおっきなお腹抱えてぼくたちのごはん用意してくれたのに、食べるだけ食べて帰るつもりなの?」

 畳み掛けるようなクダリさんの言葉に、ノボリさんがぐっと言葉をのむ。わたしも報酬が欲しくて家事をやっているわけじゃないから、別に食べるだけ食べて帰ってもらって全然構わないし、どちらかというと 「お宅の旦那さん(おそらくこの言葉の中には、ノボリさんの存在も含まれていると思われる)、いろいろお手伝いしてくれていいわねえ」 とママ友に羨まれるくらいだから、その点に関して大した不満はないのだけれど。……でもまあ、利用できるものは利用させてもらいますよね。

「…………っ」
だいじょぶ? 痛い? つらい?」
「すいません、さすがにちょっと重たくなってきちゃってて…。あ、本当に大丈夫ですから、気にしないでください」
「………あなた方、胎教に悪いとは思わないのですか」

 唸るようなノボリさんの言葉を、わたしとクダリさんは打ち合わせたように黙殺する。クダリさんの遺伝子を継ぎ、わたしの腹から出てくるのだ、いろんな意味でしたたかな子に育つに違いない。使える伯父さんは利用するのよと胸の内でつぶやきながら、クダリさんと一緒になってぽっこりと膨らんだ腹を撫でた。見交わした鼠色の様子からするに、おそらく同じようなことを考えていたに違いない。

――…わかりました。すればいいのでしょう、すれば」

 わたしがノボリさんの立場だったら舌打ちの一つや二つする場面だが、苦々しく表情をゆがめるだけに留めるあたり、さすがノボリさんである。その代わり、眉間に刻まれたしわの深さと険しさはとんでもないことになっているが、今さらそんな顔をされたところで怖くもへったくれもない。「じゃ、どーぞ」 と声をそろえると、くちびるのへの字がさらに鋭角さを増した。

「そうは言っても、特にお話しできることなどありませんが」
「…わかりました。じゃあノボリさんは、わたしたちの質問に対して、ウソ偽りなく誠実に、真剣に答えてくださればいいです」
「……………………」
「ちなみに、無言は肯定と捉えますので。じゃあクダリさん、一つ目の質問どうぞ」
「ノボリ、好きなひとできた?」

 クダリさんがおおきく振りかぶって投げた球はど真ん中ストレートである。うすうす予想はしていたものの、こうも直球勝負でこられるとは思っていなかったらしいノボリさんが、ゲホゴホむせる。ちなみにわたしもそう行くとは思っていなかったので、ノボリさんと同じようにむせ返ってしまった。背中をさすってくれる手がひどく優しい。

「だって、まわりくどい聞き方してもしょーがないかなって」
「あー、クダリさんって意外とそういうとこ、雰囲気より効率を重んじるひとですよね」

 ぐっじょぶです。親指を立ててそう言うと、クダリさんがにっこり笑う。もう三十数年に及ぶ付き合いなのだ、ノボリさんから物を聞き出すには、クダリさんに任せたほうが得策だろう。

「で、ノボリどーなの?」
「違います」

 呼吸を整え、湯気の立ち昇る湯呑みを手にノボリさんがきっぱりと言い切った。対するクダリさんは纏う空気の温度を急激に低下させ、顔から表情をすうと消し去る。――正直に言おう、かなり怖い。元の造りがなまじ整っているだけ、このひとたちの無表情には妙な迫力があるのだ。しかもこの双子、たまのケンカが大戦にまで発展するから手におえない。

「……そういうものとは違います」
「ふうん、じゃあどーゆーものなの?」
「……………………」
「だまりこくってもムダ! ホラ、はやく話しちゃってよ!」

 クダリさんに促され、渋々話し始めたノボリさんの話を要約するとこうなる。
 とある休日、久しく足を踏み入れていなかった街の外に散歩がてら出てみると、どこからともなく壮絶な数の羽ばたきが聞こえてきたのだそうだ。何事かと思って足を向けてみると、数えきれないほどのマメパトに追われて全力疾走しているひとりの女性。いくらサブウェイマスターと言えど、そんな大量に集まった野生のマメパトとは遭遇したことがなかったためしばし呆然としてしまったが、これはいけないとポケモンを繰り出そうとしたとき、彼女が動いたと言う。

――…それはそれは、大変よく育て上げられたサンダースでございました…」

 恍惚とした表情でうっとりとつぶやくノボリさんを尻目に、わたしとクダリさんは野菜スティックをぼりぼりかじる。開始五分で飽きていたなんてそんなまさか。

「迫りくる雷雲のようなマメパトの群れを前に、転進した彼女はその素晴らしく育成の行き届いたサンダースを繰り出し、以降、一歩たりとも退くことはなかったのでございます。サンダースも決して怯むことなく、まるで彼女を守護するかのようにマメパトの大群と対峙し、その身に電気を纏ったかと思えば次の瞬間、轟くような雷鳴を鳴り響かせました。迸る巨大なエネルギーが稲妻となって空を割り、その刹那あたりは闇に包まれ、わたくしもほんの数秒視界を失ったのでございますが―――…あの、聞いておりますか?」
「……ん? ああ、きいてるきいてる」

 クダリさんは、わたしの腹に耳を押し付けながら言った。

「…あ! いま動いた」
「壁の向こうにクダリさんがいるの、わかったのかもしれないですね」
「ふふ、そうだといいなあ。…おーい、おとうさんですよー?」
「話せと言ったのはあなた方なのですから、せめて最後まで聞いてくださいまし!」

 バン!とテーブルにこぶしを叩きつけてノボリさんが言う。顔を真っ赤にして怒るノボリさんを、心底めんどうくさそうに見遣ったクダリさんは 「ノボリはさあ、はなしがジョウチョウなんだよね」 と一言で断じた。飛び出してきた予想外な言葉に、脳内変換がフリーズする。……ああそうか “冗長” かと思うに至り、混乱は深まるばかりである。えっ、どこでそんな言葉覚えてきたの。

「で、けっきょく何? そのひとのこと好きなの?」
「ですから、そういうことではないのです! …っその、彼女の繰り出したサンダースがあまりに素晴らしかったものですから、少しお話ししたいと思って、お声かけさせては頂きましたけど、」
「「ナンパしてんじゃん」」
「どうしてあなた方、こういうときばかり息がピッタリなのですか!」

 今度は怒りというより羞恥で顔を真っ赤にして、ノボリさんが両手で顔を覆う。まあ、血の繋がった双子の弟と、血の繋がらない義理の妹に自身の恋愛事情をつまびらかにしろと迫られる長兄の心境を鑑みれば、顔を手で覆い隠すことくらいは許してやってもいいか。成人(迎えて十年以上が経過した)男性ではあるけれども。

「で、奥手な割にお付き合いしている女性が長い間途切れたことのないノボリさんですから、ナンパまでしておいて収穫ゼロってことはないんでしょう?」
「………あの、その言い方は語弊があると思うのですが」
「なにいってんの、付き合った女のひとの数、ぼくより多くなってるくせに」

 え、なにそれマジでか。
 思わずクダリさんに視線を移すと、神妙な顔つきでこっくりと頷かれる。……女性関係が派手だと評判だったクダリさんより多いだなんて、真面目そうな顔してやることはやってたってわけですか…。

「な、何度も言いますが、本当にそういう話ではないのです。お話ししたと言ってもポケモンの話ばかりでしたし、…なによりわたくし、彼女の名前を存じ上げません」
「えっ」
「なにそれ、どーゆーこと?」
「……その、つい育成論について話し込んでしまって、お互いに名乗るタイミングを失ってしまったのでございます…」

 ……なにそれどういうことなの、全然わかんない…。名乗るタイミングを失うほど話し込むってどういうことだ、これだとこのひとほぼ間違いなく、初対面のひとに向かって 「ブラボー!」 とか叫んだに違いない。バトルサブウェイに挑んできたひとならいざ知らず、街の外でたまたま遭遇した黒ずくめの男に 「ブラボー!」 とか叫ばれたら、普通ひく。いかに顔の造作が整っていようとドン引きする。マメパトの大群に襲われるより、そっちのほうがいっそのこと怖い。

「あの、そういえば聞くの忘れてたんですけど、それいつの話なんですか?」
「だいたい、一年ほど前の話でございます」
「一年!? えっ、そんな前にたまたま会ってフラれたひとのこと、まだ引きずってるんですか!?」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいまし! ふられてなどおりません!」
「「えっ」」
「…先程からあなた方、いい加減わたくしに対して失礼だとは思わないのですか…!」

 別に。

「カントー地方にお住まいの方なのですが、バックパッカーと言うのですか、手持ちポケモンを連れて様々なところをお一人で巡られておられる途中、たまたまライモンシティに立ち寄られたそうなのです」
「……名前も知らないのに、よくそんなパーソナルなこと聞き出せましたね…」
「あの、――…わ、わらいませんか」
「はい?」
「これからわたくしの言うことについて、笑わないと約束してくださいますか」

 机の上でそわそわと自身の親指の付け根を撫で、引き結んだくちびるをもにょもにょさせているノボリさんを前に、わたしたちは互いの顔を見合わせる。そう言われると指差して腹抱えてげらげら大笑いしてやりたいところではあるが、このタイミングでやったら修復不可能なほどへそを曲げられ、酒でも飲ませないと口を割らなくなること請け合いだ。笑わないと約束しさえすればご自分から話すのなら、それが一番いいに決まっている。面倒くささ的な意味合いで。

「するする、やくそくする!」
「右に同じです」

 「もう少しこう、誠実な約束はできないのですか」 などとブツブツ言っているノボリさんに話の続きを促す。しばらく口を噤んでいたノボリさんはやがて、それでもまだ迷いを捨てきれないような態度で声を発した。

「………ペンフレンド、なのです」
「「―――…はい?」」
「ですから、その、あれからずっと、…お手紙のやりとりを、させて頂いておりまして…」

 …ぽく、ぽく、ぽく、ちーん!
 もう十数年聞いていないはずの、木魚とりんの音が頭の中にこだました。お手紙って、お手紙? メールではなく、お手紙? や、まあ別にそこはいくらか時代錯誤な気がするだけで、そんな可笑しくないのだけれど……ペ、ペンフレンドって…!

「………っ」
、笑っちゃダメだって………ぶふっ」
「わ、ちょっ、クダリさんずるい!わたしすっごい堪えたのに! …っひーお腹いたい」
「………わたくし、帰らせていただきま 「わーわーわーわーごめんなさい冗談です!」

 下唇をぎゅっと噛みしめ、視線をこちらに向けなくなってしまったノボリさんが、これ以上パルシェン化するのを留める意味でも質問を畳み掛ける必要がある。わたしはごめんごめんとノボリさんに繰り返しているクダリさんに視線を送った。それを受け、意味を察したようにコクンと頷くクダリさん。

「で、でもさ、そのひとってずっと旅してまわってるんでしょ? どうやってお手紙のやりとりするの?」
「……彼女の手持ちにピジョンがおりまして、その子が手紙を運んでくださるのでございます」
「あ、それでノボリ、外のことすっごく気にしてたんだ!」
「でも、それにしたって名前知らないとやりにくいんじゃないんです? なんとか様へ、とかって書けないじゃないですか」
「…ペンネームで、お互いやりとりをしておりますので…」

 なるほど、腐ってもそこは社会的地位のある大人である。手持ちポケモンが運んでいるとはいえ、途中でなにが起きるかわからない手紙のやりとりで、個人情報をバラ撒きかねないような愚は侵さないらしい。いやそれにしてもペンネームって。ラジオのパーソナリティが口にする以外では、なかなかお目にかかれない単語である。

「ノボリはなんてペンネームなの?」
――――…ゼ、ゼクロム…」
「「…………………」」

 自分のペンネームに、伝説のポケモンの名前を使用するセンスェ…。

「それで、向こうの方はなんていうんです?」
「“ワカヤマ” と名乗られておられます」

 ドクン、と心臓が大きく鼓を打った。な、なにそれ、聞いたことある…。こちらの世界では、これまで滅多に聞いたことのなかった元の世界の地名。それがペンネームだなんて、あんまり心臓に悪すぎる。この期に及んで、むこうとこちらの繋がりを窺わせるものを血眼になって追いかけたり、変な期待を抱いたりしないが、不意打ちでくるものに動揺しないのは無理だ。どくどくとうるさい心臓をなだめつつ意識を体の中心に集中させ、自分の中で息づく別個の生き物の鼓動に耳を澄ませる。落ち着け、落ち着け。

「ふうん…。なんか、あんまり聞かないひびきだね」
「ええ。なんでも、生まれ故郷の地名だそうです」
―――…っ!」

 突然椅子から立ち上がったわたしを、よく似た色の二対の視線が驚いたように見上げた。、どうしたの。どうかいたしましたか、。投げかけられる声がうまく耳に入ってこない。ばくんばくんと心臓が暴れまわっていてそれしか聞こえず、まるで自分の周りに透明な壁があるみたいだ。壁の内側の音ばかりが反響して、外からのは綺麗に遮断されてしまっているような感覚。しかも、空気まで薄くなってしまったように息苦しい。視界が急激にしろくなっていって、めまいが、する――

!」

 正面から肩を掴まれて、意識が自分の制御可能な部分にするりと戻ってくる。はっはっ、と浅い呼吸を繰り返しながら視線を向けると、憂患に表情をゆがめたクダリさんと目があった。思わずすり寄るように肩を寄せる。受け止めてくれる手のひらの大きさに心臓が暴れるのをやめ、名前を呼ぶ静かな声に意識がだんだんと凪いでいく。大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。二人共同で使っているシャンプーのにおいに、不思議と心が落ち着いた。
 クダリさんが羽織った、カーディガンの裾を掴む代わりに体を起こした。つられたように立ち上がり、おろおろするのを隠そうとしないノボリさんに笑いかける。

「すいません…、ちょっとあんまり驚いちゃって。もう大丈夫です」
「そ、そのようには見えません! 、今の貴女は文字通り、貴女一人の体ではないのです。どうか十分、過分と思われるほどご自愛くださいまし…!」

 なんかこのひと、あと一押ししたら泣きそうだな。ノボリさんの心配をよそにそんなことを考えながら、クダリさんの手を借りて椅子に座りなおす。…大丈夫、平気。動いてるのわかる。割とがしがし蹴ってくる。
 テーブルの下でカーディガンの裾を掴んだまま、わたしはへらりと笑った。太鼓でも叩くように、ぽんぽんと軽く腹鼓を打つ。

「今もすっごい蹴ってくるくらいには元気ですし、大丈夫です。…すいません、心配させて」
「急にどうしたの? カオ真っ青だった」
「……“ワカヤマ” っていう地名、お二人は聞いたことあります?」

 揃って首を振るのを確認して、ああやっぱりな、と思う。

「和歌山って、わたしの…元いた世界にあった地名、なんですよねえ」
「………!」

 驚愕の声すらなく、真ん丸に見開かれる二対のひとみ。まさか、とノボリさんが声にならない声を発し、クダリさんはきゅっとくちびるを引き結んだ。まさかと言いたいのはこっちの方だ、探していた頃には碌な手がかりも見つからなかったくせに、どうして今になってこんな情報が出てくるのだろう。信じられない、だってこんなの、バカみたいだ。あの十年間、わたしはいったい何を―――

「(……あ…)」

 しわができるほど裾を握りしめていた指の間を割って、クダリさんのそれが絡みついてくる。ぎゅうぎゅうと手のひらの骨が軋むほど握りしめられて、伝播してくる体温に自分の手が冷え切っていたことを知った。まっすぐに前を向いたままのクダリさんの表情は、わたしからはうかがえない。ただ、まっすぐに結ばれた口元が見えるだけ。
 たしなめるようにそうっと指を絡めると、そこでようやく痛いくらいに締め付けていた力がゆるむ。それでも縋るように握りしめられる手に、わたしは指をすり合わせることで応えた。腹の子を連れてわたしが他に行くところなど、一体どこにあるというのだろう。そっと笑う。

「会って、話をしてみたいです」
「…ですが、」
「だって、不確定要素が多すぎます。ちゃんと会って話をするとかしないと、本当にその “ワカヤマさん” が同じ世界で生まれたひとかなんて、わかんないです。…わたしと同じような境遇のひとに出会ったことなんて、これまで一度もありませんでしたから」

 話を聞いた限りその可能性が高いような気はするが、取らぬポカブの皮算用はするべきではないだろう。わたしが言うのもなんだが、自分の存在がかなりなイレギュラーであることは理解している。あの十年探し求めてきてなにも得られなかったのに、ここにきてもしかしたら自分と同じ境遇のひとに出会えるなんて、そんな妙な期待を膨らませるのは利口じゃない。

「なんて言ったらいいのかよくわからないんですけど…、本当に、ただ興味があるだけ、なんだと思うんです。わたしと同じようなひとがいるなんてこれまで全然考えたことがなかったから、びっくりしてるのと、うっそだあって思うのとが半分ずつって感じで。――すいません、動揺してて、ちょっとうまくお話しできないです」
「……ノボリ、そのひと、いまはどのへんにいるの?」

 クダリさんの言葉を受け、しばし沈黙したノボリさんが思案顔で記憶をたどる。

「一番新しいお手紙には、おつきみやまのことが書かれておりました。しばらくは、初心に帰ってカントー地方を散策するのだとおっしゃられていて…」
「じゃあ、すぐにお会いするのは無理そうですね」

 さらっと言うと、ノボリさんの表情がほっとしたように緩む。一も二もなく、飛んで行ってしまいそうにでも見えたのだろうか。安定期に入っているから無理ではないのかもしれないが、ルクスがついているとはいえ一人で遠出するのはいくらなんでも不安だし、仕事だってある。優先順位がどちらにあるかなんて、改めて考えるまでもない。もうずっと前に決めたことだ。

「お手紙かきなよ、そのひとに。いつか会って話するためにも、確認とっておいた方がはやいんじゃない?」
「クダリさん、」
「会ってみたいって、ぼくがの立場ならきっとそう思う。だから、ノボリに頼んでさ。……あ、なあに? そんなことしないでって言うとでもおもったの?」

 手をつないでいるのとは反対の方の肘をつき、手のひらにほっぺたをのせてクダリさんがにやりと笑う。見くびんないでよね、とくちびるを尖らし、そのくせ繋いだ手を固く結んで。

「そりゃあ、ぜんぜん不安じゃないってゆったらウソになるけど。だいたい、ぼくがダメって言ったら、こっそり隠れてやるだけでしょ? ならちゃんとわかってたいもん」
「……おお…流石によくお分かりですね…」
「わかるよそんなの! もう何年の付き合いになるとおもってるワケ?」

 顔を見合わせてくつくつ笑う。見透かされていることに反感を覚えこそすれ、居心地の良さを感じる日が来ようとは思ってもみなかった。人間、変われば変わるものである。…まあ、そうでなければわたしがここでこんなふうに、大きなお腹を抱えて新たな命を宿しているなんてことはありえなかったのだけれども。

 そんなわけで、わたしは彼女からのお手紙を読んでそれに返事をするわけではないから、早速ワカヤマさんあてのお手紙をしたためることにしたのだけれど、「もしかして異世界のひとですか」 なんていきなり言うワケにいかないし、「あなたは和歌山県の方ですか、わたしは福岡です」 もなんか慣れ慣れしいし、なにより自分の字の汚さに戦慄して一向に筆が進まない。事態の収拾を図るため、通信教育のボールペン講座を受講すべくクダリさんに掛け合ったら、「続けられるならいいけど、ぼく、はぜったいそーゆーの計画的にできないひとだとおもう」 とひどく冷静に告げられた。反駁の余地が欠片も見つからない。…パソコン打ち……は、邪道ですよね、やっぱり。…がんばりまーす……。

リクエスト#6:妊娠中+ノボリさんのその後(part.2)。

2012/07/13 脱稿
2012/07/21 更新