11/05(Tue)
reported by:clerk
「
―――…もしもし…」
『お休みのところ申し訳ございません、。お時間よろしいですか?』
「……いえ、あの、おじかんよろしくないんで、新聞のかんゆうだったら、また今度に、」
『いえ、新聞の勧誘などではございません。わたくし、サブウェイマスターのノボリと………、寝ぼけてらっしゃるのですか?』
「………ああ、はい…だいじょうぶです、だいじょうぶ…わたし、かみさまは信じてないので、ほんと、そーゆーの大丈夫ですから、」
『、目を覚ましてくださいまし! わたくし、宗教の勧誘のためにご連絡さしあげたのではないのです!』
「……………ああ、じゃああの、ぽすとにチラシだけ入れて……ぐう」
おかしい。納得いかない。ぜったいおかしい。
なんだってこんな休日の早朝にライブキャスターで叩き起こされ、あまつさえその画面の向こうでぷんすか怒っている上司を前に、正座させられなければならないのか。小さな画面に映るその姿が見目麗しいことだけが救いであるが、こちとら寝起きである。向こうが見えているということは、こちらも見えているということで、よれよれTシャツの襟元から手を差し入れ、胸元をボリボリ掻いていたら名前を厳しい口調で呼ばれて叱られた。じゃあこんな時間に連絡よこさねーでください、と言ったらしれっと無視されたので、わたしはそろそろ、ノボリさんに対するイメージみたいなものを更新しなおさなければいけないと思う。確かにあなたは、あのクダリさんのお兄さんですよ。
「ノボリさん、ご存知ですか。わたし今日、仕事休みなんです」
『存じております。ですから、ご連絡いたしました』
「……今何時だかご存知ですか」
『朝の十時でございます』
「早すぎですよ何考えてんですか! 休日の朝は正午すぎるまで早朝ってカテゴリーになるんですよ、なのに十時って! これ平日だったら深夜三時とかに連絡してるのと同じニュアンスですからね。それにわたしにも都合ってものがあって、いっつも休みの日ヒマしてるわけじゃ、」
『……申し訳ございません。わたくし、の都合というものも考えず…』
「あ、いや……すいません。寝起きでちょっと気が立ってて…朝の九時が早朝じゃないことは、わたしもわかってますし、何も用事がないんで寝てたんですけど、」
『でしたらよろしゅうございますね。本日は、にお願いしたいことがございまして、』
もうやだなんなのこの双子。ゴーイングマイウェイにも程がある。
弟さんが “あんなん” であることはもう一年以上前に諦めがついていたが、さすがというかブルータスお前もかというか、まったく本当にあの弟にしてこの兄である。言葉を交わし、初めて名前を呼ばれたときの、あの胸の高鳴りにも似たときめきは、きっと不整脈か何かだったに違いない。……いや別に、本気でときめいてもいないけど。
『実は、クダリが熱を出して寝込んでおりまして』
「へーえ。クダリさんでも風邪とか引くんですねえ」
『……ええまあ。それで、今日の勤務は見合わせることになったのですが、』
「そりゃあ今日のギアステーション大変だあ。……休みでよかったー」
『、聞こえておりますよ。けれどまあそういうわけなので、わたくし、クダリの看病にまで手が回らないのです』
「…………………いやです」
『わたくし、まだ何も申し上げておりませんが』
「いやです、せっかくの休みの日に風邪ひいた上司の世話なんてしたくありません」
『、そこをなんとかお願いいたします』
「ほらやっぱりそうきたー! ヤですよそんなの、絶対いやです勘弁してください時給1000円でも引き受けられません」
『では2000』
「………………おっ、おかねの問題じゃ、ないんですよ。時は金なりって言うじゃないですか…いや、わたしとしてもそりゃ、クダリさんはそっ尊敬?できる上司ですし、風邪をひかれたって聞いたらやっぱり心配っちゃ心配ですけど、でも貴重な休日ですし、」
『2500出しましょう。それに、ふしぎなアメも。……そうですね、数は三つでいかがです?』
「ご自宅、大通り沿いの三ブロック目にあるマンションであってますよね?」
『ブラボー!さすがの記憶力でございます! キーは郵便受けに入れておきましたので、それをご使用くださいまし。部屋番号は1401、郵便受けのロックは3287で解除できますので』
「承知しました。………個人情報だだ漏れですけど、本当にだいじょうぶですか?」
『ああ………まあ、なので問題ありません』
上司からの信頼が厚いと喜べばいいのか、上司の情報管理の甘さに憤ればいいのか微妙なところだ。…うわこの情報、出るとこに出たらたぶんすげえ高く売れるな、と思うくらい許してほしい。
与えられた数字を頭の中でもう一度反芻して、記憶にとどめる。そう遠くないうちにちゃんと忘れないとな、と思いながらライブキャスターに視線を戻すと、これまでの無表情はどこへやら、ノボリさんはどこか神妙な顔をしていた。さすがに強引が過ぎただろうかと思案しているようにも見えて、このひとはどうも悪役になりきれないタイプだよなあと思う。そこのところ、一度決めたら決して悪びれることのないクダリさんとは対照的だ。
『…、あの、大変差し出がましいのですが、…これは貴女の上司としてではなく、貴女の…その、友人として、お願いさせていただきたいと、思っておりまして』
――このひとは、今更何を言い出すのだろう。
「………時給2500円の報酬はなし、という意味ですか?」
『いえ! そちらに関しては、“お礼” として、きちんと支払わせていただきます』
なるほど “お礼” か、物は言い様である。
友人として……、ねえ。なんとも、こっぱずかしくなる言い方ではないか。幼い少女にありがちな、「あたしたちっ、ずっとともだちだよ!」 みたいな居たたまれなさというか、そうやってはっきり言葉にされると 「おいおい勘弁してくれよ照れんだろお」 みたいなむず痒さが半端ない。
ライブキャスターに映し出されるそのひとも、どうやら自分で言っておきながら照れたらしい。視線を斜めの方向にそらし、大きな体を小さくしておどおどと恥じ入っている。そして、厄介なことにこういった恥ずかしさは伝染する。つられてわたしも居住まいを正し、後ろ頭を掻きながら思わずベッドの上に正座しなおしていた。……なんだこの状態、初夜か!
「あー…お礼がいただけるのなら、わたしとしては、それに見合う分だけの働きはさせていただく所存であります、はい」
『……………………』
「それにあの、上司の命令には、こんなごねたりとかしませんから。……たぶん」
『
―――…、』
ありがとうございます、とやわらかく微笑んだノボリさんを前に、本日のわたしの予定は決定した。
がさがさと鳴るスーパーの袋を片手にぶら下げ、玄関のロックを解除する。キーを持っているとはいえ、一応呼び鈴鳴らしたほうがよかったかも、と思ったが、そのときにはドアノブに手をかけていたので、面倒くさくなってドアを開けた。部屋に上がりこむ前に呼びかければいいやと判断する。
「…………ノボリ? なんで帰って、」
「あ、」
リビングからひょこりと姿を見せたクダリさんは、その瞬間、赤い絵の具をぶちまけたように赤面した。
「うわ、ちょっとクダリさん。風邪ひいてるんだったらちゃんとズボンもはかなきゃー。それじゃ汗かいても替えられないじゃないですか」
「ちょっ、ちょ、え、なんっ」
「わたしここでじっとしてるんで、パンツの上になんか穿いてください。あ、どうせなら上のTシャツも着替えたらどうです? あとで洗濯機まわしますから」
ドアの方を向いて立っていると、背中側からばたばたと駆けずり回っているらしい足音が聞こえる。そんな急がなくてもいいですよーと声をかけると、うるさい黙ってて、と掠れた声が返ってきて、わたしはデンチュラと一緒に首をすくめた。パンツぐらい見てもいいじゃんね?減るもんでもないのに。
ボールから出したルクスと、わたしを出迎えてくれたデンチュラが仲良く遊び始めるのを見守っていたら、ようやく 「いいよ」 と声がかかった。声が明らかにぶすくれている。ぶすくれたこのひとは面倒くさいんだよなあ、と内心溜息をつきつつリビングに入ったわけだが、おそらくぶすくれているであろうクダリさんはソファの上で膝を抱え、重ねた腕に頭を伏せていた。きちんとジャージをはいていることだけ確認する。
「………なんで?」
「なんで、と言いますと」
「なんでがいるの」
「ノボリさんに、クダリさんが風邪で寝込んでるから看病を、って頼まれたんですけど……聞いてないです?」
「…っしらない。きいてない」
「あー…じゃあいきなり玄関開けちゃってすみません。カギはノボリさんにお借りしました」
顔を伏せたまま、クダリさんが長く、深い溜息をつく。ひゅうひゅうとかすかに喉の掠れる音が混じっていた。
「……、今日しごとは?」
「休みです。だからノボリさんが連絡をくださいました」
再び大きな溜息を吐き出しながら、クダリさんはソファの背もたれにだらりと上半身を預けた。L字型のソファの異なる辺に座っているわたしから、片腕で顔を隠すようにして天井を仰ぐクダリさんの表情はうかがえない。青白い喉元が無防備にさらされている。喉仏がごろりと動いた。
「かえって」
「
―――…はい?」
「もう帰って。ぼくだいじょうぶだから」
「……いやいやいや、大丈夫そうには全然見えませんけど」
「だいじょうぶ。熱さっき測ったらそんななかった。…ノボリには、がよくしてくれたって言っとく」
「なんですかそれ。わたし別に、ノボリさんのご機嫌を伺うために来たんじゃないですけど」
そう、わたしはあくまで、ノボリさんの友人としてここに来たのだ。
――…時給2500円と、ふしぎなアメ三個に目が眩んだわけでは断じてない。
「…なにもらう約束したの? 本?わざマシン?ふしぎなアメ?」
なんでバレてるんだろう、と思わずにいられなかったが、これ以上下手に言葉を重ねて、まさか時給が発生していることを悟らせるわけにはいかない。
立ち上がってクダリさんのすぐ傍まで近付く。いつも気配に対して妙に敏感なくせに、目を閉じているらしいクダリさんはわたしが近付いたのに気付かない。鼻でも詰まっているのか、口で浅い呼吸を繰り返している。白く乾いたくちびるが痛々しく、腕の隙間から見える頬は不自然に赤い。
「
―――…っ」
これでよく大丈夫とか言ったなこのひと。わたしは無言で手を伸ばして、クダリさんの額に触れた。びくりと大げさに震え、腕の影から苛立ちを帯びた鼠色のひとみが姿をあらわす。てっきり振り払われるかと思ったが、腹立たしげに表情をゆがめたクダリさんは、しかしくちびるを噛み、目を背けるだけでわたしの手を振り払おうとはしなかった。やはりひゅうひゅうと喉から音がする。
「……本当は何度あったんですか?」
「…39度。ねてればなおる」
「寝てないじゃないですか」
「っそ、れは、が来たから、」
「じゃあもう寝てください。氷枕とお水、あとで枕元に持っていきます」
しばしの沈黙を挟んだのち、おねがいだから帰ってよ、と吐く息に混ぜてクダリさんが繰り返す。心底嘆願するような声音で言われると、さすがに胸が軋んだ。これじゃなんだか、わたしが酷いことをしているみたいじゃないか。おっかしーな、ノボリさんに頼まれたから来ただけなのに。
……でもまあ、追いかけられれば逃げたくなって、逃げられると追いかけたくなるのが人間の性である。こんな風に手のひらを返されるというのは予想外でもあり、そうなると、普段の復讐とばかりに構いたくなってくるもので。
わたしは、クダリさんの額に当てていた手を滑らせ、頬に添わした。うっすらと浮かぶ汗のせいで、男の人のくせにやたらキメの細かい肌に手のひらが吸い付く。おいおい、わたしなんかよりずっと肌きれいなんじゃねーの、という恐るべき予感が脳裏をよぎるが、頬や耳から顎にかけてのラインはたしかに直線ばかりで形作られていて、こんな綺麗な顔しててもやっぱり男の人なんだなあとぼんやり思った。耳たぶより少し下のあたりに触れた小指と薬指に、白い肌の下で脈打つ血管の存在を感じる。思わず探るように指を這わすが、今度はさすがに顔をそむけて逃げられた。
「………、」
「あ、すみません。冷蔵庫お借りしますね」
「……………………」
「言っておきますけど帰りませんから。観念して寝ててください」
何か言いたげなクダリさんを無視して、わたしはキッチンへ。使う人の性格がにじみ出る、モデルルーム並の整理整頓具合である。いろんなところを開けちゃあ閉め、開けちゃあ閉めてしたくなる衝動を抑えつつ、目的の冷蔵庫だけを開けた。スーパーの袋からスポーツ飲料のペットボトルを取り出し、無造作に突っ込む。ここもまた綺麗に整理されていて、二リットルのペットボトルを二本ねじ込むのにも大して苦労しなかった。
どすどすと、まるでオノノクスのような足音に続けて、ばたんっ、と乱暴にドアが閉まる音。これが笑わずにいられようか。
「思春期かっつーの」
機嫌もよくないみたいだし、しばらく放っておいた方がいいかもしれない。いくら時給2500円が待っているとはいえ、体調ばかりでなく機嫌まで悪い三十路の世話なんて面倒くさい。困ったような顔で背中にあたまを擦り付けてくるシビルドンに水を運んでくれるよう頼み、わたしは他にやることがないかと首を巡らす。肩にとまったアーケオスが、退屈そうにあくびを漏らした。
ほとぼりが冷めたことを期待し、わたしがクダリさんの部屋のドアをノックしたのは、それから一時間後だった。洗濯、といってもさすがに下着類にまで手を出すのは気が引けたし、なにより勝手がわからなかったので、ポケモンたちの協力を仰ぎながらそれらを済ませ、おとなしく遊んでいるルクスとデンチュラとアイアントをライブキャスターに記録しながら少し休憩。そういえば、と空腹感を覚えて時計を見れば、時間は正午をとっくにまわっていた。叶えられる保証はないが、希望くらいは聞いてやろうとドアをノックした次第である。
「クダリさん、具合どうですか?」
>返事がない。ただのしかばねのようだ。
「クダリさん? 寝てるんです?」
失礼します、という言葉とともに部屋に滑り込む。子どものそれのように、ごちゃごちゃともので溢れかえっているのかと思いきや、室内はきちんと整頓が行き届いているらしい。でも、リビングやキッチンのようなシャープさはなく、代わりに自然な生活感があって好ましい雰囲気である。ベッドサイドの積み本とかも、わたしは割と好意的に受け止める方だ。
「…あんまりジロジロ見ないで…」
「あ、すいません。……具合はどうですか?」
ベッド上の毛布の塊が、もぞもぞと動いた。枕元でタオルの交換をする任についていたシビルドンから場所を譲ってもらい、布団に埋もれるクダリさんを覗き込む。頬や目元が赤い。昼間になってまた熱が上がってきたのか、それとも少しくらいは眠れたのか、クダリさんの目はぼんやりとわたしを見返していた。普段何に対してもきらきらした視線を投げかけるそれとはまったく似ても似つかないのが、なんだかすごく嫌な感じだ。
「…ん。だいじょうぶ」
「……そりゃよかった。ちょっとは眠れました?」
汗とタオルの湿り気で、髪が額に張り付いる。それらをそろりと指で払って手のひらを押し当てると、クダリさんは静かに瞼をおろした。熱い。薄く開いた口で息をするのにしたがって、胸にかかった毛布が上下している。
「ねえ……、かえってよ…。ぼく、もうだいじょうぶだから」
「まだそれ言いますか。クダリさんも大概しつこいですね」
いい加減呆れてそう言うと、クダリさんの閉じられていた瞼が薄く開いた。布団の中から腕が這い出てきて、額に当てていた手の手首をとられる。思わずぎょっとするほど熱い。
「クダリさん?」
「あのさあ、いまこの家、ぼくとの二人きりしかいないの、わかってる?」
「……? シビルドン、すぐそこにいますけど」
「そっ…、……もういいや…なんかあたまいたい…」
するりとクダリさんの手から力が抜けて、掴まれていた手が解放される。別にそこまで痛くもなかったし、痣になっていることもなかったが、とられていた部分をわたしは知らず指でなぞっていた。そうしてみると、ひどく自分の手が小さなものであるような気がする。だって、わたしの手首なんてすっぽりだった。
もぞもぞと寝返りを打って、わたしが立つのとは反対側を向いて丸くなるクダリさんの額に、絞ったばかりのタオルを置く。一瞬びくりと体が揺れて、けれど気持ちよさそうに力が四散していくのが手に取るようにわかった。タオルにばっかり素直ってのはどういうわけだコノヤロウ、と思ったので、ちょっとだけ追い打ちをかけておく。
「ていうか、39度近く熱があってダウンしてる人にどうこうされるほど、わたしヤワじゃないですから」
「
―――…な、にそれ。いまのワザと?」
「さあ? どうですかね」
「……うわ、たちわっる…」
「どうとでも。……そういえば、クダリさん知ってます? 風邪って、バカは引かないらしいですよ」
「だからなに」
「だから、わたしは風邪引かないってことです。余計な心配してないで、ご自分の体調のことだけ気にしててください」
「…………………」
「二日続けて白のサブウェイマスターが寝込んでたら、黒い方が発狂しますよ。疲労で」
おかゆ作ってきますね、と声をかけたときには、クダリさんは反対側を向いたまま毛布の中に完全に頭を沈めていた。もう頭のてっぺんしか見えない。ただでさえ息をしづらそうなのに、わざわざそんなとこに潜り込まなくても、と思いながら、シビルドンにあとはよろしくと声をかけておく。元気よくうなずいたシビルドンをひとなでし、部屋を後にしようとしたところで名前を呼ばれた。振り返ると、毛布の塊がごそごそうごめいている。
「
―――…たまご」
「クダリさん? なんか言いました?」
「……ぼく、たまごがゆがいい」
なんでこんなときばっかり要求が健気なんだ。きったねえなあと思う。
「りょーかいです。…他にはなにか?」
「………あと、かくごしてて」
「…はい?」
「なおったら、かくごしててよ」
前言撤回。コイツぜんぜん健気なんかじゃねえ。
とりあえず、身の安全とちょっとしたお小遣い稼ぎとお小遣い稼ぎのために、隙を見計らって寝顔の二、三枚は撮らせてもらおうと思う。このくらいの職権乱用は許されるべきだ。…だってほら、なんか覚悟がどうとか言ってるし。自分の安全は、自分で守らなきゃ。うん。
――ちなみに、写真は一枚1500円で売れた。
写真購入の最後尾はこちらです。
ネタふり、およびクダリさんの最後のセリフは、シイナさんにご提供いただきました。ありがとうございました!
2012/05/24 脱稿
2012/05/29 更新