15/02/21(Sat)

reported by clark



 車いすを使用されるお客様の補助を終え、事務室に戻る途中の出来事だった。
 せっかくだからちょっと時間をつぶそうと思って、あからさまにサボっている風には見えないように心掛けつつ、それでもちんたら歩いていたのが悪かったらしい(いや実際褒められたものではないし、黒い方に見つかったら大目玉なのだが)。ホームの隅っこを歩いていたのだが、背後からひとにぶつかられ、軽くバランスを崩しててしまった。
 お客様なら申し訳ない。反射的に謝罪の言葉を口にしかけて、けれど視線の端を横切る見慣れたコートにぷつんと理性の糸が切れた。おうコラ、ぶつかっておいてゴメンナサイの一言もなしですかコノヤロウ。

「ちょっとクダリさん、なんか言うこと…………スイマセン間違えました」

 白と赤のツートンカラーが特徴的なコートを引っ掴んだ手を緩め、そのひとを解放するとともに両手を肩の高さに掲げた。制帽からのぞく髪は黄金色で、見上げた頭がいつもより高い。初めて挨拶した日から約一週間、出来るだけ接触を絶ってきたというのに、どうしてここでこんなミスをするかなわたしのアホ。…握手だけは絶対避けよう。今度こそ右手がイカれる。
 目深にかぶった制帽の影から、からりと晴れた夏空を思わせるひとみがわたしを疎ましそうに睥睨していた。眼差しの鋭さは凍てつく冬の空である。――ほとんど関わり合いになった覚えがないのに、どうやら最高潮に機嫌が悪いらしいとわかってしまうのは、クダリさんの面影があるからだろうか。

「……あの、向こうの白ボス? どうかなさったんです?」

 できればすぐさま踵を返して立ち去ってしまいたかったのだが、いかにも一言もの申したそうなのに、まるでインゴさんのようにくちびるをきゅうっと引き結び、ただこちらを睨み付けているひとを放置しておくのも居住まいが悪い。これでもし、舌打ちとかで返事されたら笑えるなあと思った瞬間、鋭い舌打ちがわたしの脳天に突き刺さってきて、結果かけらも笑えなかった。ひくりと頬がひきつるのが自分でもわかる。

「オマエには関係ナイ」
「…そりゃそーですね、出過ぎた真似を致しました」

 すみません、と素直に頭を下げてやったのに、青い瞳は不愉快そうに眇められる。このひと、一体わたしにどうしろっちゅーんだ。

「…どうでもいいですけど、顔真っ赤ですよ。具合が悪いんだったら、倒れる前にさっさと、」

 わたしは思わず、目の前に広がったその予想だにしない光景に言葉を飲み込んでしまった。ぱちりぱちりと瞬きを繰り返すたびに顔色が変わっていく。まるで早送り映像でも見ているような気分だった。
 ――…え、なんでこのひと、急にダルマッカ……?
 片手で口元を覆ったエメットさんの頬は火にあぶられたかのように真っ赤で、長い時間にわたって “にほんばれ” の影響下に晒されていたみたいだった。トレインから降りた直後ならわかるが、わたしとケンカ腰で話していた途中でそんな状態になる意味が分からない。そんなに腹立たしかったのだろうか。いや、先日の様子から考えてもこのひと、多分クダリさんと同じで怒ったら逆に冷静になって、表情が削げ落ちていくタイプのひとだ。こんなふうに怒気をあらわにするひとじゃないと思う。……あんまり話したことないけど。

「……エメットさん? 本当に大丈夫ですか?」
「――…ッ、触るナ!」

 伸ばしかけた手が思い切り振り払われる。クダリさんに対する調子で、つい馴れ馴れしくしすぎてしまったと自分でも思ったので、謝りこそすれショックを受けるようなことはマメパトの涙ほどもなかったのだが、予想外なことにエメットさんの双眸がわずかに細められた。ぐっと口元を引き結んだ様子からするに、どうやら謝罪の言葉を飲み込んだらしい。
 飲み込むぐらいなら、口に出しちゃえばいいのに。クダリさんと違って素直じゃないなあと思うそばから、エメットさんはパッと身をひるがえした。カツカツと高らかに鳴り響く靴音があまり遠ざからないうちに、わたしは腰のモンスターボールに触れる。

「ルクス、サイコキネシスで足止めして」

 不意に、石や段差に躓きでもしたかのように、エメットさんが体のバランスをぐらりと崩す。あんまり予想外だったのか、そのまま前方に向かってズベシャッと転んでしまった白い塊。…あれ、もしかしてこのひとそんなに運動神経よくないのかな、とわたしにとっても予想外すぎる光景に思わず考え込んでいると、通りかかった園児が転んだ拍子に脱げてしまった白の制帽を手に駆け寄ってくる。「おじちゃん、だいじょーぶ?」 と話しかけられている姿に、笑いがこみ上げないわけがない。

「…………………」
「…っふ、あの、大丈夫ですかエメットさん。や、わたしもまさかこんなことになるとは思ってなくてですね、本当に申し訳ないことをしたと思って………ぶふっ」
「……なにガおかしイ」
「すいません。本当に申し訳ございませんでし……わ、うそ、エメットさん鼻血!」

 うわ、こりゃマズイ。異国の地からサブウェイボスがやってきているという話は、もうギアステーションの利用者にも伝わっている。ただでさえ人目を惹く、端正な容貌をしているひとなのに、そのひとがホームですっ転んで(正確にはすっ転ばされて)鼻血なんて、ちょっとあんまり恰好がつかないではないか。
 制服のポケットからティッ……なんでこういう時に限ってティッシュ忘れてくるかなわたし…しょうがないからハンカチを引きずり出し、エメットさんの口元に押し付ける。はっと我に返るとともに、ハンカチを払いのけようとするそのひとの耳元に口を寄せた。

「顔上げないでください、割とギャラリー集まってきちゃってるんで。写真とか撮られたくないでしょう?」
「…ッ、ダレのせいだト…!」
「わたしのせいです、すみません。だから援護します。とりあえず裏に逃げましょう」

 立てますか、と耳打ちすると、鋭い舌打ちと剣呑な眼差しが返ってくる。…上等だ。
 心底具合が悪そうな体を装うエメットさんの肩に腕を回し、介抱するかのごとく STAFF ONLY の扉に向かってよろよろと進む。わたしに体重を預けているようで、そのくせほとんど重たくなどないから、どうやらわたしの意図はエメットさんに正しく理解されたらしい。運動神経はそこそこであるらしいが、頭の回転はなるほどサブウェイボスと言ったところか。

「…っ、いった…!」

 ふ、と思わず漏れた笑いが気に障ったらしい。革靴のかかとで思い切りつま先を踏まれ、わたしは呻いた。偶然を装ってはいるが絶対わざとだ、だって涙が出てくるくらい痛い。
 扉を閉めた瞬間、ぜったいコイツ床に投げ出してくれる。わたしはそう決意して文句を言いたいのをぐっと堪えたわけだが、どうやらそんな邪な考えは筒抜けだったようで、裏に滑り込むや否や腕を抜かれて逃げられた。小さな舌打ちと共に睨みあげるも、わたしのなんぞよりよほど鋭い視線にさらされて自分の立場を思い出す。そうだ、文句とか言える立場じゃなかった…。

「――…デ、何カ言うコトは?」
「そのハンカチはそのまま捨ててくださ……すいませんでした…」

 蒼穹の視線に射殺されるかと思った。鼻の下に添えたハンカチの間抜けさが、唯一の救いである。

「いや、本当に熱でもあるのかと思ったんです。バトル中になにかあったのかと…すいません、手段を選ぶべきでした」
「…オマエ、ボクが運動オンチだとデモ思ってル?」
「いいえそんな滅相もございません普通に声をかけて呼び止めなかったわたしが悪いんですだってまさかそんな、ねえ?」
「…………………」

 エメットさんの口から、はあっと吐き捨てるようなため息が漏れる。片手で顔を覆い、もう一方の手を首の後ろに添わせた姿は、疲労困憊という言葉が具現化したかのようだった。クダリさんやノボリさんもそうだが、容姿の整っている人というのはそんなくたびれた姿でさえ様になるのだから、まったく世界は不平等である。いや、他人の視線が面倒くさそうだからわたしはあんまり欲しくないけれども。

「…知リたくナカッタ数年来ノ事実を突きつけラレて、チョット動揺したダケ。ナンデモナイ」

 どう聞いても “なんでもない” ことのようには聞こえなかったが、まあわたしに話したところでどうなるものでもないし、あまり突っ込まないでおくのが賢明だろう。だって多分、その知りたくなかった数年来の事実とやらを突きつけたのは、先程までエメットさんと共にバトルトレインに同乗していた未来の夫だ。関わると絶対めんどくさい。

「…アンタはさ、なんでクダリなの?」
「は? いきなりなんです?」
「だってアンタ、あーゆーアザといタイプ、好キじゃナイでしょ」

 ……よくお分かりで。

「…前も言いましたけど、クダリさんが望んでくださったからですよ。そうじゃなきゃ、わたしなんかが隣に立てるとわけないじゃないですか」
「フーン。…じゃア望まれレバ、他のダレでもヨカッタんだ?」
「? クダリさん以外に、そんなひといるわけないじゃないですか」

 首をかしげてそう返すと、エメットさんはぱくりと言葉を飲み込んで目を丸くした。不機嫌な表情にもクダリさんの面影はあるが、こういう素に近い表情だとなおさら彼の気配が濃い。…顔が赤かろうとなんだろうと放っておけばよかったものを、つい放っておけなかったのはなるほどこういうわけか。我ながら、焼きが回ったなあと思う。

「…アンタ今の、わかってノロケてル?」
「……はあ? 何のことですか?」
「もうイイ」

 切り捨てるようなセリフと共に、しっしっ、と小バエかなにかに対するように追い払われた。ムッとしたものの、残念ながらわたしの仕出かしたことといい役職的なものといい、エメットさんとわたしとの立場は月とスッポンほども違う。不平不満をぐっと飲み込み、一歩下がって軽く会釈。わたしもいい加減仕事に戻らねば、以前にも増して容赦のない黒い鬼に雷を落とされてしまう。

「――…!」

 背中に聞こえた声に振り返ると、エメットさんの手の中でひらりひらりとハンカチが揺れた。

「コレもらっテく。アリガト」




 そうしてつつがなく、サブウェイボスを迎えての研修・交流事業は幕を閉じた。初日こそどうなることかと思ったが、大したトラブルもなく完遂することができて一安心である。そうそうお目にかかれるものではないサブウェイボスの姿を求め、この二週間はギアステーションの利用者も普段の五割増しを記録し、おかげで上層部の反応も色よいと聞いている。今回のことを例にとり、インゴさんたちの勤めるバトルサブウェイを見習って季節のイベントごとをもっと活用していくべきだと進言してみよう。せっかく見目麗しい人間がそろっているのだ、利用者増のために利用しない手はない。

「では、今度はノボリとクダリがコチラに研修に来る手筈を、整えテ頂けマスカ?」
「もちろんです。今度はこっちを客寄せパンダに使用なさってください、インゴさん」

 ガッと固い握手を交わす。予算増を願うのは、海の向こうも同じであるらしい。

「またメールさせていただきます。…奥様のお写真、添付してもらえるものと信じていますね」
「……エエ、約束いたしまショウ」

 苦笑を浮かべたインゴさんと挨拶を交わし、わたしはするりと人垣を抜ける。職員と利用者がごっちゃになった駅のホームは大混雑だ、幾人かが交通整理にまわっているものの、とてもじゃないが手が足りていない。加勢するべく声を張り上げようとしたわたしの視界に差す影、目の前に突き出された包みを支える腕は白。

「インゴにだけアイサツして、ボクには何も言わナイつもり?」
「…しない方がいいものだと思ってました。すいません」

 素直に頭を下げると、エメットさんは不満げに鼻を鳴らした。まあイイケド、と付け足しながら、手の先の包みを押し付けてくる。

「…なんです? これ」
「ハンカチ。この前、アンタのダメにしちゃっタかラ」
「は? いや、捨ててくれたらいいって言ったじゃないですか。受け取れないですよこんなの」
「アンタに借りを作っテおくノ、ボクがイヤなだけ。イイカラさっさと受け取レ」

 まさかの命令形である。こんな上から目線のお詫びの品を受け取ったのは初めてだ。

「はあ、それじゃあ遠慮なく……っ!?」

 ――…無警戒に手を伸ばしたわたしが悪いとか、そんなことを言われる筋合いはないと思うんだ…。
 伸ばした腕を掴まれ、すわ何事かと思っているうちにぐっと引き寄せられてバランスを崩す。あらやだ、ここでホームの床とちゅーして鼻血出したら笑えるわ、という思いが脳裏をよぎったのだが、軽く手を引かれただけだったので、足を一歩踏み出すことで地面との衝突は避けることができた。誰かさんの二の舞になんぞなってたまるか、つーかいきなり何すんだコノヤロウ。
 「あああああ! エメット何してんの!?」 というクダリさんの金切り声をBGMに、エメットさんがわたしにそっと耳打ちする。何を意図してそう言ったのかその場でははっきり理解できなかったのだが、見上げた蒼穹はいよいよ夏のそれのように晴れやかで、ついわたしの毒気まで抜けてしまった。包みを受け取り、この二週間で初めて見る満足げな笑顔に感謝を告げる。

「じゃあ、また今度」
「ウン、じゃあまたネ」



「――エメットあいつ、ほんっと油断もスキもない…!」

 ガルルルル、と自分とよく似た白い背中に唸り声をあげる様は、まるでムーランドのようだった。コートの裾をめくったところに、毛を逆立たせた立派な尻尾が見えても不思議じゃない気がする。わたしの腰にしがみつこうとしてくる前足、もとい両腕を押しのけつつ、エメットさんから渡された包みの封を切る。包まれていたのは透明な包装紙にくるまれたシンプルなデザインのハンカチと、一枚のメッセージカード。――なるほど、こっちが本題だったワケか。

「やっぱりクダリさん、エメットさんになんか余計なこと言ったでしょう」
「……なんのこと?」
「伝言です」

 走り書きされたカードを目前に掲げてやり、わたしは耳打ちされた言葉を復唱する。

「『――ざまあみろ』」
 “――Congratulations, I wish you every happiness!”

リクエスト#9:サブボス襲来

2012/07/29 脱稿
2012/08/11 更新