11/20(Tue)

reported by:subway master



 ばたばたと廊下を駆けてくる音がする。ノボリは、クラウドとともに覗き込んでいた手元の資料から視線を上げ、鉛色の目を眇めた。まったく、あの血を分けた弟は 『廊下を走らない』 という至極初歩的な決まりを、いつになったら守るようになるのだろう。

――っ、ノボリ!」

 慌ただしく開け放たれた扉の向こうに姿を現したのは、予想通りの人物だった。いったいどこから走ってきたのだろう、お客様の前でピシリとしていなければならないはずの制帽は傾き、白いコートはよれて裾が乱れている。黒のサブウェイマスターとして苦言を呈さねばならないところではあったが、上半身を支えるように膝に手を当て、肩を大きく揺らして荒い呼吸を繰り返すクダリに、ノボリは瞬間、言葉をなくした。いったい何事だろうという思いが、彼から小言を忘れさせる。

「クダリ? そんなに慌てて、何事です」
「ノボリどうしよう、ぼく、のこと好きになっちゃった!」

 ………………はい?

「うわあ、どうしよう、すっごくドキドキする! だいばくはつしそう!」

 ノボリとクダリは双子である。母の胎内にある頃から誰より近くで息をし、同じものを見、生活を共にしてきた片割れともいうべき存在。幼少期から突拍子もないことを平然とやってのける弟には手を焼かされてきたが、その彼とてとうの昔に成人を迎えた。白のサブウェイマスターとして立派に職責を果たしているクダリの、その突拍子もない行動にももういい加減慣れましたねHAHAHA☆と思っていた矢先にこの言動である。お兄ちゃんはもうついていけません。

「ぶっは! 白ボス、ってほんまにあののことか? また随分マイナーなとこ攻めよるなァ」
「それって、いつもの女の子たちとは違うって意味なんです?」
「デ、白ボスそこんトコどーなのヨ?」

 堰を切ったようにわらわら集まってくる鉄道員たちに、ノボリのほうがびくりと体を揺らした。あんまり突然すぎて忘れていたがそうだった、ここは鉄道員たちの事務室だった。しかも時間はお昼時である、トレインに挑戦者が少ないことが災いして、フルに近い人数が勢ぞろいしている。
 ノボリがぐるぐると思考を巡らせている間に、彼はクダリの周囲にできた輪の中からぽいっとはじき出されていた。矢継ぎ早に質問が飛び、あられもない答えが返る。すでにここはギアステーション内の事務室などではない、女子校の昼休みか、修学旅行の夜である。

「うーん、わかんないけど、たぶん今までのコとは違う。なんかね、見てるときゅうんってする。すっごくすっごくぎゅってしたい!」
「ほうほう、それで?」
「でも、さわるのちょっと怖い。今までそんなこと全然なかったのに…心臓のとこ、ぎゅうってなる。あと、がほかの人のこと話してるの、すごくヤダ…」
「ああ、そら恋やわ」
「恋デスネ」
「恋かあ…」

 いいなあ、僕も恋したいなあ、と呟く声に、いや今お前の話はどーでもええねん、と割と辛辣なツッコミ。ギアステーションは今日もまったくもって平和でございます――いや、幾分平和すぎやしませんか、皆さん。

「でも、どーしたらいいんだろ…。どーやったら、ぼくのこと好きになってくれるんだろ……」
「あー…あいつ、なんや知らんけど枯れてるっちゅーか、」
「『カレシ欲しーイ!』 みたいナ感じ、ホンットないデスよネー。割とカワイイのに、勿体ナイ」
「…………………」
「アッ、違いマスよボス! 変ナ意味ジャないデスヨ!? アレですヨ、先輩ガ後輩を心配スル的なアレですカラ!」
「え? でも前キャメロンさん、のこと食事に誘って」
「アーアーアーアー! 俺、昼きゅーけー入りマース!」

 ノボリは、逃げるように事務室から出ていくキャメロンをじとりと睨めつける弟の手を引いた。いろいろと言って聞かせなければならないことが多すぎるが、ここでやるのはまずい。ひとり脱落したとはいえ、鉄道員たちの興味関心は寸分たりとも衰えた様子はなく、むしろより話を引き出してやろうと手をこまねいている気がする。
 クダリだけに関わる話であるなら、ノボリだって止めやしない。彼だってもういい大人だ、したいようにすればいいと思う。だが、事は否応なしにを巻き込むのだ。しかもあの事務室は、彼女が多くの時間勤務する場所であり、彼女と鉄道員たちとの関わりも深い。下手な方向にはなしを持って行かれるのは困る。

 ノボリは露骨なまでに興味津々という視線を向けてくる鉄道員たちの間を抜け、サブウェイマスターの執務室に滑り込んだ。扉を完全に閉めたところで、きょとんとしているクダリを振り返る。

「……あの、先ほどの話ですが、」
のこと? うん、好きになっちゃったみたい!」

 咲き誇るドレディアにも勝るとも劣らない笑みである。きらきらにこにことして、実の弟ながらまったく微笑ましさすら覚える満面の笑みだが、その奥底に潜む打算的なそれに気付けないほど、ノボリは耄碌していない。クダリの考えていることなど、望む望まぬに関係なく、手に取るようにわかってしまう。

「それで、先に外堀を埋めておこうという作戦ですか?」
「……バレてら」
「わからないとでもお思いですか。…まったく、好奇の目に晒されるの身にもなって差し上げたらどうなのです」

 ただでさえくるくると口のまわるは、彼女に比べて年上の多い鉄道員たちよく可愛がられていて、…言い方を変えればからかわれていることが非常に多く、今回のこの件が影響しないとは到底思えない。まあ、鉄道員たちだっていい大人なのだから程度は弁えているだろうし、それになにより彼女なら何事もなかったかのように乗り切るとは思うのだが。

「…だって、こうでもしないと、どっか行っちゃうもん……」
「だからと言って、彼女の働く環境が悪化したら、それこそ職場を変えてしまわれるのでは?」
――、元の世界に戻りたいって言ってた」

 生まれた世界が違うのだという彼女の話をノボリが聞いたのは、もう二か月ほど前の話だ。俄かには信じがたい話であったものの、の語る内容を自分なりに精査し、普段の彼女を鑑みた結果、ノボリは信じると決めた。突拍子もない嘘で人々の耳目を集めたいというより、人ごみの中でひっそり息をひそめていたいというのが、という人間だと思う。
 クダリがのその話を自分の中でどう消化し、納得したのかまでは知らない。しかし、クダリが彼女を信じ、その上で彼女との心地良い関係を続けていたことは知っている(ここ数日は、年甲斐もなくケンカなどをしていたようだが)。その中でクダリが彼女に心を砕き、想いを寄せるようになった理由も、まあわからないではない。多少面倒くさがりで、こと自分のことに関しては投げやりすぎる節も見受けられるだが、彼女はなるほど魅力的な女性だと思う。

 けれどが、そう簡単に解決できない問題を抱えているのも、紛れもない事実である。あのとき彼女は、はっきりと “元の世界に戻りたい” という内容は口にしなかったが、いつ戻ることになってもいいような生活を送り続けているというスタイルそのものが、帰りたいのだと叫んでいるようにノボリには思えた。だからこそ、派遣期間の延長をあまりしつこく要請しないようにと人事部にそれとなく伝えたし(実際には、あれから何度かアタックしていたらしいが)、自分にできるのは幾分投げやりな態度がすぎる彼女を、それとなくサポートしていくことくらいなのだろうと思っている。

 ――それこそ、がいつ元の世界に戻ってもよいように。

「コイビトなんて欲しくない、好きなひとなんていらないって。帰りたいと思えなくなるのが怖いって、言ってた。――…ぼく、そうなっちゃえばいいのにって…帰りたいなんて、思わなくなっちゃえばいいのにって、ずっと、そればっか考えてて、」

 見る見るうちに、笑顔だったクダリの表情がぐしゃぐしゃにゆがんでいく。ずずっとみっともなく鼻をすすりあげる音がした。声が震えている。

「サイアク、ほんとサイテーだよ…っ。は帰りたいって思ってて、それがにとっていちばんのしあわせなのに、ぼく、それを願ってあげられない…! ぼくのそばにいてほしい。そばにいて、ぼくのことを好きになって、ずっと一緒にいてほしいって、そればっか考えてる!」

 制帽を顔の前に傾け、クダリはその影でなみだをこらえているようだった。泣くのは筋違いだと考えているのだろう。今クダリを包んでいるのは、クダリ自身に対するどうしようもない怒りであり、そして同時に、どうしようもないほど募ってしまった、に対する恋情なのだと思う。煌びやかな女性を、まるでアクセサリーのようにとっかえひっかえしていたクダリだが、元をたどれば愛情深い子なのである。そうでなければ、あれほどまでに丹精込めてポケモンを鍛え上げ、サブウェイマスターとしての職責を果たせるわけがない。

のことが好き。ぼくがをぎゅってしたとき、にもぼくと同じくらい、嬉しいって思ってほしい。ぼくと同じくらい、ドキドキしてほしい…! …っけど、ぼくがこんなこと考えてるっていうの知ったら、、きっとぼくのことイヤになる…っ、ぼく、きっときらわれちゃう…!」




―――…だったらなんです、諦めるのですか?」

 我ながら、冷え冷えとした声が出たとノボリは思った。制帽の影でぐすぐす鼻を鳴らしていたクダリの呼吸が一瞬とまり、赤くなった目元がちらりとのぞく。さっきの言葉は本当に自分のよく知る兄が発したセリフなのか、吟味している顔だった。

「…ノ、ボリ……?」
「これまでたくさんの女性とお付き合いして、大した問題は起きなかったものの、その数だけ女性を不幸にしてきた貴方が、よくも抜けぬけと」

 今度こそ、クダリの頬に朱がはしった。怒りにキッとまなじりが吊り上がり、くちびるがわななく。

「な…っ、今そのはなし関係なくない!? てゆーか不幸になんてしてないもん、みんな楽しかったありがとうって言ってくれたもん!」
「そんな話を真っ向から信じているあたりが駄目なのですよ。というか、貴方のそういう点をこそ、は嫌うのではありませんか?」
「!! そ…っ、んなの、ノボリに言われなくたって、わかってる…! もうこれからは絶対しないもん!誘われたって、ついてかないもん!」
「…わかっているとは思いますが、は当分、貴方なんかになびいたりしませんよ。クダリがどれだけのことを好きでも、彼女はそんなもの、歯牙にもかけないでしょう。どれだけ大切にしたって、気付いてすらもらえないかもしれませんし、ある日突然、元の世界に戻ってしまわれるかもしれません」
―――…っ」
「女性とのお付き合いだけではありません。貴方がを想うが故に、貴方が犠牲にしなければならないものが出てくるはずです。…気持ちが通じれば、それでもいいでしょう。ですが、もし想いが実らなかったとき、が元の世界に戻ってしまったとき、貴方が彼女のために犠牲にしたものを、彼女のせいにしたりはしませんか?」

 愛されることを、当然だと考えているのなら。

「もし、ほんの少しだって迷いがあるのなら、悪いことは言いません、今のうちに諦めてしまいなさい。でなければ、を傷つけるのはもちろんですが、貴方も損をすることになりますよ」

 静寂が執務室を満たした。ピンと張りつめた沈黙の中で、ノボリは微動だにしない弟を見据える。
 女性関係にだいぶルーズなクダリだが、クダリ自身が積極的に声をかけているわけではない。思わせぶりな態度をとってハードルを下げておき、女性の方から声をかけてきたのに応えるのが彼の手管だ。とても褒められた行動ではないが、それでも選択し、決定したのは女性の方である。これまで問題が起きたこともないし、たまに苦言を呈してきたものの、ノボリとしてはノータッチを貫いてきた。
 しかし、他人に愛され、求められることを前提としたクダリのこれまでが、もしもを貶める結果につながるのなら。クダリの兄として、の友人として、止めなければならないと強く思う。

―――…だい、じょうぶ」
「…クダリ、」
「ぼく、だいじょうぶ。ぜったい迷わない。がぼくのこと好きじゃなくても、ぼくはのことが好き。…嫌われるのはヤだけど、でも、それでもぼくはが好き」

 目尻に浮かんだなみだを拭い、鼻をすすりあげ、クダリは制帽をかぶりなおした。鼠色のひとみに意志が宿り、なみだをはじいてピンと閃く。

「犠牲にしたなんて思わない。のおかげで、初めて感じたこと、初めてわかったこといっぱいある。…全部、ぜんぶのおかげ。のせいなんて、思うわけない」

 そう言ってにっこり笑うクダリに、ノボリはハンカチを差し出した。まったく、目元は真っ赤だし鼻はぐしゅぐしゅだし、とてもじゃないがサブウェイマスターとしての威厳も貫禄もあったもんじゃない。しばらく、ダブルとマルチトレインの鉄道員には、頑張ってもらわなければなりませんねと零すと、クダリは何がおかしいのかへらりと笑った。本当に、誰のせいだと思っているのだろう。

――しかしそうなると、作戦を考えねばなりませんね」
「さくせん?」
「ええ。…を諦めるつもりは、ないのでしょう?」

 もちろん!と両手にこぶしを握ってクダリが答える。その意気やよし、しかし敵はなにぶん、強大かつ凶悪である。何事にも戦略は必要だ。
 恋とは落ちるものである。それはつまり、落ちるためにはそれ相応の穴が必要だということだ。落ちる側があれば、落とす側がある。今回はたまたま落とす側に回っただけのこと、あくタイプなどと言われる筋合いはございません。

は元の世界に戻りたいと考えていて、そのために想い人は足枷になると考えておられる。しかしこれは、逆手に取れば貴方に有利となる条件です」
「……がぼくのこと好きになれば、帰りたいって思わなくなるってこと?」
「ええ。帰りたいという意志がなくなれば勝利も目前。あとは時間をかけて、ゆっくり籠絡していけばいいでしょう」

 けれどクダリの表情は晴れない。考えていることはわかっているが、吐き出させてやることも必要だろう。ノボリはわざと水を向けてやる。

「…でも、は帰りたがってるんだよ? がいちばんしたいって思ってること、応援してあげられない。…っしかもぼく、いちばんジャマすることになっちゃう! …好きなひとのしあわせ、ジャマするなんて、」
「まあ、外道のやることでしょうね」

 ノボリがぺろりと言ってのけると、クダリは自分でも遠からず同じことを考えていただろうに、ショックを受けたようだった。一瞬、顔色が蒼白となり、その直後怒りで頬が紅潮する。クダリが叫んだ。

「何それーッ! ノボリが言い出したくせに、げど…外道って…………え、ぼく外道なの…?」
「勘違いしないでくださいまし。確かに想う方のしあわせを祈れない輩など、ただの外道。…しかしクダリ、元の世界に戻ることこそがのしあわせだというのは、いささか早計ではありませんか?」
「…なにそれ、どういういみ…?」
「つまり、元の世界に戻ることより、この世界に留まることの方がしあわせなのだと、がそう思えたらよいのでしょう?」
―――…!」
「そこでクダリ、貴方の出番というわけです」
「そっか! ぼくがのこと、元の世界に戻ることより、しあわせにしてあげればいいんだ!」

 ブラボー、クダリ!その通りです! と拍手しながらノボリは、のいるであろう方向に向かって、心中、手を合わせていた。言葉遊びだというのは痛いほどわかっている。真に外道と呼ぶべきは、自分であるということも重々承知している。それでもにとってのしあわせが、『ここ』 にないとは思えないのだ。

 いつこの世界からいなくなってもいいように、ということを念頭に置いて生活する彼女の努力が無駄だとは言わない。けれどああして、彼女の能力を求める場があるというのに、生きるための金銭を得るためだけに仕事をして、交流を望まれているのに他人と交わらず、ポケモンが大好きで仕方ないのに触れ合うのを我慢して、そうやっていろんなものに蓋をしながら生活することが、彼女のためになるとは思えない。
 誤解を恐れず言えば、ここでがしあわせになれないのは、自身のせいだ。この世界でだって、学校に通って勉強し、職に就き、恋をすることは、間違いなくできるのだから。

「帰りたいと考えておられるにとって、想うひとがあるということは足枷…。となれば、問題となってくるのは、」
「ぼくがを好きっていう気持ち、はジャマに思うかも、ってことだよね」

 バトルサブウェイのトレイン内で挑戦者に相対するときのような顔で、クダリが言葉を継いだ。意志のみなぎる鼠色のひとみが、ぎらりと閃く。ノボリは深くうなずいた。

「これは幾分、厄介な問題ですよ。貴方はに好意を抱いていただかなければなりませんが、貴方のに対する好意は包み隠さねばなりません」
「うん。…でも、ぜーんぶ隠すのはムリだよ?」

 だってのこと好きだもん。もう何度目になるかしれないセリフを吐いて、クダリがくちびるを尖らせる。ノボリは 「わかっております」 と応じながら、思索を巡らせた。攻略対象が難敵であればあるほど心躍るというのは、ポケモンバトルも恋愛もそう変わりませんね、と聞かれたら世の女性を敵に回しかねないことを考えつつ、作戦を練る。…もう一度心中で、に頭を下げておいた。

「何もすべて隠す必要はないでしょう。周囲への牽制という意味も含め、ある程度は行動に出たほうがいいのでは?」
「だよね! ってば、全然ニブちんなのになんか隙があるってゆーか、ぼくがぎゅってしても無反応なくせに、ああいうこと急にするし………あれっ、あの子もしかして実はすっごく危ういんじゃ…」
「実はもなにも……それにまあ、貴方みたいに所構わず抱き着くひとなんて、そうそういないとは思いますけれども」
「わかんないじゃんそんなのー! えっどうしよう、だってもしぼく以外のひとにぎゅってされても、、されるがままになってるかもってこと…?」
「おそらく」
「!!」

 いやそんな、世界の終わりみたいな顔をされても。

「それに、ともすると抱き着かれることに慣れて、ドキドキもなにも…という感じになってしまわれるかもしれませんよ?」
「……えっ、もう手遅れとか言わないよね? もうけっこう 『またですかああハイハイ』 みたいな態度なんだけど…」
「……クダリ、貴方仕事中になにしてるんです…」

 だってきもちいーんだもん、と理由になってない理由をぼそぼそ呟くクダリに、ノボリは告げた。まさに一石二鳥なアイデアである。クダリのためにも、このギアステーション内の風紀是正のためにも。――いや別に、この結論に持っていきたくて話を吹っかけたわけではない。断じて。

「押して駄目なら引いてみろ、ですよクダリ。まず、ほいほい抱き着くのはお止めくださいまし」
「えっ、やだ!」
「……わたくしは構いませんよ。一時の欲望に流されて、後々の大きなしあわせを貴方が掴み損なっても。わたくしは痛くもかゆくもありませんから」
「……ううー…」
「決めるのは貴方です。…どうします? 刹那の快楽に身を委ねるか、それとも少しの間辛抱し、後に大きなしあわせを掴むか。――前者の場合、もし貴方の想いが通じ、彼女を万感の思いで抱きしめたところで、当のは平素と変わりなくデンチュラとじゃれているかもしれませ」
「ぼく、ガマンする!」
「ブラボー!よくおっしゃいました! それでこそわたくしの弟です」

 それからもノボリとクダリの作戦会議は続き、結局ノーマルマルチに挑戦者が現れるギリギリまで対策が講じられたわけだが、つまり彼らは気付かなかった。ギアステーション職員であれば、サブウェイマスターの執務室の扉に張り付いて盗み聞きなどするわけがない。それが彼らを油断させた。
 ――確かに正しい。職員たちは、顔を突き合わせて何事かを真剣に論じ合う上司の姿に恐れをなし、緊急の仕事以外を後回しにしたのだから。

 細く開いた執務室の扉の影。紫色の炎を揺らめかせ、つぶらな黄色い瞳が彼らをじっと見つめていた。

彼らは正しく、大人の男の人なのです。

※ キャメロンさんの台詞に関して、ゲーム内では漢字とカタカナのみの表記となっておりますが、文章にするとあんまり読みにくかったので、ひらがなも混ぜた状態で表記させていただきました。伏してお詫び申し上げます。
2012/05/01 脱稿