09/29(Sun)

reported by:subway master



 最近、の様子が変だ。
 ――まあ、は割といつだって変なのだけれど、ここ最近はそれに輪をかけてヘンだ。なんだか四六時中眠たそうで、お昼休みや休憩時間に顔を見に行っても、机に突っ伏して寝てばっかりだし、お仕事はいつも通りちゃんとしてくれているけれど、ふとした拍子にあくびをかみ殺している。よくよく見てみると、目の下にうっすらと隈が浮いているし、机の上に雑然と並べられた缶コーヒー(ブラック無糖)の本数が日々着実に増えている。
 しかも、ぼくが 「どうしたの?」 って聞いてもぜんぜん答えてくれない。バトルサブウェイにありがちな、孵化・厳選作業に没頭し始めたひとの症状ではあるけれど、はそういうのと無縁だってわかってるから聞いてるのに、「孵化作業ですよ、孵化作業」 とかへらっと笑って言うし、「いやー、最近深夜アニメが面白いんですよー」 とかってカズマサの前で言って、深く突っ込まれてしどろもどろになってたりする。
 ……別に、がぼくに隠し事をするのが許せないとか、そんなことが言いたいんじゃない。にはの考えがあって、したいことがあってそうしているんだと思うから、なんの関わりもない、…付き合ったりとかしてるわけじゃないぼくが、口を出せることじゃないってわかってる(もし付き合ったりしてても、そういうのに口出しされるの、すっごく嫌がりそうだし)。

 でも、のことを一番わかっていたいっていうのは本当。他のひとに比べたら、ぼくはたぶんのことを知ってる方だと思うし、もぼくたちになら話してくれるってことがあるのは確かだけど、それでもやっぱりは自分のことを話したがらない。今どんなことが好きで、何をしてるときが一番楽しくて、だれと一緒にいたいと思っているのか、そういうことをはなかなか話してくれない。聞いても、困ったような顔で笑うだけ。――辛かったり、悲しかったり、苦しかったりすることなんて、なおさらだ。前よりはひとに頼るようにもなってきたけど、ひとの厚意に甘えることはまだまだ苦手そうで、自分の中だけで解決することに慣れてしまっているに悩みを打ち明けられたことなんて、ただの一回もない。
 こっちの世界に来てから十年間ずっと帰りたいと思っていて、そういう風に生活してきて。それでもルクスを守るために彼に名前をあげて、派遣社員をやめて正社員になるっていう決断を下したそのときにだって相談してもらえなかったのだから、からそういう話を聞き出すのは至難の業だっていうのはわかってるけど。

 のことを知れば知るほど、もっともっと知りたくなって、でもそれが叶えられないから、ぼくは勝手に寂しくなる。のことだから、たぶん 「余計なお世話です」 とかって言うし。

「(余計なお世話だってことくらい、ぼくだってわかってるもん…)」

 それでも、のことを一番知っていたいって気持ちに、嘘はつけない。の一番近くにいるのは、ぼくであってほしい。が一番楽しいとき、嬉しいとき、悲しいとき、苦しいときにその隣にいて、一緒に笑ったり、喜んだり、泣いたり、怒ったりできたらいいのにって思う。…ぼくだけを見て、なんて言わないから。

「(…あーあ……)」

 ――恋をするのって、つらいなあ。




「あ、クダリさん。おはようございます」

 なんだか変に目が覚めてしまっていつもより少し早く家を出たら、同じく出勤途中のに会った。当たり前のことなんだけどは私服で、ギアステーションの制服姿に見慣れているぼくは、ただそれだけのことでなんだかそわそわしてしまう。襟の形がまあるくなっているブラウスに、淡い水色のカーディガン。ひざ丈くらいのスカートは白いふわふわした感じのやつで、が歩くのにしたがってひらひら揺れている。ショートブーツのかかとが僕のより少しだけ早いペースで、コツコツと音を立てていた。

「なんか、いつもとちがう…ね?」
「…あー、やっぱりそう思います? わたしもだいぶ無理したなーとは思ったんですけど」
「……ん。かわいい」
「そりゃどーも。今夜ちょっと用事あるんで、できれば定時上がりでお願いします」
「…うん。わかった」

 「そんな恰好で、だれに会うの?」 って聞けたら、少しは楽になるのかな。…いや、たぶんのことだから、もしそう聞いたら、訝しげな顔をしながらもきっと教えてくれる。聞けないのは、ぼくに自信がないからだ。答えを聞くのがただ、怖いだけ。
 一年前はそうじゃなかったけど、今のなら、だれかにデートしてって言われたら、いいですよって答えるのかもしれない。答えても全然おかしくない。それはもしかしたら、にはすごくいいことなのかもしれないし、変化の兆しなのかもしれないけど、でも。

 ――それをもたらすのが、ぼく以外のだれかなのはいやだ。

「ね、! その手提げなあに?」

 考えても仕方のないことを、あまり考えすぎるのはおやめくださいまし、とノボリは言った。確かにその通りだと思う。“もし” の上に “かも” を重ねて、そんなものをうず高く積み上げたところで答えには辿り着けないし、第一相手はだ。ぼくやノボリの想像通りになんて、動いてくれるはずがない。
 だから気を取り直すように息をつき、にっこり笑っての手元をひょいっと覗き込んだのだけれど、

――なんでもないですよ」

 スッとさりげなく遠ざけられてしまった。

「てか、ひとの荷物覗き込むなんてマナー違反ですよ、マナー違反」
「えへへ。だって気になるんだもーん」

 ぼくがいるのとは反対側の手にぶら下げられているのは、小さな紙袋だ。何が入っているのかまではよく見えなかったけれど、さらに小さな包みが収められているらしい。
 ぼくはにっこりと笑ったまま腰をかがめて、の顔色をうかがった。ちら、とぼくを映した夜色のひとみが、すぐさままっすぐ前に戻されてしまう。はあまり表情を動かさないけれど、ノボリといっしょで目がおしゃべりだ。だから、何を考えているのかまではわからなくても、その感情がどこにあるのかはなんとなくわかる。――ため息をついて不機嫌そうにしているけれど、これは全然怒ってない。むしろ機嫌のいいときだ。

「………隙ありっ」

 の背中から腕を回して、紙袋をかすめ取る。うわっ、と声を上げたが取り戻そうとするよりはやく、ぼくは少し走って距離をとった。「やめてください!」 というの声を無視して、にんまり笑いながら紙袋の中を覗き込む。


 ――そしてぼくは、その場に固まってしまった。


「ちょっと、なに子どもみたいな真似してんですか! 返してください!」

 本当に怒った顔で、怒った目で、怒った声でが言う。そしての手が、ぼくの手にあった紙袋を乱暴に取り返して、中身が無事かどうかを確認する。少しだけ曲がった黄色のリボンをなおす手つきに、カッと喉が焼けた。

「ったくもー、だからやめてくださいって言ったのに。何してくれてんですか」
「………それ、なに…?」
「…なんでもないです。ほら、さっさと行かないと遅れ」
「なんでもなくないよ! それなに? だれにあげるの?」

 だって、そういうの、見たことある。ぼくも貰ったことある。ぱっと見てわからないほどバカじゃないし、鈍感でもいられない。
 紙袋の中にあったのは、きれいな、透明の包み紙にくるまれたクッキーだった。黄色や赤や、紫のリボンで封をされている。これがお店で買ったものじゃないことくらい、ぼくにだってわかる!

 心臓がばくばくうるさくて、ズキズキ痛い。指の先までどくどくと震えて、ぼくは舌打ちしたくなるのをぐっとこらえた。役立たずめ、と思う。そんなことくらいしかできないなら、どっか行っちゃえばいいのに。そうしたら、の前でこんなふうにみっともなく、立ち竦んだりなんかしなくて済んだ。の溜息に、こんなびくびくしなくて済んだのに。

「クダリさんには関係ありません」
―――…っ」
「だから、この件は他言無用でお願いします。…ね?」





――話はわかりましたが。それと仕事が進まないのとは、まったくの別問題でしょう」
「ノボリうるさい。ぜんぜん別問題なんかじゃないもん」

 他言無用? そんなの守ってなんかいられない。大体あれだ、ノボリとぼくは二人で一人みたいなものだから、“他言” したうちには入らないんじゃないかなあはは、は………はーあ、もうサイアク。なんにもする気起きない。帰りたい。今すぐ帰っておふとんの中にもぐりこみたい。泣きたい…っていうよりは、ジタバタしたい。大声で叫んだりとか。それか、すっごく本気のすっごいポケモンバトルしたい。

の持っていたものが本当に手作りのクッキーだったかなんて、わからないじゃありませんか」
「……………………」
「それが本当に手作りクッキーだったとして、渡す相手が男性であることも、貴方の勝手な想像でしょう」
「……だって、今日、用事あるから定時で上がるってゆってたもん。ぜったいデートだよ…それでそのとき、あのクッキー渡すんだ…」
「直接聞かれたのですか?」
「そんなの聞けるわけない! ……それに、珍しくスカートはいてたもん。いっつも面倒くさいからってズボンなのに」
「同性のご友人と食事に行かれる際にだって、スカートくらいお召しになるでしょう」
「……むだにかわいくしてたよ?」
「貴方の主観じゃないですか」
「そっそれに、さいきん寝不足だったみたいだし。…たぶん、そいつのことで悩んで、眠れなくて…っ」
「…ルクスを手持ちにすると決めたときや、正社員を目指すことを決めたときにすら、そのような素振りを見せなかったが、ですか?」
「……………………」

 確かに。

――…ってちがう! うわあ、あっぶない。むりやり納得させられるとこだった…!」
「おや、惜しかったですね」

 そう言ってノボリがにっこり笑う。ぼくは、そのぼく自身によく似た顔を一発ぶん殴ってやりたくなるのだけれど、仕事の手を止めて…はいないが、仕事を片付けながら聞いてくれていることはわかっていたので、どうにかこらえた。不承不承ではあるが、これ以上手を止めていると本気で叱られそうだったこともあって、山積みになっている書類と向き合うことにする。

「それに、わたくし聞いていて思ったのですが、」
「…なに?」
「本日、本当にデートの予定が入っていたとして、がそれに合わせて手作りのクッキーを持参し、プレゼントするような方だとは思えないのですが」
「……………………」

 否定できないところが悲しい。

「…なんか、ノボリのほうが、のことよくわかってるよね」
「貴方が冷静さを欠くからですよ。もう少しどっしり構えていてはどうです?」
「……ぼくまでどっしり構えてたら、なんにも進まないと思う…」
「……それもそうでございますね」

 まあ、しっかりおやりなさい、と言葉を残してノボリが執務室を出ていく。たった一人になった執務室はしんと静まり返っていて、ぼくの溜息がひどく響いて聞こえた。ノボリの手前ペンを執ったけど、やっぱりやる気なんて微塵も起きない。じっと座ってたってどうせ碌なことを考えないのだから、手持ちポケモンの調整とかして気を紛らわそう、とそこまで考えてようやく、本当にぼくひとりしかいないことに思い至った。

 執務室にいるときには、割と自由にモンスターボールから出てきて、部屋の中でお昼寝していたり遊んでいたりするのだけれど、誰ひとりとして見当たらない。ノボリのと合わせて、室内に置いてあったボールを確認してみたところ、デンチュラとアーケオス、それにシャンデラとダストダスがいなくなっている。
 今日はもうバトルトレインの発車予定はないからいいのだけれど、それにしたってどういうことだろう。みんなこのバトルサブウェイ歴は長いから、お客さんの前に出たりすることはないだろうし、トラブルを起こすことはめったにないだろうけど――

「! デンチュラ!」

 そんなことをつらつら考えていると、執務室のドアが静かに開いた。できた隙間からひょこりと顔をのぞかせたのはぼくのデンチュラで、声をかけるとぴゃっとその場に飛び跳ねる。見下ろすぼくの視線と、見上げるデンチュラの視線が交錯して、一体何をするのかと思いきや、デンチュラはいきなりその場で踵を返した。

「(えっ、ぼく、いま逃げられた!?)」

 天井から落ちてきた金ダライが、脳天に直撃したようなショック。手持ちポケモンに逃げられるというまさかの事態に一瞬呆然として、けれど反動ですぐさま感情は返ってきた。今日は受けるショックがいちいち大きすぎて、頭も心もマヒしているらしい。
 ぼくはからっぽのモンスターボールを手に取った。逃げるデンチュラを追いかけながら、ボタンを押す。

「も、ぜったい逃がさない!」

 赤い光に包まれたデンチュラに、為す術はない。おとなしくボールのなかに収まった彼にお説教するべく、ボール越しにデンチュラを見下ろして気付いた。……持ち物がちがう。ちがうっていうか、変。変っていうか、

「ちょっ、『もちもの:クッキー』 ってなにそれ!?」

 ボールから再び外に飛び出したデンチュラは、抱えたそれをお腹の方に隠してじりじりとぼくから距離を取ろうとする。また執務室のドアから廊下に逃げ出そうとしているのが手に取るようにわかって、ぼくはドアの前に立ちふさがった。いかにも 「やられた!」 って顔のデンチュラを見下ろす。

「デンチュラ、なに持ってるの。ぼく、ピントレンズわたしてたはずだよね」

 一応持ってる、と言わんばかりの仕草で、デンチュラはぼくがあげたピントレンズを頭上に掲げた。それはそれ、これはこれ、とでも言いたげだ。肢の隙間からちらちら見える、黄色いリボンが腹立たしい。

「ふうん、ぼくに隠し事するんだ? …いいよ? そしたらには、『今デンチュラはケガして調整中だから、ぎゅってさせてあげられないの、ごめんね』 って言っとくもん。ぼくがダメって言ったら、はぜったいデンチュラのことぎゅってしないと思うけど、それでもいーの?」

 今度は、デンチュラの頭に金ダライが命中したみたいだった。視線が右往左往して、肢がわさわさと落ち着かなそうにたたらを踏む。ぼくの足元に近寄ろうとして、でもやっぱり後ずさる、という動きを繰り返しはじめた。…もうひと押しだ。

「でも、今ならぼく怒らない。ね、なにもらったの? ――見せて」